お笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世の出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は山田さんは中学時代に大きな挫折を経験して、引きこもりになっていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
山田ルイ53世
1975年4月10日生
身長168㎝、体重120kg
血液型はO型
兵庫県出身
本名は山田順三(じゅんぞう)
以下では「髭男爵」山田ルイ53世さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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山田ルイ53世の学歴まとめ
出身大学:愛媛大学 法文学部夜間主コース(中退)
出身高校:進学せず(大検に合格)
出身中学校:六甲中学校
出身小学校:三木市立緑が丘小学校
山田ルイ53世の学歴~出身小学校(三木市立緑が丘小学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 三木市立緑が丘小学校
山田ルイ53世さんの出身小学校は、地元三木市内の公立校の緑が丘小学校です。
家族構成は両親と兄、弟の5人家族です(3人兄弟の真ん中)。
小学生の頃から成績が非常に優秀で、「神童」と呼ばれたほどでした。
また小学校時代は児童会長を務めており、模範的な生徒でした。
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山田ルイ53世の学歴~出身中学校(六甲中学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 六甲中学校(中退) 偏差値74(超難関)
※現在は六甲学院中学校
山田ルイ53世さんが入学したのは、私立の男子校の六甲中学校です。
この中学校は1937年開校のカトリック系のミッションスクールで、地元では古くからの名門中学校として知られています。
山田さんは中学受験をしてこの中学に入学しており、かなりの学力を有していました。
中学時代はサッカー部に所属して、部活動にも打ち込んでいました。
また山田さんは中学校時代も学年3位の成績をとったこともあり、校内でも目立つ存在でした。
ところが中学2年生の登校時に「大」を漏らしてしまったことから、以降は学校に登校しなくなって自宅で引きこもっています。
「電車で2時間ぐらいかけて通学してて、駅から学校までがすっごい登り坂で、もうすごくしんどかったんで、勉強も結構やっぱりハードで、部活も一生懸命やってたもんですから、まあしんどい、疲れたっていうのが、すごく積もり積もってた、たまってたっていうのは間違いないです」
どうやら恥ずかしさのみで引きこもったわけではなく、それまで鬱積していたものが噴出してしまったようです。
以降は昼夜逆転の生活になってしまいますが、外から学校のチャイムなどが聞こえた際には辛かったと語っています。
「こっちはもう人生が完全に停止した状態ですから、わ、みんな元気よくやってるなあっていうのがしんどかったですね。自分はこんな状況やのに、周りの子どもたちはどんどんどんどん前に進んで行ってる。だから、自分だけ完全にこの社会の動きから外れたというか、置いてけぼりをくらったっていう気持ちはすごくありましたね」
とは言え結局中学校に復学することはなく、最終的には中退しています。
【主な卒業生】
黒沢清(映画監督)
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山田ルイ53世の学歴~出身高校の詳細
出身高校:進学せず
山田ルイ53世さんは中学卒業後は、高校に進学していません。
前記のように山田さんは中学校2年生の頃から引きこもりになってしまい、高校へは進学しませんでした。
高校時代に相当する期間は親の勧めで瀬戸内海の小島で、一人暮らしをしています。
ただしその際はコンビニでアルバイトをして生活費を稼いでおり、そのお陰で「踏みとどまれた」とインタビューで述べています。
「僕はコンビニでアルバイトをしていたおかげで“踏みとどまれた”という面がありました。僕は一時期家からあまり出ない生活をしていたんですが、ひとり暮らしだし、食べるためには働かなきゃいけない。それでコンビニに行ってバイトしたわけですが、ぎりぎりのところで“社会に属している”という意識を持てたんですよ」
そして山田さんは20歳になる手前で、テレビで同世代の人たちの成人式の映像を見たことがきっかけで社会復帰を決意しています。
「成人っていう、大人になるっていう、社会に出て行くっていうこのワードというか雰囲気が、めちゃめちゃ焦ったんですよ。うわ、もう射程圏外に行くと、同世代、同期がもう全然手の届かへんところに行ってしまうっていう焦りがあって。今なんとかしとかんと、ほんとにもう、何もかもが取り返しつかなくなるっていう気持ちですね」
記事引用:NHK
以降は大検試験に向けて勉強を開始して、合格しています。
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山田ルイ53世の学歴~出身大学(愛媛大学)の詳細
出身大学:愛媛大学 法文学部夜間主コース(中退) 偏差値45(容易)
前記のように山田さんは瀬戸内海の島で20歳になるまで引きこもり生活をしています。
しかし20歳の時に一念発起して大検試験に合格し、愛媛大学に進学しています。
山田さんは愛媛大学に進学した際の経緯については、インタビューで次のように話しています。
「何で愛媛かというと、すごくぼんやりとしたモチベーションなんですけど、おふくろの出身が今治で、少しは知っている土地だったんです。あと、本当に失礼な理由なんですけど、単純にセンター試験の点数だけで通れるところはどこかって調べたら、愛媛大学の法文学部の後期日程だったんですよ」
記事引用:SUUMO
また両親は引きこもりの息子が大学に進学することになったことから、大変喜んだそうです。
ただし山田さんは自身にとっては門出といった感じではなかったことから、大学の入学式にには出席せずに新入歓迎会などが沈静化してから大学に登校しはじめています。
加えてかつては成績が優秀で「東京大学にも入れる」と言われていたことから大学時代はテンションが上がらずに、あまり熱心に学業に打ち込んでいません。
そのため山田さんは大学時代はアルバイトに励んでいます。
またアルバイト仲間に誘われて、他大学の学園祭で漫才を披露したところ非常にウケたそうです。
「なぜか僕がネタを書くことになって、通販番組のパロディのようなごくごく普通の漫才をやってみました。そうしたら、お客さんもみんな身内だからめちゃくちゃウケたんです」
記事引用:SUUMO
そのため気をよくした山田さんは、吉本のお笑いコンテストの四国予選などにも出場しています。
そして大学2年生の時に大学は中退して、お笑い芸人を目指して吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入学しています。
NSCではトータルテンボスらと同期でした。
そして山田さんは24歳の時にひぐち君らとお笑いトリオ「髭男爵」を結成しています。
その後「髭男爵」はコンビとなり、山田さんが33歳だった2008年に大ブレイクしています。
ピークは長続きはしませんでしたが、その後もコンスタントにテレビ番組に出演しています。
以上が「髭男爵」山田ルイ53世さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
コンビは大ブレイク後のブームの終息も早かったことから、「一発屋」などと揶揄されることもあります。
しかしその後もしぶとくバラエティー番組などに起用されており、「消えそうで消えない」状態を長らく保っています。
また山田さんはコンビでの活動のほか、情報番組などにコメンテーターとして起用され、マルチに活動しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1999年にトリオのコントグループとしてデビューするが、1年後にコンビとなる。
2004年の夏ごろから貴族と執事のキャラクターとして活動開始。
2006年のM-1グランプリの準決勝に進出したことがきっかけで知名度が急上昇。
2008年に大ブレイクして、バラエティー番組への出演が急増する。
ともに俳優としても活動しており、テレビドラマなどに出演している。
2015年の「一発屋オールスターズ選抜総選挙」で初代王者となる。
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