演出家の宮本亜門さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数々の作品を演出してきた宮本さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
宮本亜門(みやもと あもん)
1958年1月4日生
身長177㎝
血液型はO型
東京都出身の演出家
本名は宮本亮次
以下では宮本亜門さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
スポンサードリンク
宮本亜門の学歴まとめ
出身大学:玉川大学 芸術学部演劇専攻科(中退)
出身高校:玉川学園高等部
出身中学校:大田区立田園調布中学校
出身小学校:港区立白金小学校
宮本亜門の学歴~出身小学校(港区立白金小学校)の詳細
出身小学校:東京都 港区立白金小学校
宮本亜門さんの出身小学校は、港区内の公立校の白金(しろがね)小学校です。
家族構成は両親と姉、弟です。
ただし前記のとおり宮本さんの母親は大学時代に亡くなっており、その後に父親は宮本さんの友人の25歳年下の女性と結婚したため、弟はなんと32歳も年下です。
実家は銀座で喫茶店を経営しています。
亡くなった母親は元松竹歌劇団(SKD)のダンサーです。
宮本さんは幼少期から内気な性格で、人と会話するのが苦手でした。
母親の影響で子供の頃から歌舞伎や映画鑑賞に親しんでいます。
ミュージカルの舞台を好きになったのもこの頃からです。
幼稚園の頃から日舞を習いはじめています。
宮本さんは小学校時代からはこれらに加えて茶道も習いはじめています。
ただし小学生の頃から勉強は大嫌いだったとのこと。
スポンサードリンク
宮本亜門の学歴~出身中学校(大田区立田園調布中学校)の詳細
出身中学校:東京都 大田区立田園調布中学校 偏差値なし
宮本亜門さんの出身中学校は、大田区内の公立校の田園調布中学校です。
中学時代・高校時代を通じて部活動などはおこなっていません。
また宮本さんは中学時代は趣味の仏像鑑賞に没頭して、夜行バスに乗ってたびたび京都や奈良をひとりで訪れています。
当時は日本美術史の研究家になりたいと思っていました。
ただし宮本さんは中学時代は学校で孤立しており、友達もいなかったとのこと。
また同時期に母親が肝硬変でたびたび余命宣告を受けていたことも、精神的な不安定につながっています。
そしてそんな学校生活に加えて高校受験のストレスも加わったことから、中学3年生の時にかなりの肥満体になってしまいました。
スポンサードリンク
宮本亜門の学歴~出身高校(玉川学園高等部)の詳細
出身高校:東京都 玉川学園高等部 偏差値58(中の上)
宮本亜門さんの出身高校は、私立の共学校の玉川学園高等部です。
この高校は自由な校風で知られ、芸能活動も認めているので多くの芸能人の出身校として知られています。
また出身大学の系列校であることから、宮本さんは大学へは一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
意外なことに宮本さんは高校1年生の頃まで非常に太っており、高校1年生の時にダイエット用の飴だけを食べる生活を1か月半おこなって激ヤセしています。
加えて高校1年生の交際していた彼女と心中しようとしましたが、相手が冗談と思ったことから、人間不信になってしまいます。
また高校であいさつしたのを無視されたことがきっかけで、引きこもり生活も経験しています。
宮本さんはこの際のことについて、インタビューで次のように話しています。
「僕は最初からリセットしたくてしたわけではありませんし、学校に行かなくなったのも計画的だったわけではありません。ただ「自分の心が限界にきた」からなんです」
引きこもりは1年間にも及びましたが、母親に懇願されて精神科のカウンセリングを受けたことで回復して最終的には復学しています。
またこの際には自室でレコード鑑賞に没頭し、音楽からイメージを膨らませて演出家を志すようになったとも話しています。
そのためこの時期がなかったら演出家になれなかったとも語っています。
「学校でレールに乗っていたら、インプットをしたり、ロケットでいう発射台を作ることができなかった。つらかったけど、あの時期がなかったら演出家になれなかったので、引きこもりに感謝しています」
記事引用:スポニチ
高校3年生の時には自身が主演・演出したミュージカルを文化祭で公演して、雑誌で紹介されるほどの好評だったそうです。
【主な卒業生】
DAIGO(タレント・ミュージシャン)
川平慈英(タレント)
川上麻衣子(女優)
池上季実子(女優)
藤田朋子(女優)
スポンサードリンク
宮本亜門の学歴~出身大学(玉川大学)の詳細
出身大学:玉川大学 芸術学部演劇専攻科(中退) 偏差値38(かなり容易)
宮本亜門さんは高校卒業後は、玉川大学に進学しています。
大学では芸術学部に在籍して、演劇を専攻しています。
20歳だった1978年にミュージカルの舞台「シーソー」で、ダンサーとしてデビューしています。
しかし舞台初日の前日に帰宅すると下宿に遊びに来ていた母親が浴室で倒れており、翌朝に脳溢血で死去するという悲劇に見舞われています。
この経験により舞台を自分の役目としてやっていくよう母親からバトンを渡されたと話しており、舞台をライフワークとする決意をしています。
そして大学4年生の時にミュージカルのオーディションに合格した際に、大学の先生に相談した結果、退学して社会に出た方がいいとアドバイスされたことから大学は中退しています。
そして26歳だった1984年の舞台「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」で振付師とデビュー。
その3年後のオリジナルミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で念願の演出家としてデビューを飾っています。
以降の活躍は周知のとおりで数多くの舞台を演出したほか、オペラや歌舞伎、能やアイスショーなど多岐に及んで数々の作品を演出しています。
また日本だけではなく、海外の作品を演出するなどワールドワイドな活躍を見せて、日本を代表する演出家のひとりとなっています。
以上が宮本亜門さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
演出家としては輝かしいキャリアを重ねてきましたが、1993年に出演したネスカフェ「ゴールドブレンド」のCMで話題になりました。
またタレントとしても活動しており、これまで多くのテレビ番組にも出演してきました。
2019年に前立腺がんを告白しましたが、無事に復帰できることを多くの人が望んでいるはず。
末永い活躍を期待したいところです。
スポンサードリンク