飯尾和樹(ずん)の学歴|出身は東京学園高校!大学や中学校の偏差値|公務員になろうと思っていた!

 

お笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。じわじわくるナンセンスなお笑いが持ち味の飯尾さんですが、実は当初は公務員になろうと思っていました。 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

飯尾和樹(いいお かずき)

 

 

19681222日生

身長173

血液型はO型

 

東京都世田谷区出身のお笑いタレント

お笑いコンビ「ずん」のボケ担当

本名同じ

 

以下では「ずん」飯尾和樹さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

飯尾和樹の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:東京学園高校

出身中学校:世田谷区立三宿中学校

出身小学校:世田谷区立駒繁小学校

 

飯尾和樹の学歴~出身小学校(世田谷区立駒繁小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 世田谷区立駒繁小学校

 

 

 

飯尾和樹さんの出身小学校は公立の世田谷区立駒繁小学校です。

 

家族構成は両親と妹、弟の5人家族です(3人きょうだいの長男)。

 

 

3歳年下の妹と6歳年下の弟がいます。

 

両親はともに目黒区役所に務めていました。

 

長男で初孫だったこともあり王子様のように可愛がられたそうで、幼少期のエピソードについてインタビューで次のように話しています。

 

「髪切っただけでハンサムって言われますし、ご飯おかわりしただけで”こいつは凄い!”とか”やる男”だとか(笑)2〜3分の距離を転ばないで帰ってきたらもうヒーローインタビューですよ。”凄いね!転ばなかったね!”って」

記事引用:LINE NEWS

 

プロ野球選手に憧れて小学3年生の時から野球をやっており、早稲田を出てドラフト3位でヤクルトに入るのが将来の夢だったそうです。

 

また飯尾さんは歌が苦手だそうで、小学生の頃に出席番号が1番だったため最初に歌ったことがあり、周囲から「おかしい」と言われて先生から謝られたことがあるそうです。

 

なお小学生時代から人を笑わせることが好きでした。

 

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飯尾和樹の学歴~出身中学校(世田谷区立三宿中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 世田谷区立三宿中学校 偏差値なし

 

 

 

飯尾和樹さんの出身中学校は、地元世田谷区内の公立校の三宿(みしゅく)中学校です。

 

中学時代は野球部に在籍していました。

 

野球部ではレギュラーとして活躍していました。

 

当時はパーマが流行っていたことから、飯尾さんは天然パーマを羨ましがられたそうです。

 

当時のことをインタビューで次のように話しています。

 

「先生からはパーマをかけているのでは、と疑われました。水でぬらすと髪がまっすぐになったので、それで天然のものだと証明はできていましたが…」

記事引用:withnews

 

なお前記のように飯尾さんは中学時代までは本気でプロ野球選手を目指していましたが、才能の限界を感じて野球は中学時代にやめてしまっています。

 

【主な卒業生】

EPO(シンガーソングライター)

石神秀幸(ラーメン評論家)

 

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飯尾和樹の学歴~出身高校(東京学園高校)・大学の詳細・公務員になろうと思っていた!

 

出身高校:東京都 東京学園高校 偏差値41(容易)

※現在はドルトン東京学園高校

 

 

 

飯尾和樹さんの出身高校は、私立の男子校の東京学園高校です。

 

この高校は1889年に、日本で最初の私立の商業高校として開学した伝統校です。

 

ただし2019年に河合塾が経営する男女共学校のドルトン東京学園高校に移行しています。

 

飯尾さんは高校時代はバレーボール部に在籍しており、部活動にも励んでいました。

 

後述するように飯尾さんは小学生時代からプロ野球選手を目指しており、中学生まで野球をやっていましたが才能がないことに気づいたそうで高校ではバレーボール部に入部しました。

 

飯尾さんは高校時代のバレンタインのエピソードについてインタビューで次のように話しています。

 

