原田龍二の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|ケンカが強かった

人気俳優の原田龍二さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。爽やかなイメージの原田さんですが、高校時代や大学時代はケンカに明け暮れていました。学生時代のエピソードも併せてご紹介していきます

 

原田龍二(はらだ りゅうじ)

 

原田

 

19701026日生

身長178

血液型はA型

 

東京都出身の俳優、タレント




 

経歴・プロフィールの詳細

 

20歳:1990年に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリとなり芸能界入り。(グランプリは葛山信吾) 

22歳:1992年のドラマ「キライじゃないぜ」で俳優デビュー。 

23歳:1993年に歌手デビューし、4枚のシングルと2枚のアルバムを残している。 

24歳:1994年の「河童」で映画初出演。 

31歳:2001年に一般人女性と結婚し、一男一女の父親。

33歳:2003年から「水戸黄門」に出演し知名度が上がる。 

映画でも「ナースのお仕事ザ・ムービー」や「相棒」、「交渉人」などの話題作に出演。 

土曜ワイド劇場や旅番組、温泉番組への出演が多いことで知られる。 

46歳:2016年からはバラエティー番組「ガキの使いやあらへんで」に出演。 

 

学歴~出身大学の詳細

 

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出身大学:聖学院大学 政治経済学部(中退) 偏差値42(容易)

 

 

 

原田龍二さんは高校卒業後は、聖学院大学に進学します。

 

この大学は埼玉県上尾市にある大学で、政治経済学部と人文学部、心理福祉学部のみを設置している大学です。

 

後述するように原田さんはこの大学の系列校に通学していたので、大学へは内部進学しています。

 

またこの大学は原田さんが入学した1988年に開校しており、第1期生として入学しています。

 

大学2年生の時に男性芸能人の登竜門として知られる「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを獲得して芸能界入りを果たします。

 

原田3

(大学時代)

 

驚くことにデビュー当時は「人をぶん殴ってばっかいました」とバラエティー番組で話しています。

 

「その頃のターゲットとしていたのは「ナンパしているヤツ」などの”チャラ男”。ただ、それは「殴るのが好きだった」というシンプルな理由で、渋谷のディスコに行っていたのも「踊りに行っていたわけではなくて、そういうバトルを探しに」という目的。「血気盛んな血の気の多いヤツが多いので、行っていた」と振り返った」

 

また時には弟の俳優の本宮泰風さんとともに、喧嘩に臨んだこともあったとのこと。

 

(本宮泰風)

 

ちなみにバラエティー番組で共演した元光GENJIの諸星和己さんは、原田さんと本宮さんの兄弟について、次のような発言をしています。

 

「この兄弟は、今でも有名ですよ。芸能界の中でもダントツでトップに入るくらいのケンカの強さ。だから、俺はテレビで会ってもイジらないようしてる。後が怖いから」

 

ただし原田さんよりも弟の本宮さんのほうがケンカは強かったようで、本宮さんは「兄貴とケンカしたことないのか?」という質問については次のように答えています。

 

「ウチの兄貴はバカじゃないですから」

 

また大学に関してはエスカレーター式に進学したため特に惹かれるものがなかったことから、最終的には同大を中退してしまっています。

 

「入ったのはいいけれど、新設校だったので自分の思い描いていた世界とは全く違ったんです。人もいないから実験的なことばかりで選択肢も狭くて、開放的な感じがなかったんですね。車の免許を取ったので、友達や女の子と遊んでるほうが楽しくてどんどん学校をさぼるようになる。それが、最悪の頃でした」

 

その後は俳優として順調にキャリアを重ね、多くのテレビドラマや映画にも出演している原田さんですが、デビュー当初は何度も俳優を辞めようと思ったことを明らかしています。

 

「僕には下積みもないし、演技なんかできなかったんですよ。今は考えればできるようなことも、あの頃は全くできなかった。こんな簡単なことができないのかって人に叱られることもおもしろくないですよね。それで自分には向いていないってずっと思っていて、いつ辞めよう、いつ辞めようと思って。そういう日が何年も続きました」

 

また後に結婚する嫁の愛さんは元女優で、原田さんとはデビュー直後にドラマで共演もしていました。

 

 

そして33歳の時に出演したテレビドラマ「水戸黄門」で、全国区の人気を獲得して人気俳優になっています。

 

 

【聖学院大学の主な卒業生】

スネオヘアー(ミュージシャン)

 

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学歴~出身高校の詳細・ケンカが強かった!

