医師でタレントの友利新さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。コメンテーターとして数々の情報番組に出演している友利さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
友利新(ともり あらた)
1978年3月30日生
身長166㎝
血液型はO型
沖縄県平良市(現在は宮古島市)出身タレント、医師
本名同じ
以下では友利新さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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友利新の学歴まとめ
出身大学:東京女子医科大学 医学部医学科
出身高校:沖縄尚学高校
出身中学校:宮古島市立平良中学校
出身小学校:不明
友利新の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
友利新さんの出身小学校は、地元宮古島市内の公立校のようですが校名などの詳細は不明です。
ただし出身中学校の校区からすれば、以下の2校のいずれかの可能性が高そうです。
宮古島市立南小学校
宮古島市立平良第一小学校
家族構成は両親と姉2人の5人家族です。
父親は沖縄空輸株式会社の創業者だそうです。
長姉は実業家で次姉は歯科医師をしています。
友利さんは父親の実家で育っており、半農半漁のような環境だったことから採れたての野菜や魚を当たり前のように食べていました。
また小学生の頃からバスケットボールをはじめています。
子供の頃は少しヤンチャな感じだったとのことです。
当時のことについてインタビューでは次のように話していました。
「生粋の沖縄人なので面白いことが大好きで、自分の手は汚さないけど(笑)、楽しそうな場所には必ずいるような子でしたね。」
友利新の学歴~出身中学校(宮古島市立平良中学校)の詳細
出身中学校:沖縄県 宮古島市立平良中学校 偏差値なし
友利新さんの出身中学校は、地元宮古島市内の公立校・宮古島市立平良中学校です。
中学時代もバスケットボール部に在籍をしていました。
友利さんは中学3年生の時に子宮内膜症を患っています。
担当の医師からは今よりも太ったり、ニキビができてしまうかもしれないけれど、将来子供が欲しいのであれば今のうちに治療をした方が良いと言われて治療を開始しました。
薬を飲みはじめるとかなり太り、ニキビもたくさんできたため久々に姉に会った時には友利さんに気付かなかったといいます。
友利さんは治療をすることで外見がボロボロになっていくため医療不信に陥りました。
また産婦人科に受診する際には中学校の制服を着ていたことから、周りからはジロジロ見られて不快な思いもしたようです。
そんな友利さんを完治に導いてくれたのは1人の女医だったとのことで、友利さんは人を健康にしたり、美しくできる医師になりたいと思うようになりました。
また同時に患者さんの話を十分に聞くことができる医師になりたいとも思ったとのことです。
このことがきっかけで医師を志すようになりましたが、それ以前は弁護士になりたいと思っていました。
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友利新の学歴~出身高校(沖縄尚学高校)の詳細
出身高校:沖縄県 沖縄尚学高校 東大・国公立医学科コース 偏差値67(難関)
友利新さんの出身高校は私立の共学校の沖縄尚学高校です。
この高校は1957年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
特に硬式野球部は甲子園で優勝経験がある強豪です。
また同校は以下の5つのコースを設置していますが、友利さんは最上位のコースに在籍していたはずです。
東大・国公立医学科:偏差値67
尚学パイオニアα:偏差値60
尚学チャレンジャー:偏差値58
国際文化科学:偏差値53
尚学パイオニアβ:偏差値48
友利さんは宮古島からこの高校に進学をした際には次姉と一緒に住んでおり、2人暮らしをしていました。
高校時代にはバスケットボール部に在籍をしていました。
また高校時代は地元の予備校に通ったり、アルバイトをおこなっていたことを自身のブログで明かしており、時期が被っていたのかは不明ですが忙しい日々を送っていたようです。
当時の友利さんは当時は武田真治さんの大ファンで写真集やCDはもちろんのこと、出演していたドラマや雑誌も全てチェックをしていました。
飼っていた猫の名前を「シンジ」にするほど大好きだったことを明かしています。
【主な卒業生】
92(GReeeeN)
ソフィー(チューニングキャンディー)
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友利新の学歴~出身大学(東京女子医科大学)の詳細
出身大学:東京女子医科大学 医学部医学科 偏差値63(やや難関)
友利新さんは高校卒業後は、私立大の東京女子医科大学に進学しています。
友利さんは将来は医師になり、宮古島に帰ろうと思い東京の大学に進学をしています。
幼少期から東京に対して強い憧れがあり、大学選びは東京1本だったといいます。
また医学部に進学したきっかけについては、両親の兄が2人とも医師だったという影響が大きかったとのことです。
父方の伯父は軍医でソロモン諸島で戦死をしており、母方の伯父は戦後、東北で勉強をして医師になったとのことです。
友利さんは2人の伯父の話を聞いているうちに医師の仕事に興味を持つようになり、ました。
加えて詳細は後述するように友利さんは中学時代に子宮内膜症を患っており、当時のことがきっかけで医師になりたいと思うようになったとのことです。
当初は上京をすることについて全く恐怖心や不安もありませんでしたが、大学入学後には周囲の人の頭の良さに驚きました。
大学1年生の最初の試験では100人中97位だったとのことで、自分でも驚いてショックを受けたそうです。
それ以降は試験の1か月前には毎日図書館や自習室を利用して勉強をしており、特に大学6年生になってからは国家試験までひたすら試験をこなしていく日々でした。
また大学時代にはカフェでアルバイトをしており、アルバイトで貯めたお金で全身脱毛をしています。
友利さんは大学に入学当初は宮古島に帰る予定でしたが、結局は東京に残っておりこのことについては自身のブログに次のように綴っていました。
「卒業し研修が終わり様々な事が重なり、私は東京に残る事になりました。その間に父を悲しませる別れを決断したり…父の夢だった医師になったもののその後は父が望むような道に進むことはなく、願いを叶える事は出来なかった私ですが」
友利さんの父親はすでに亡くなっていますが、友利さんが宮古島に帰ってきて医師として勤めることを望んでいたようです。
医師としては当初は内科医でしたが、後に皮膚科医に転向しています。
また25歳だった2004年にはミスコンの「ミス日本」に出場して、準グランプリに輝いています。
このミスコンで注目されたことから、2007年からタレントとしても活動を開始しています。
友利さんは主にコメンテーターとして「スッキリ!」や「Mr.サンデー」、「ワイド!スクランブル」などの情報番組に出演経験があります。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が友利新さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
本業は医師ですが、コメンテーターとして数々の情報番組に出演しています。
また著述家としても活動しており、数々の著書も刊行しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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