「Lucky Kilimanjaro」の熊木幸丸さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。フロントマンとしてバンドをけん引する熊木さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたしします
熊木幸丸(くまき ゆきまる)
11月30日生(生年非公表)
身長非公表
血液型非公表
埼玉県越谷市出身のミュージシャン
ロックバンド「Lucky Kilimanjaro(ラッキーキリマンジャロ)」のメンバー
本名同じ
以下では熊木幸丸さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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熊木幸丸の学歴まとめ
出身大学:日本大学 経済学部
出身高校:埼玉県立越谷南高校
出身中学校:不明
出身小学校:不明
熊木幸丸の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
熊木幸丸さんの出身小学校は、地元埼玉県越谷市内の公立校のようですが校名などは不明です。
家族構成は両親がいることは分かっていますが、きょうだいの有無については現時点では情報がなく不明です。
子供の頃や小学校時代のエピソード
両親は広告のデザインの仕事をおこなっていたことから、幼少期から当たり前のように物づくりをする環境が自宅の中にあったといいます。
また小さい頃からパソコンに触れており描いたイラストを額縁に飾ってくれるような家庭環境で育っています。
熊木さんは自身の育った環境について「クリエイティブに対して非常に伸ばしてくれるといいますか、認めてくれる家でした」と振り返っていました。
また両親は音楽好きで常に音楽が流れており、父親は趣味でドラムやギターの演奏をしていました。
熊木さんは子供の頃にはゲームが大好きだったことから、ゲームデザイナーになりたいと思っていた時期もあったとのことです。
熊木幸丸の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:不明
熊木幸丸さんの出身中学校は、地元越谷市内の公立校のようですが校名などは不明です。
中学校時代に音楽に目覚めた
中学1年生のときから「音楽を聴く趣味ってカッコいいな」と漠然と思うようになっており、CDショップでCDを借りて自ら音楽を聴くようになりました。
そして熊木さんの音楽人生がスタートしたとのことで、当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「ちょうどポルノグラフィティさんが発売されたベスト盤を聴いて『僕が好きな音楽ってこれかも』とビビッときて(笑)。そこからは自ら音楽を選んで、どんどん聴くようになったことが音楽人生のスタートですね。」
記事引用:@niftyニュース
当時から自然とバンド形態の音楽に惹かれていったといいます。
熊木さんは高校へ推薦での進学が決まっていたことから、周囲の人よりも早く受験が終わり時間がありました。
時間を持て余していましたが、友人はまだ受験勉強中だったため遊ぶことができませんでした。
そんな時に自宅にあったギターを弾いたら女子からモテるのではないかと考えて、熱中できるものが欲しいと思っていたこともあってギターをはじめています。
またこの頃から「ボーカルではなくギターだ」と自身の中にアイデンティティみたいなものが芽生えていきました。
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熊木幸丸の学歴~出身高校(埼玉県立越谷南高校)の詳細
出身高校:埼玉県 越谷南高校 偏差値58~61(学科不明のため)
熊木幸丸さんの出身高校は、県立の共学校の越谷南高校です。
この高校は1974年開校の県立校で、部活動が盛んなことで知られています。
また同校は以下の2つの学科を設置していますが、熊木さんがどちらの学科に在籍したかは不明です。
普通:偏差値61
外国語:偏差値58
なお熊木さんはXでこの高校の出身者であることを明らかにしています。
前記のようにこの高校には推薦入学で進学しています。
高校時代のエピソード
高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
また高校時代も3年間にわたってバンドを組んで、音楽活動をおこなっていました。
当時はハードロックが好きで、ギターを弾くスピードも速い方がかっこ良いと思って演奏をしていました。
【主な卒業生】
斉藤朱夏(声優)
高橋李依(声優)
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熊木幸丸の学歴~出身大学(日本大学)の詳細
出身大学:日本大学 経済学部 偏差値52(普通)
熊木幸丸さんは高校卒業後は、私立大の日本大学に進学しています。
在籍したのは経済学部です。
出身が日本大学である理由
インターネット上に複数の在籍情報があります。
また熊木さんはインタビューで「東京の水道橋にある大学に通っていた」と述べています。
そして日本大学の経済学部のキャンパスは水道橋にあります。
そのためこの大学の経済学部の出身者であることは間違いないでしょう。
大学時代のエピソード
熊木さんは自身の大学生活をインタビューで次のように振り返っていました。
「大学生の頃は本当にお酒を飲むことと楽器を弾くことしかしてこなかったので、褒められるような学生ではなかったです(苦笑)。バンドを始めたのも大学生の終わりくらいで、大学生の時はただひたすら遊んでいました(笑)。」
記事引用:ameblo
大学時代は軽音楽サークルに在籍をしており、サークルで知り合ったメンバーでコピーバンドをやっていました。
また大学入学後にはシンセサイザーをはじめており、いろいろな音楽の広がりがありました。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「大学に入って、ピッチフォーク(音楽レビューサイト)を全部チェックしてるような先輩がいて、その人にいろいろ教えてもらって徐々に知識を増やしていったので」
記事引用:ローリングストーン
そして熊木さんは就職活動をする時期になってオリジナルのバンドをやりたいと思い、同じサークルでよく一緒にコピーバンドをしていたメンバーを誘って「Lucky Kilimanjaro」での活動を開始しました。
このバンドをはじめた時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「実は、その時のことはあまり覚えてなくて、飲み会に行って、気づいたらLINEグループができていたので、たまたまという感じですね(笑)。音楽的なバックグラウンドはLucky Kilimanjaroのメンバーそれぞれ違っていて、音楽的なつながりというより、仲が良かったからみんなでやろうという流れになりました。」
記事引用:ameblo
このバンドは半ば趣味程度ではじめており、メジャーデビューをして本格的に仕事としてやっていこうとは思っていませんでした。
なお熊木さんは大学時代も音楽活動に励んでいましたが、大学は無事に卒業しています。
とは言えバンドは2019年にメジャーデビューを飾っています。
熊木さんはフロントマンとしてバンドをけん引しています。
今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
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