 

出身高校:東京都 聖学院高校 偏差値57(推定・中の上)

 

 

 

原田龍二さんの出身校は、私立の男子校の聖学院高校です。

 

この高校は東京都北区にあり、現在はほぼ完全中高一貫校となっていますが(帰国生のみ高校から入学可)、原田さんが在籍した当時は高校での募集があった時代です。

 

またこの高校に進学した理由を次のようにインタビューで述べています。

 

「高校はプロテスタントの男子校に行ったんですが、特徴はないけれど学校の雰囲気がすごく好きだったんです。中学とは全然違って、いろんな人に会いました。軽音楽部がすごく盛んだったんで、髪の長いヘビメタのお兄ちゃんがいたりして、自分の視点の枠も広がったんですね」

 

高校時代の原田さんは部活動はおこなっていませんでしたが、1年間だけ空手を習っています。

 

また原田さんは高校時代は不良で鳴らし、バイクを乗り回し、ディスコなどで夜遊びをする毎日でした。

 

「タバコを吸ったり、バイクに乗ったり、ディスコに行ったり、外泊したり。暴走族にはならなかったけれど、それに近いところまでは行ってたかもしれません。殺気だってましたよ」

 

また当時の原田兄弟は足立区内の不良界隈では知らない人がいないほどケンカが強く、バラエティー番組でも隣でビリヤードをしていた友達が刺されたエピソードが紹介されています。

 

 

このエピソードについては原田さんは「でも、死ななかったから。死ななきゃいいんですよ」とコメントしています。

 

他にも暴走族に素手で応戦したエピソードも紹介されており、その際については「血の降るお祭り」と表現しています。

 

 

とは言え、当時はヤンキーなどではなく、男気溢れる硬派の不良だったようです。

 

本人も当時を振り返って次のようインタビューで語っています。

 

「ケンカが強いってわけじゃないですけど、ケンカが好きな時期があって。カッコ良く言うと、今だから話せるんですけど、弱い者イジメしてる不良とかもいるじゃないですか、それを退治するのが(目的)。見ていられないんですよね。今、街中でもそうですけど、たまたまそういうところには出くわしてないですが、出くわしたら絶対、今でも(闘う)」

 

ちなみに原田さんはケンカの極意は「根性だ」と話しています。

 

また現在でも高校時代にケンカの際にナイフで顔を切られた傷跡が残っているとのこと。

 

加えて原田さんは高校時代に1年間だけ空手を習っており、この経験も当時のケンカに活きたようです。

 

なお高校時代の原田さんは国語の先生の影響で国語が好きでした。

 

その先生は当時は20代で熱血で真摯だったことから、原田さんは兄のように慕っていたそうです。

 

また高校時代の夏休みにアメリカから一時帰国していた女の子と交際しており、その女の子がアメリカに帰国した後は遠距離恋愛となっています。

 

加えて原田さんは高校時代から尾崎豊さんの大ファンでした。

 

【聖学院高校の主な卒業生】

志尊淳(俳優)

坂東玉三郎(歌舞伎役者)

 

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学歴~出身中学校

 

出身中学校:台東区立御徒町台東中学校 偏差値なし

 

 

 

原田龍二さんの出身中学校は、台東区の公立校の御徒町台東(おかちまちたいとう)中学校です。

 

原田さんは足立区の出身ですが、中学校は自ら望んで台東区のこの中学校に越境入学しています。

 

ただし当初は友達などは誰もいなかったことから慣れるのに時間がかかったとインタビューで話しています。

 

