お笑いコンビ「バナナマン」の設楽統さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は設楽さんは中学時代は生徒会長を務めたほどですが、高校ではタバコで停学になっていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
設楽統(したら おさむ)
1973年4月23日生
身長175㎝
血液型はO型
埼玉県皆野町出身のお笑い芸人
お笑いコンビ「バナナマン」のボケ担当
本名同じ
以下では「バナナマン」設楽統さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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設楽統の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:埼玉県立秩父農工高校
出身中学校:皆野町立皆野中学校
出身小学校:皆野町立国神小学校
設楽統の学歴~出身小学校(皆野町立国神小学校)の詳細
出身小学校:埼玉県 皆野町立国神小学校
設楽統さんの出身小学校は、地元皆野町の公立校の国神小学校です。
家族構成は両親と兄と姉の5人家族です(3人きょうだいの末っ子)。
なお父親は2013年に他界しています。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
設楽さんは子供の頃から活発な少年でした。
小学生の頃から野球を始めました。
当時から運動神経が良く、スポーツは全般的に得意とのこと。
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設楽統の学歴~出身中学校(皆野町立皆野中学校)の詳細
出身中学校:埼玉県 皆野町立皆野中学校 偏差値なし
設楽統さんの出身中学校は、地元埼玉県皆野町の公立校の皆野中学校です。
中学時代は野球部に所属
中学時代は野球部に在籍しており、キャプテンも務めていたようです。
ポジションはショートでした。
野球の練習の際に笑いながら何球もファールボールを打ち、後輩に取りに行かせていたそうです。
また試合など勝負事の前日には験かつぎとして、出かける前にお風呂の水を飲んでいたそうです。
生徒会長をやっていた
加えて設楽さんは中学3年生の時には生徒会長を務めており、模範的な生徒だったようです。
設楽さんはおニャン子クラブの大ファンだったそうで、中学生の時にファンクラブに所属していました。
また中学時代は女子からとてもモテたそうで、卒業式の時にボタンを全て取られたことを明かしています。
設楽さんは中学時代から座右の銘が「時は、待てば来る」だそうです。
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設楽統の学歴~出身高校(埼玉県立秩父農工高校)・大学の詳細
出身高校:埼玉県 秩父農工高校 機械科 偏差値42(容易)
※現在は秩父農工科学高校
設楽統さんの出身高校は、県立の共学校の秩父農工高校です。
この高校は1900年開校の県立校で、2005年に県立秩父東高校と統合されて現在は秩父農工科学高校になっています。
また設楽さんが在籍した当時には農業科や森林科、電気科や機械科が設置されていましたが、設楽さんは機械科に在籍していました。
この高校には一般受験ではなく推薦入学で進学しています。
高校時代は部活動などはおこなわずに帰宅部でした。
高校時代はバンドに熱中
また当時は「ZIGGY」のコピーバンドを組んでおり、ボーカルを担当していました。
設楽さんは文化祭でバンド演奏をするために、高校に夜遅くまで残って練習をしたり機材の準備をしていました。
この時に屋外のトイレで何人かで喫煙をしていたところが先生に見つかり、停学になったことをラジオで話していました。
当時は少々ヤンチャだったこともあり、かっこいいと思い喫煙をしていたそうです。
その結果、文化祭ではバンド演奏をすることができませんでした。
バンドメンバーの一人であり、幼稚園と高校の同級生が「オトナ養成所 バナナスクール」に出演した際には、設楽さんは学生時代から今と全く変わらず「ドSだった」と話しています。
前記のように中学時代に引き続き、高校時代も女子にモテたそうで中学時代に告白して断られた幼馴染にもう一度告白してまた断られてしまいました。
また学生時代にはいじめなどもあったそうで、インタビューでは次のように話しています。
「ぶっちゃけ俺らが学生の頃とかも(いじめ)あったし、俺はそこまでじゃないけど、どっちかっていうとイジメるほうだったから(笑)。」
記事引用:P.T.A.
【主な卒業生】
田上明(プロレスラー)
大学には進学していない
そして設楽さんは高校卒業後は大学などには進学せずに、西武鉄道に就職をしています。
設楽さんの父親が西武グループのホテルの支配人を務めていたことから、縁故採用で入社し小手指駅で駅員として勤務していました。
人を笑わせることが好きだったため、朝のアナウンスでは「ドア開きまーす。ドア開きましたらー、右足~、左足~、右足~、左足~、交互に運んでごゆっくりお乗りください」とギャグを交えたアナウンスをしていました。
しかし芸能界に憧れを抱いていたことから西武鉄道をわずか半年で退職しており、その後はフリーターを経験した後にお笑い芸人を目指しています。
20歳で「バナナマン」を結成
そして20歳だった1993年に父親の友人の紹介で渡辺正行さんの付き人になると、その年の12月に渡辺さんと同じ事務所に所属していた日村勇紀さんとお笑いコンビ「バナナマン」を結成しています。
コンビは2003年にバラエティ番組「内村プロデュース」に出演したことで、知名度が大幅に上昇しています。
その後は数々のバラエティ番組に出演するほどの人気コンビになっています。
また設楽さんはトーク力を活かして、「ノンストップ!」などの司会を務めています。
その他にも俳優としても活動しており、マルチな活動を展開しています。
以上が「バナナマン」設楽統さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
「バナナマン」は結成後は大ブレイクこそしなかったものの、ジワジワと人気が出てきて現在に至ります。
またMCや司会などを務める器用さも兼ね備えていますので、多くの番組で重宝される貴重な存在です。
人気と実力を兼ね備えていることでも知られていますので、今後の活動なども気になる存在です。
経歴・プロフィールの詳細
1993年に渡辺正行の付き人になる芸能界入り。
同年10月に日村勇紀とコンビ「バナナマン」を結成。
2003年の「内村プロデュース」に出演をきっかけに知名度が上がり、その後は多くのバラエティー番組に出演。
また「アンビリバボー」や「TOUは何しに日本へ」など番組の司会を担当することも多い。
コンビ以外でも番組出演が多く、「ノンストップ!」や「クレイジージャーニー」では司会やMCを担当している。
また俳優としても「Mr.ブレイン」や「ハガネの女」などの連続ドラマに出演している。
2012年に「イロドリヒムラ」で監督デビューを果たした。
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