「バレンタインにチョコをもらえなくて、最終的におふくろが黒い板チョコに白いチョコで『努力』って書いたのをもらいましたからね。そのときは早めに寝ましたよ(笑)。」

 

飯尾さんは高校2年生の時に引っ越しをしており、自分の写真を全て入れていた箱を置き引きされたことがあったそうです。

 

また自身が高校の時はバブルだったそうで、インタビュー次のように話しています。

 

「サラリーマンが月曜から金曜まで働いて、土曜も接待で、日曜は仕事でゴルフ……、そういう生活が続いて、過労で死んだっていうニュースを見て、『何のために働くんだろう』って思ったんですよ。うちの両親は公務員なんですけど、定時で帰ってきて家ではバラエティ番組ばっかり見てるから、ああ公務員がいいなって(笑)。しかもなぜか仙台の公務員になろうと。」

記事引用:文春オンライン

 

飯尾さんは高校時代に推薦で大学進学ができるという話が出ており、公務員になるために大学へ行こうと思っていましたが急に「やっぱりお笑いやりたいな」という思いが強くなったそうです。

 

そして家族団らんのときに今しかないと思い、大学に進学せずにお笑い芸人になることを話したそうです。

 

父親はお笑い芸人になることを賛成してくれたようですが、母親からは反対されたそうです。

 

大学には進学していない

 

そして高校卒業後は大学などには進学せずにお笑いの道を目指しています。

 

しかしどうすればお笑い芸人になれるのかが分からなかったため、間違って劇団の養成所に入所したそうですが、踊りの稽古が合わずに2ヶ月ほどで辞めています。

 

その後はフリーターとして働いていたところアルバイト先の先輩が浅井企画の住所を見つけてきてくれたそうで、インタビューで次のように話していました。

 

「先輩が『これ欽ちゃん(萩本欽一)の事務所じゃない?』と見つけたのが五反田にある『浅井企画』の看板。面接した際に、バレーボール部時代に培った『ハイッ!』という返事が当時の常務に気に入られ、1990年、晴れて事務所所属となった。」

記事引用:デイリースポーツ

 

そして同年にルー大柴さんの舞台でデビューを果たしており、その後は小学校の幼馴染みとコンビ「チャマーず」を結成するも1年で解散しています。

 

また1992年に事務所の後輩の村山ひとしさんとお笑いコンビ「Laおかき」を結成しますが、1997年に解散しています。

 

 

2000年にお笑いコンビ「ずん」を結成しました。

 

 

ところが30歳を過ぎてもほとんど仕事がなく、つらい下積み生活を続けていました。

 

しかしその後はじわじわとテレビでの露出が増えていき、超地味なキャラクターが逆に人気を得ることになります。

 

 

現在でも単独での出演が多いですが、徐々にコンビでの番組出演も増えています。

 

飯尾さんは本業のお笑いのほか、俳優や声優としても活動しています。

 

以上が「ずん」飯尾和樹さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

前記のように長い下積み生活を経験していますが、じわじわと人気を上昇させていつの間にか現在のポジションを築いています。

 

 

苦労人でありますが人柄の良さでも知られていますので、末永い活躍を期待したいところです。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1990年に芸能事務所に所属して、同期はキャイ~ンらがいる。 

1991年にお笑いコンビ「チャマーず」でデビューするも、翌年解散。 

1992年に「La.おかき」を結成するも、1997年に解散。 

以降はピン芸人として活動し、2000年にやすとお笑いコンビ「ずん」を結成。 

2001年から単独で、「笑っていいとも!」の曜日レギュラーを務める(20043月まで)

以降も「リンカーン」や「アメトーーク!」、「シルシルミシル」などのバラエティー番組に出演。 

2006年のドラマ「クロサギ」で俳優デビューし、「ケータイ刑事 銭形命」や「悦ちゃん」などのドラマにも出演。 

私生活では2012年にエステシャンの女性と結婚している。

 

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