女優の泉ピン子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。タレントとしても人気が高い泉さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介します
泉ピン子(いずみ ぴんこ)
1947年9月11日生
身長154㎝
血液型はB型
東京都中央区出身のタレント、女優
本名は武本小夜(たけもと さよ)
以下では泉ピン子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
泉ピン子の学歴~出身小学校(品川区立日野第二小学校)の詳細
出身小学校:東京都 品川区立日野第二小学校
※現在は品川区立日野学園
泉ピン子さんの出身小学校は、品川区内の公立校の品川区立日野第二小学校です。
泉さんは東京の銀座で生まれています。
きょうだいはおらずひとりっ子です。
母親とは泉さんが2歳の時に死別しており、3歳の時にもともと愛人だった女性と父親が再婚をしています。
泉さんは両親が浪曲師だった影響で子供の頃から歌が大好きでした。
小学4年生の時に近所の人から母親だと思っていた人が継母だったことを知らされて、「おかあちゃん」と呼べなくなくなるほど嫌いになっています。
泉さんは当時美容師になりたかったそうですが、父親からは反対をされていました。
このことを近所の人に話したところ、「本当のお母さんが美容師だからね。髪結いさんだから」と言われて発覚したそうです。
そして「この人と離れるために早くこの家を出たい」とまで思うようになります。
また小学校時代はものまねが得意で弘田三枝子さんや森山加代子さんのものまねを披露していたこともあり、クラスの人気者でした。
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泉ピン子の学歴~出身中学校(品川区立日野中学校)の詳細
出身中学校:東京都 品川区立日野中学校 偏差値なし
※現在は品川区立日野学園
泉ピン子さんの出身中学校は、品川区内の公立校の品川区立日野中学校です。
この中学校は2006年に、小中一貫校の品川区立日野学園になっています。
後述するように泉さんは小学校の頃に継母が実母ではなかったことを知り、早く家を出たいと思っていました。
中学生になっても継母とのわだかまりは消えずに、折り合いはあまりよくなかったことから、毎日が鬱々していたと言います。
当時心の支えになっていたのが歌だったこともあり、ラジオの歌謡曲に夢中になってのど自慢荒らしのようなことをやっていました。
そして中学1年生のときに「テレビ歌まね読本」に出場をして、優勝を勝ち取っています。
この時のことについて次のように振り返っています。
「賞金は1万円。自分と家族に洋服などを買っても、まだお金が余りました。子供心に『これは稼げる』と思ったものです。」
このことがきっかけとなり泉さんはスカウトをされており、当時のことについて次のように話しています。
「それがきっかけでプロダクションにスカウトされて、浅草の映画館のアトラクションで歌うようになりました。そして、三門マリ子の名前をもらって歌手デビュー。北島三郎ショーの前座なんかもやりましたよ。」
記事引用:産経ニュース
ただし三門(みかど)マリ子時代はまったく売れませんでした。
なお泉さんは中学時代の成績は1と2ばかりだったことから、「おいちにの小夜ちゃん」と呼ばれていたそうです。
【主な卒業生】
島袋寛子(SPEED)
今井絵理子(SPEED)
新垣仁絵(SPEED)
上原多香子(SPEED)
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泉ピン子の学歴~出身高校(日本音楽高校)・大学の詳細
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出身高校:東京都 日本音楽高校 音楽科(中退) 偏差値43(容易・現在)
泉ピン子さんが入学したのは、私立の女子高の日本音楽高校です。
この高校は1903年開校の私立高校で、国内で最古の私立の音楽学校として知られています。
また音楽科のみを設置しており芸能活動も可能なことから、古くから女性芸能人が多数在籍していました。
加山雄三さんの妻とは高校時代の同級生で現在でも親友と呼べる仲だそうです。
泉さんは学生時代の成績は非常に悪く、勉強はあまり好きではありませんでした。
しかしモノマネなどが得意で、クラスの人気者でした。
時期は不明ですが、泉さんは継母に授業料のことを文句言われたことで中退をしました。
【主な卒業生】
島倉千代子(歌手)
弘田三枝子(歌手)
工藤静香(歌手・中退)
栗山千明(女優)
深津絵里(女優)
そのため大学などにも進学していません。
泉さんは17歳のときには2歳年上の役者志望の男性と交際をしていたそうです。
後述するように泉さんは中学時代から歌手としてステージに立っていましたが、自身がスターになれる容姿ではないと感じ実家の小料理屋で働くようになります。
この小料理屋の常連には業界関係者の人や芸人が多くいました。
そして泉さんは小料理屋で「漫談家にならないか」とスカウトをされたことで、早く家を出たかった泉さんはこの話に飛びついたそうです。
18歳だった1966年に牧伸二さんに弟子入りして、ギター漫談でデビューを果たしています。
このときの芸名は「泉ピン子」で父親の命名でした。
このことについては次のように話しています。
「泉は泉姓の芸人に売れた人がいないというジンクスへの挑戦。ピン子はピンキリのピンで、『カタカナの方がモダンで年寄り子供にも親しまれやすい』ってことでした」
(若い頃)
泉さんは当初はまったく売れず、キャバレーなどのドサ廻が続きます。
28歳だった1975年にワイドショー「ウイークエンダー」のリポーターに起用されています。
すると下ネタ連発のリポートで「ワーストタレント1位」に選ばれ、良くも悪くも世間の注目を集めました。
1977年には「哀恋蝶」で歌手デビューも果たしています。
1978年には三菱鉛筆「Pin」のCMに出演して、「ピン子のPin」のフレーズで話題になっています。
また当時から女優としても活動しており、1983年に出演したNHKの朝ドラ「おしん」の演技で女優としても注目されています。
さらに1990年から出演したテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は、代表作になっています。
以降は女優やタレントとして数多くのテレビ番組に出演しています。
以上が泉ピン子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
デビュー当初はドサ廻りなども経験している苦労人です。
その後に女優業に進出すると、確かな演技力で地位を築いて数多くの作品に出演しています。
既に年齢は70歳を超えていますが、未だに第一線で精力的に活動しています。
今後も末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1966年に三門マリ子の芸名で歌謡漫談の芸人としてデビューするが売れなかった。
1975年からワイドショー「ウィークエンダー」のリポーターとなると、下ネタなどで話題となる(1984年まで)
同年のテレビドラマ「花吹雪はしご一家」で女優デビュー。
歌手としても活動しており、「哀恋蝶」などをリリースした。
1980年の「手ごろな女」でドラマ初主演。
1983年に出演したNHKの朝ドラ「おしん」の演技で女優としての評価が上がる。
以降は徐々に女優業が中心となり数多くの作品に出演。
テレビドラマの代表作は「渡る世間は鬼ばかり」や「おんなは度胸」、「ドクターX」など。
タレントとしても「ぴったんこカンカン」や「ダウンタウンDX」、「プレバト!」などのバラエティー番組に出演している。
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