若い頃はイケメン俳優として鳴らし、このところは人気演技派俳優として活躍している草刈正雄さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。母子家庭に育ったことから学生時代は常にアルバイトをするなど人知れずの苦労を重ねています。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
草刈正雄(くさかり まさお)
1952年9月5日生
身長185㎝
血液型はO型
福岡県北九州市出身の俳優、歌手
本名同じ
以下では草刈正雄さんの学歴や経歴、中学校・高校の偏差値、中学時代や高校時代のエピソードなどをご紹介していきます
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草刈正雄の学歴まとめ
出身大学:放送大学 教養学部
出身高校:福岡市立小倉西高校→都立青山高校
出身中学校:北九州市立白銀中学校
出身小学校:北九州市立中島小学校
草刈正雄の学歴~出身小学校(北九州市立中島小学校)の詳細
出身小学校:福岡県 北九州市立中島小学校
草刈正雄さんの出身小学校は、地元北九州市の公立小学校の中島小学校です。
父親はアメリカ人の軍人でハーフにあたりますが、草刈さんが生まれる前に朝鮮戦争で戦死しています。
また後に母親が辛くなるからとの理由で父親の写真を焼いてしまったことから、草刈さんは現在に至るまで実の父親の顔を知りません。
生まれた時から母1人子1人の母子家庭に育ったことから、子供の頃から学生時代はかなり経済的に苦しい生活をしています。
母親は雑貨の卸会社に勤務していましたが、幼少期から高校時代にかけては六畳間ひと間の部屋で暮らしていました。
また母親は非常に厳しく草刈さんを育てており、次のようにインタビューで振り返っています。
「北九州にいたころは怖い母でした。悪さをすると「あんた何しよんね!」と、バットを持って追いかけてきました。よそで「親か警察か先生、どれを呼ぶか」と聞かれて「おふくろだけはやめてください」と言ったくらいです」
記事引用:朝日新聞デジタル
そのため当時は「愛情をかけられていない」と誤解したこともありました。
草刈さんも小学生の頃から新聞配達をして家計を助けています。
子供の頃からスポーツが得意で活発な少年でしたが、ハーフであったことでたびたびイジメにも遭っています。
当時は「バービー」の愛称で呼ばれていました。
その一方で小学校時代の草刈さんはいたずらが大好きで、物を投げてガラスを割るなどのやんちゃな面もあったようです。
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草刈正雄の学歴~出身中学校(北九州市立白銀中学校)の詳細
出身中学校:福岡県 北九州市立白銀中学校 偏差値なし
草刈正雄さんは小学校卒業後は、地元の公立校の白銀(しろがね)中学校に進学しています。
中学時代には牛乳配達もはじめており、アルバイトで稼いだお金で、家のテレビと自転車を買っています。
また当初は野球部にも入部していましたが、アルバイトが多忙だったようで途中で部活動は辞めてしまっています。
ただし野球部を辞めたのは後悔しており、前記のように高校進学後に再び野球をはじめています。
「寂しくて、大勢の中に入って何かをやることに憧れていました。中学の時に軟式野球を途中でやめたんですけど、もう一度、高校からやり、普段のちまちましたことを発散していました」
また意外にも中学校時代の草刈さんは女子生徒と話すが苦手だったとのこと。
そのため当時は女子と交際したりしたことはないようです。
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草刈正雄の学歴~出身高校(福岡県立小倉西高校・都立青山高校)の詳細
出身高校:福岡県 小倉西高校 定時制課程(転出) 偏差値不明
後に都立青山高校の定時制に編入し卒業
草刈正雄さんが入学したのは、県立の共学校の小倉西高校の定時制課程です。
同校は1898年開校の伝統校で、全日制の偏差値は58程度の高校です。
前記のように当時の草刈さんは母子家庭に育っており、経済的にも恵まれていない学生時代でした。
そのため中学卒業後は本のセールスマンとして就職し、夜は同校で学ぶという生活をしていました。
営業マンとしては優秀で、歩合給だけで当時の大学卒の初任給以上の給料を稼いだとインタビュー語っています。
また当時はスナックでアルバイトもしています。
「定時制に通いながら雑誌の訪問販売をしたり、スナックでスルメを焼いたり」
記事引用:朝日新聞デジタル
しかも高校時代は軟式野球部に所属して、ピッチャーやファースト、ライトを守って定時制高校の全国大会まで進んでいます。
この出来事は草刈さんにとっても高校時代の思い出になっており、インタビューでも次のように話しています。
