宮脇花綸(みやわき かりん)
1997年2月4日生
身長161㎝
血液型はO型
東京都出身のフェンシング選手
本名同じ
以下では宮脇花綸さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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宮脇花綸の学歴まとめ
出身大学:慶応義塾大学 経済学部
出身高校:慶応義塾女子高校
出身中学校:東洋英和女学院中学部
出身小学校:東洋英和女学院小学部
宮脇花綸の学歴~出身小学校(東洋英和女学院小学部)の詳細
出身小学校:東京都 東洋英和女学院小学部
宮脇花綸さんの出身小学校は、私立の女子校の東洋英和女学院小学部です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
インターネット上では実家はお金持ちとの情報もありますが、小学校から「お嬢様学校」に通っているので、その可能性は高いでしょう。
宮脇さんは5歳年上の姉の影響で、小学校受験が終わった頃にフェンシングをはじめています。
当初は母親とともに姉のフェンシングの送迎をしていただけでしたが、気づいた時には剣を握っていたと振り返っていました。
幼少期から男子と遊ぶことが多かったというほど活発な子供だった宮脇さんは、すぐにフェンシングにハマっていきました。
小学校時代は勉強にもしっかりと力を入れており、毎日学校で授業を受けています。
宮脇さんは小学4年生の時に全国大会で初優勝を飾りました。
小学校時代は他にも乗馬や水泳を習っていました。
宮脇花綸の学歴~出身中学校(東洋英和女学院中学部)の詳細
出身中学校:東京都 東洋英和女学院中学部 偏差値62(やや難関)
宮脇花綸さんの出身中学校は、私立の女子校の東洋英和女学院中学部です。
この中学校は1884年開校のキリスト教系のミッションスクールで、地元では古くから「お嬢様学校」として知られています。
朝日放送テレビの増田紗織アナウンサーは、小学校・中学校時代の同級生です。
前記のように宮脇さんは小学校時代は他の習い事もしていましたが、中学校時代にフェンシング一本に絞っています。
なおこの中学校には系列の東洋英和女学院高等部(偏差値68)も併設されていますが、宮脇さんは内部進学せずに、後記の難関校に一般受験で入学しています。
【主な卒業生】
野崎萌香(ファッションモデル)
大和田美帆(タレント)
江口ともみ(タレント)
中川紅葉(女優)
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宮脇花綸の学歴~出身高校(慶応義塾女子高校)の詳細
出身高校:東京都 慶応義塾女子高校 偏差値76(超難関)
宮脇花綸さんの出身高校は、私立の女子校の慶応義塾女子高校です。
この高校は1950年開校の慶応義塾大学の系列の私立高校で、自由な校風で知られています。
また卒業生は原則として慶応義塾大学に進学できるので、現在では偏差値も跳ね上がっています。
宮脇さんは一般受験でこの高校に合格しており、かなりの学力を有していました。
高校時代までは部活動に所属していませんでした。
宮脇さんはフェンシングの競技では、将来的に生活していくことが難しいと分かっていたため、勉強にも取り組みフェンシング以外の道も残している状態でした。
高校1年生の冬に北京オリンピック銀メダリストで、現在は日本フェンシング協会の会長を務める太田雄貴さんと「オリンピックでメダルを獲得することについて」を話す機会がありました。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「私がオリンピックに行きたいという前提になっていることに驚いたんですが、オリンピックでメダルを獲るためにはどうするかという話をしていただきました。直近の目標、1年後の目標、4年後の目標を書くように言われて、そこに赤ペンでチェックを入れてもらったんです。お話をして太田さんはメダルを獲るべくして獲ったんだなということをすごく感じましたし、そこまでしないとメダルを獲れないということもわかりました。」
引用元:BBM Sports
宮脇さんはこの出来事をきっかけに、高校2年生の時に本格的にオリンピックでのメダル獲得を目指すようになりました。
宮脇さんは当初は理系の道に進むことも考えていましたが、フェンシングのプロとして生きていくことを考えた際に、海外遠征と授業の両立ができる環境を視野に入れるようになりました。
そしてフェンシングの道と両立できる学部選択をしています。
ちなみ太田さんに会うまでは大学は薬学部に進学して、薬剤師になろうと思っていました。
なお競技面では高校時代は既に全国大会でも上位の成績を残していました。
高校2年生だった2013年に、はじめて日本代表に選出されています。
【主な卒業生】
芦田愛菜(女優)
北川悠理(元乃木坂46)
紺野美沙子(女優)
菊池麻衣子(女優)
近藤夏子(アナウンサー)
弘中綾香(アナウンサー)
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宮脇花綸の学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細
出身大学:慶応義塾大学 経済学部 偏差値68(難関)
宮脇花綸さんは高校卒業後は、慶応義塾大学に進学しています。
前記のようにこの大学の系列の高校に在籍していたので、内部進学で進んでいます。
とは言え在籍したのがこの大学の看板学部の経済学部なので、高校時代の学校の成績はよかったはずです。
この大学ではフェンシング部に在籍をして、競技に打ち込んでいました。
はじめて団体戦を経験したことで、バトンを繋いで戦うことの楽しさを知ったといいます。
宮脇さんは大学に入学後は、平日のほとんどの時間を日本代表のチームでの練習に臨んでおり、残りのわずかな時間で授業に出席するという忙しい学校生活を送っています。
日本代表のチームの練習でなかなか大学の部活動に参加をすることができませんでしたが、リーグ戦などには出場をしていました。
なお宮脇さんは大学4年間での一番の思い出について、大学2年生の時に女子フルーレのリーグ戦で1部に昇格した時だと話しています。
また大学時代の一番苦しかった思い出は、2016年のリオオリンピックへの出場権を逃したことで、この出来事は宮脇さんにとって人生で一番の挫折と呼べるほどのものでした。
宮脇さんは当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「まだ大学生だったこともあり、挫折への対処法をよく分かってなくて「あ、もう人生すべて終わりだ」という感じでしばらくパニック状態になっていました。自分の感情を上手くコントロールできなくて本当に一番苦しかったです。」
引用元:ケイスポ
その後は落ち着いて生活をしたいと思い、日本代表の試合を欠場してフェンシングとの距離を取ることや自身の環境を変えることで挫折を乗り越えました。
競技面では前記のように大学2年生だった2016年のリオオリンピックには出場できませんでした。
しかし大学時代も4年間にわたり日本代表の主力選手として活躍していました。
なお大学時代は勉強も頑張って、大学はキッチリと卒業しています。
宮脇さんは大学卒業後もフェンシングを続行しています。
そして2024年のパリオリンピックで、女子フルーレ団体で銅メダルを獲得しています。
これは日本女子フェンシング界のはじめてのオリンピックでのメダル獲得の快挙でした。
また美人アスリートとして人気も高く、数々のバラエティ番組にも出演しています。
今後のさらなる飛躍にも期待ですね。
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