女優の黒谷友香さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。意外にも黒谷さんは中学時代までは太っており地味でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
黒谷友香(くろたに ともか)
1975年12月11日生
身長170㎝
血液型はO型
大阪府堺市出身の女優
本名同じ
以下では黒谷友香さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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黒谷友香の学歴まとめ
出身大学:金蘭短期大学 国文科
出身高校:大阪女子学園高校
出身中学校:堺市立金岡南中学校
出身小学校:堺市立金岡小学校
黒谷友香の学歴~出身小学校(堺市立金岡小学校)の詳細
出身小学校:大阪府 堺市立金岡小学校
黒谷友香さんの出身小学校は、地元堺市内の公立校の堺市立金岡小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親は会社勤めをしていました。
黒谷さんは子どもの頃は太っていたそうです。
小学2・3年生の頃からこども会のボートボール部に在籍をしており、小学6年生までやっていました。
黒谷さんは国語や図工の工作が好きだったと話しており、もともとは外で遊ぶよりも自宅で遊んでいるインドアなタイプでした。
しかし当時はローラースケートやスケートボード、ホッピング、一輪車などが流行っていたことから、友人と自宅の前の道路で遊んでいたそうです。
また小学生時代は恥ずかしがり屋な子供でした。
黒谷さんは小学2年生の時に初恋を経験しており、その男子がお漏らしをしてしまうのを見たときにはショックを受けたそうです。
黒谷友香の学歴~出身中学校(堺市立金岡南中学校)の詳細
出身中学校:大阪府 堺市立金岡南中学校 偏差値なし
黒谷友香さんの出身中学校は、地元堺市内の公立校・堺市立金岡南中学校です。
中学時代は美術部に在籍をしていました。
黒谷さんは自身の中学時代についてインタビューで次のように話しています。
「おとなしくて、派手なことはしなかったし。全然目立たない子だったんです。身長も中学3年生から伸びたのでそれほど目立っていなかったし。」
記事引用:MBS毎日放送
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黒谷友香の学歴~出身高校(大阪女子学園高校)の詳細
出身高校:大阪府 大阪女子学園高校 偏差値43(容易)
※現在は大阪夕陽丘学園高校
黒谷友香さんの出身高校は、私立の女子校(当時)の大阪女子学園高校です。
この高校は1948年開校の私立高校で、2005年に男女共学となって大阪夕陽丘学園高校に改称しています。
黒谷さんは高校時代は部活動などはおこなわなかったようです。
高校時代は同級生5人でガールズバンドを結成しエレキギターを担当し、学園祭やライブハウスで演奏していました。
女子ばかり集めたコピーバンドで当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「プリンセス・プリンセスさんとか、ドリカムさんの歌を演奏してました。みんなで地下鉄に乗ってスタジオへ練習しに行ってましたね」
記事引用:朝日新聞デジタル
学園祭やライブハウスでの演奏もおこなっており、アクティブに活動をしていました。
また当時は難波や天王寺でよく買い物をしたり、遊んでいたといいます。
黒谷さんはバンド活動をおこなう一方でモデルの世界にも憧れを抱いていました。
そのため17歳の時に雑誌「mc Sister」の専属モデルのオーディションに応募をしています。
オーディションの書類を投函したポストが現在も自宅の近所にあることを明かしており、ポストに投函する際にはかなり緊張していたことがうかがえます。
そしてこのオーディションに合格をして芸能界入りをしていますが、当時は週末に新幹線で東京に行き仕事をしていました。
ちなみに当時の「mc Sister」は神田うのさんや小嶺麗奈さんらが看板モデルで、意外にも黒谷さんはさほど高い人気ではありませんでした。
また後にフジテレビのアナウンサーになる森本さやかさんは「mc Sister」の同期で、現在も親交があります。
【主な卒業生】
河合奈保子(歌手・転校)
柳生みゆ(女優、モデル)
杉本有美(ファッションモデル)
玉遥香(お笑い・ターリーターキー)
黒谷友香の学歴~出身大学(金蘭短期大学)の詳細
出身大学:金蘭短期大学 国文科 偏差値38(かなり容易・廃止時)
※千里金蘭大学短期大学部に改称後に廃止
黒谷友香さんは高校卒業後は、金蘭短期大学に進学します。
この短期大学は1963年開校で、当時は国文科と英文科を設置していました。
2004年に千里金蘭大学短期大学部に改称されましたが、2011年に閉校になっています。
ちなみにタレントの久本雅美さんも、この短期大学の出身者です。
黒谷さんは高校時代からファッションモデルとして活動しており、大学時代も活動を継続しています。
また短大入学後は女優としての活動を開始するために、複数の映画のオーディションを受けています。
そのため大学1年生だった1994年に上京して、拠点を大阪府から東京都に移しています。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「映画のオーディションを受けるようになってから、地元の大阪から上京しました。モデルの仕事の延長線上に今のような演技のお仕事があるなんて、あまり考えられなかったというか……世間知らずだったみたいで(笑)。」
記事引用:マイナビニュース
そして大学1年生の時に映画「BOXER JOE」のヒロイン役で女優としてデビューを果たしました。
この映画の撮影は大阪で行われており、またセリフも大阪弁でした。
黒谷さんはスタッフの皆さんが優しかったことから、この撮影でお芝居を楽しいと思えるようになったといいます。
それからは本格的に女優の仕事がしたいと思ったようです。
また黒谷さんは自身の20代を振り返って、取り組むものが全部はじめてだったため毎回新しいことの連続で何もかもがフレッシュだったと語っています。
なお黒谷さんは短大時代に拠点を東京に移しましたが短大には通学しており、この短大は卒業しています。
短大卒業以降は主に女優として活動しており、卒業した1996年に出演したテレビドラマ「はみだし刑事情熱系」で女優として注目を集めました。
また1998年には「カミングホーム」でテレビドラマに初めて主演しています。
またこの年には「噂の東京マガジン」の3代目アシスタントに起用されています。
以降も数々の話題作のテレビドラマや映画に起用されています。
またタレントとしても多くのメディアに取り上げられています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が黒谷友香さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
ファッションモデルとしてデビューしましたが、後に女優に転身して成功を収めています。
主演作は少ないものの、主要キャストとして多くの作品に出演してその存在感で作品に花を添えています。
既に40代に入っていますが、年齢を感じさせない若々しさで末永く活躍してほしいところです。
経歴/プロフィールの詳細
17歳の時にティーン向け雑誌「mc Sister」の専属モデルのオーディションに合格し、芸能界入り。
1995年に映画「BOXER JOE」にヒロインで出演し、その後は女優に転身。
同年の「沙粧妙子 最後の事件」でドラマ初出演。
1996年に出演した連続ドラマ「はみだし刑事情熱系」で注目される。
1998年の「カミング・ホーム」でドラマ初主演。
2002年の「ドレミソラ」で連続ドラマ初主演。
以降は「ホットマン」や「ハンチョウ」、「カーネーション」などの
話題作の連続ドラマに多数出演。
2006年の「TANKA」で映画初主演し、他にも「ホームレス中学生」や
「謎解きはディナーの後で」、「RANMARU」などの映画に出演している。
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