「全国高校定時制通信制軟式野球大会は会場が神宮球場。とにかく東京へ行きたいと、練習を一生懸命やりました。右翼や一塁を守らせてもらって、ひと通り走ったり、キャッチボールをしたり。球を投げるのは速かったかな。1年生のとき県代表になり、補欠としてベンチ入りして1968年の第15回大会に出場しました」
なお大会ではチームは準々決勝まで進出し、その試合には草刈さんも代打で出場していますが、あえなく三振に倒れています。
また定時制の高校だったことから当時は夜9時から2時間ほどしか練習ができなかったとのことです。
その後、高校2年生の時に上京し、都立青山高校の定時制課程に編入し、高校3年生の時にモデルとしてデビューしています。
(都立青山高校)
上京したきっかけはアルバイト先のスナックのマスターにモデルになることを勧められたことで、その際には母親も「あんたの好きにしていいよ」と背中を押してくれたことをインタビューで述べています。
なお小倉西高校の定時制課程は2007年に、青山高校の定時制課程は2008年に閉校しています。
当時の偏差値は不明ですが、かなり低かったと思われます。
前記のように高校3年生の時にモデルデビューを果たしていますが、同じ年に資生堂の専属モデルに起用されCMなどに出演するとそのイケメンぶりが話題になって、すぐに人気モデルとなっています。
そのため上京から2年後の19歳の時に福岡から母親を東京に呼び寄せて、再び2人暮らしをはじめています。
また草刈さんがファッションモデルとして活動したのは2年余りで、21歳だった1973年に俳優に転向しています。
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草刈正雄の学歴~出身大学(放送大学)の詳細
出身大学:放送大学 教養学部 偏差値なし
草刈正雄さんは高校卒業後は、放送大学に進学します。
同大はテレビあるいはラジオを通じて講義がおこなわれる大学で、卒業すれば一般の大学と同じように大卒の資格を得ることができます(現在ではインターネットを通じた授業もある)。
また希望すればほぼ無試験で入学ができるので、偏差値はありません。
「日本で一番入るのが簡単な大学」とされていますが、卒業するのはなかなか困難で、4年間で卒業できるのは全体のわずか5%程度と言われています。
仕事の傍らで大卒の資格を取得できるので芸能人や有名人も多く在籍していますが、卒業したのは志村けんさんや滝藤賢一さんらごくわずかに留まります。
草刈さんは芸能活動の傍ら、同大の講義をコツコツと継続し、年数は不明(最大で10年間在籍できる)ですが無事に卒業しています。
しかも比較的デビューからすぐに売れっ子になっており、芸能活動も多忙を極めたと思われますので、これは立派です。
前記のように経済的に困窮して高校も定時制課程でしたが、もともと学力は高いようですし、高い向学心も兼ね備えているようです。
以上が草刈正雄さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
かつてはイケメン俳優として鳴らしており、絶大な人気を博していました。
(初主演映画「神田川」:1974年)
(人気を決定づけた「華麗なる刑事」:1977年)
現在は様々な役柄を器用にこなせるバイプレーヤーとして多くのドラマや映画に出演しています。
またNHKの大河ドラマ「真田丸」の演技が評価されて、このところは多くのテレビドラマに起用されています。
さらにNHKの朝ドラ「なつぞら」にも主要キャストに起用されています。
加えて愛娘の紅蘭さんや草刈麻有さんも芸能界で活躍しており、たびたび共演もしています。
苦労人だけあって、末永い活躍を期待します。
草刈正雄の学歴・経歴・プロフィールのまとめ
1952年(0歳):福岡県北九州市で生まれる
父親は生まれる前に朝鮮戦争で戦死
1959年(7歳):北九州市立中島小学校に入学
1965年(13歳):北九州市立中島小学校を卒業
1965年(13歳):北九州市立白銀中学校に入学
1968年(16歳):北九州市立白銀中学校を卒業
1968年(16歳):福岡県立小倉西高校・定時制課程に入学
本のセールスマンとして就職
1968年(16歳)全国高校定時制通信制軟式野球大会に出場
1969年(17歳):上京して都立青山高校・定時制課程に編入
1970年(18歳):資生堂の専属モデルになる
1971年(19歳):都立青山高校・定時制課程を卒業
1973年(21歳):俳優に転向
1977年(25歳):テレビドラマ「華麗なる刑事」でブレイク
放送大学教養学部を卒業
1988年(36歳):大塚悦子と結婚(一男二女をもうける)
2015年(63歳):長男が事故死
2016年(64歳):NHK大河ドラマ「真田丸」に出演
2019年(67歳):NHKの朝ドラ「なつぞら」に出演
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