野田秀樹(のだ ひでき)
1955年12月20日生f
身長:非公開
東京都出身(長崎県生まれ)の演出家、劇作家
本名同じ
以下では野田秀樹さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
経歴
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1976年に劇団「夢の遊眠社」を結成。
1983年に「野獣降臨」で岸田国士戯曲賞を受賞。
1992年に「夢の遊眠社」を解散し、以降はワークショップを基盤に劇団の枠を超えて俳優を集めて上演するスタイルへ変化。
2001年に新作歌舞伎「野田版 研辰の討たれ」を歌舞伎座で上演。
2004年の大河ドラマ「新選組!」に俳優として出演し、以降も「蝶々さん」や「眩~北斎の娘~」などのテレビドラマにも出演している。
私生活では1986年に女優の竹下明子と結婚するも、翌年に離婚。
1992年から女優の大竹しのぶと5年間にわたる同棲生活をおくるが、その後に破局。
2005年に25歳年下の女優・藤田陽子と再婚し、二女一男が誕生している。
学歴~出身小学校・中学校・高校
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出身高校:東京教育大学附属駒場高校 偏差値77(現在・超難関)
※現在は筑波大学附属駒場高校
野田秀樹さんの出身校は、国立の男子校の東京教育大学附属駒場高校です。
この高校は開成高校や麻布高校などと並んで東京でもトップクラスの進学校で、毎年100名を超える東京大学の合格者を輩出することでも知られています。
野田さんは渋谷区立幡代(はたしろ)小学校から渋谷区立代々木中学校を経て、同校に進学しています。
長崎県の崎戸町に生まれていますが、三菱炭坑に勤務していた父親の転勤で、生後すぐに東京に引っ越しています。
子供の頃から勉強が得意でしたが、サッカーにも勤しんでいます。
幡代小学校4年生からは自主性を重んずる教師が担任となって、宿題やテストも出さなかったそうです。
また「大学生のように扱う」と宣言して授業も係の生徒がおこなって(先生は3時間目くらいから登校していた)、晴れれば校庭で野球をするなど、この担任の先生は「かなり心を揺さぶった」と話しています。
野田さんは小学校では、「ガメラシリーズ」や「デスノート」などの作品で知られる映画監督の金子修介さんと同級生でした。
中学時代は生徒会長を務めており、何かと目立つ存在でした。
高校時代はサッカー部と演劇部に所属しており、文化祭の演劇では主演して主演男優賞を受賞しています。
また高校2年生の時に戯曲「アイと死をみつめて」を書き上げており、現国の教師がその出来の良さに舌を巻くなど、才能の片りんも見せています。
そのため既に当時から「高校演劇界に野田あり」とも言われて、文化祭で演出を担当した演劇は学校外からも人が押し寄せたエピソードも残っています。
【主な卒業生】
後藤田正純(政治家)
松平定知(元アナウンサー)
矢崎滋(俳優)
学歴~出身大学
出身大学:東京大学 法学部(中退) 偏差値72(超難関)
野田秀樹さんは高校卒業後は1年間の浪人生活を経て、東京大学の文科Ⅰ類に合格しています。
大学では演劇研究会に所属しており、それが後に「夢の遊眠社」の母体となっていきます。
また法学部に進学していますが、大学時代から数々の舞台を演出しており、7年間大学に在学したものの最終的には東京大学を中退してしまっています。
とは言えその後の活躍は周知の通りで、数々の秀逸な舞台を演出して日本を代表する演出家のひとりとして知られています。
また俳優や女優の育成にも優れており、演技派女優として知られる黒木華さんらも野田さんのワークショップの出身です。
既に年齢は60歳を超えていますが現在でも精力的な活動を展開しており、未だに多くのファンから熱狂的な支持を受けています。
今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。
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