落語家の立川志の輔さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。バラエティー番組などでもお馴染みの立川さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
立川志の輔(たてかわ しのすけ)
1954年2月15日生
身長176㎝
血液型はA型
富山県新湊市(現在は射水市)出身の落語家、タレント
本名は竹内照雄(たけうち てるお)
以下では立川志の輔さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
立川志の輔の学歴~出身大学(明治大学)の詳細
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出身大学:明治大学 経営学部 偏差値63(現在・やや難関)
立川志の輔さんは高校卒業後は、明治大学に進学しています。
在籍したのは経営学部です。
後述するように立川さんは両親がいなかったため伯父夫婦に育てられており、祖父が「この子は大学へは行かせてやってくれ」と頭を下げて頼んでくれたので、大学に進学をしています。
大学在学中には伯父夫婦から学費や生活費などの仕送りをしてもらっていました。
そのため家賃9000円の四畳半一間、風呂なしのトイレ共同の安アパートに住んでいました。
大学入学後には落語研究会に在籍をしており、伝統ある高座名「紫紺亭志い朝」を引き継いで、5代目紫紺亭志い朝として活動をしています。
また当時はバンドを組んで、音楽活動をおこなっていました。
大学卒業後は様々なアルバイトをしながら、養成所に所属をして演劇の勉強をしていました。
その後に金沢市の広告代理店に勤務しています。
しかし「落語家になりたい」との思いが募り、28歳だった1983年1月に立川談志さんに入門しています。
そして1985年頃からテレビのリポーターやCMの仕事が増えて売れっ子になっています。
今後の活動にも注目ですね。
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立川志の輔の学歴~出身高校(富山県立新湊高校)の詳細
出身高校:富山県 新湊高校 普通科 偏差値54(普通)
立川志の輔さんの出身高校は、県立の共学校の新湊高校です。
この高校は1927年開校の中堅県立高校で、スポーツが盛んなことで知られています。
特に硬式野球部や男子新体操部は県内でも強豪です。
また同校は普通科(偏差値54)のほか商業科(偏差値47)も設置していますが、立川さんは普通科に在籍していました。
立川さんは高校生になると祖父が建てた別家で1人暮らしをはじめています。
またソフトテニス部に在籍をしており、部活動に打ち込んでいました。
ソフトテニスでは県代表としてインターハイに出場をする実力でした。
立川さんは後に高校時代の同級生と結婚をしています。
【主な卒業生】
藤沢さなえ(お笑い・雷鳥)
西野勇士(プロ野球・千葉ロッテマリーンズ)
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立川志の輔の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:不明
立川志の輔さんの出身中学校は、地元新湊市(現在は射水市)の公立校のようですが校名などの詳細は不明です
中学時代もソフトテニス部に在籍をしていました。
中学3年生の時にピンチヒッターで出場をした県の弁論大会で優勝をしています。
立川さんは弁論大会で好き放題、喋っていたところ会場から笑いが出たとのことです。
立川志の輔の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
立川志の輔さんの出身小学校は、地元新湊市内の公立校のようですが校名などの詳細です。
幼い頃に両親が離婚をして母親に引き取られて暮らしていましたが、その1年後に母親が亡くなっています。
小道具店を営んでいた母方の祖父母宅で、母親の兄の伯父夫婦に実の子供のように育てられています。
そのため立川さんには両親の記憶がほとんどありません。
小学生の頃はとにかくよく喋る子供で、「口から生まれたような子供だった」とよく言われていました。
立川さんは学校から帰宅するとそのまま近所の肉屋に行きお手伝いの真似事をしています。
当時から人を笑わすことが好きで、「おつり50万円」と言って大人を笑わせていました。
小学5年生のときに書いた作文で賞を受賞しており、先生からかなり褒められています。
立川さんは特徴のない生徒でバカなグループに入っていたとのことで、かなり印象深い出来事だったようです。
以上が立川志の輔さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
28歳の時に落語家になりましたが、その後は順調にキャリアを重ねています。
本業の落語だけではなく、タレントとしても数々のバラエティー番組やCMに出演しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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