「中学時代は僕にとって不毛の時代でした。望んで台東区の中学に通い始めたのに、なかなかその環境に溶け込めなかったんです。それでも、陸上部にスカウトされて走り幅跳びをやるようになってから、少しずつ学校の友達とクラブを通して仲良くなったんです。でもそれも2年生になってからで、慣れるのに結構な時間がかかりました」

 

ただし団体行動が苦手だったこともあって、陸上部はその後に辞めてしまっています。

 

また中学時代はプロレスが好きになって蔵前国技館によくプロレス観戦に行っていました。

 

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学歴~出身小学校の詳細

 



 

出身小学校:足立区立渕江第一小学校

 

 

 

原田龍二さんの出身小学校は、地元足立区の公立校の渕江第一小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

また弟の本宮さんの嫁である人気タレントの松本明子さんは義理の妹にあたります。

 

 

父親の職業は会社員で、母親はスナックを経営していました。

 

母親が子育てに厳しく、弟の悪さも連帯責任をとらせたことから、子供の頃から「弟を守る」という責任感が強かったことをインタビューで語っています。

 

「お袋が厳しかったんですよ。僕は長男ですから、弟のやらかしたことも全部僕の責任になってしまうんです。観察が甘いって怒られたりしました。そのせいか、「弟は俺が守らなきゃいけない」っていう責任感はこどもながらに人一倍ありましたよ。弟もどっちかというとアクティブなほうなので奴は奴なりに生きていたと思うんですが、僕の中では弟の存在は大きかったです」

 

子供の頃は活発で、外で遊ぶのが大好きで田んぼや池で泥まみれになって遊んだと述べています。

 

「僕は東京の足立区竹の塚の出身です。畑や田んぼがあるようなのどかな所でした。ザリガニを釣ったりするのが大好きで、家の中で漫画を読んだり、プラモデルを作ったり、テレビゲームをするような子ではなかったですね。周りにはすごく個性の強いこどもが集まっていたんです。みんなで銭湯に行ったり、神社で野球したり、釣りしたりして遊んでました」

 

また原田さんは小学校時代は剣道に熱心に取り組んでいます。

 

前述の武勇伝やケンカのエピソードからは意外ですが、原田さんは小学校4年生の頃から進学塾の「慶応・開成コース」に通って中学受験をしようとしていました。

 

「私立の中学に入ることによって、エスカレーター式に大学に上がれるっていうとんでもない考え方をしていたんですよ。親にも今のうちに頑張れば・・・と言われたので、素直に塾に通いはじめたんです」

 

しかしある日友達と遊んでいた際に、塾の時間だから帰らなければならない悲しさを感じたことがきっかけで進学塾は自らの意思で辞めています。

 

「でもある日、友達と一緒に遊んでいても塾の時間だから帰らなければならない悲しさというのを痛いほど感じてしまった。どうしようもないその悲しさにふと気づいてしまったら、自分が頑張ることによって何かを犠牲にしているんじゃないかと、今の自分のしていることについて疑問に思えてしまったんです」

 

原田さんはこれにより中学受験も断念していますが、気持ちをニュートラルにするために何もかもを変えたくなって、中学校は地元の足立区ではなく、台東区の学校に越境入学しています。

 

また小学校6年生の時には教会で英語を習うなど、高い向学心を持っていたようです。

 

また小学校時代は足が速く、運動会でも1位でした。

 

以上が原田龍二さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。

 

現在は人気俳優として数多くの話題作の連続ドラマや映画にも出演しています。

 

(相棒)

 

また俳優業のほか、バラエティー番組や旅番組の出演など、タレントとしても人気を博しています。

 

 

加えてテレビ番組や公式ブログなどでたびたび息子や娘について紹介するなど、よき父親ぶりが窺えます。

 

 

 

ちなみに息子の一徹さんはサッカーに打ち込んでおり、将来の夢はJリーガーになることだそうです。

 

原田さん自身もかなり器用なタイプのようですので、今後の活動にも注目です。

 

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