女優の薬師丸ひろ子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は薬師丸さんはもともと芸能界の仕事に興味がなく、学生時代に何度も引退をしようと思っていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
薬師丸ひろ子(やくしまる ひろこ)
1964年6月9日生
身長154.5㎝
血液型はA型
東京都港区出身の女優、歌手
本名は薬師丸博子(読みは同じ)
以下では薬師丸ひろ子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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薬師丸ひろ子の学歴まとめ
出身大学:玉川大学 文学部英文学科
出身高校:都立八潮高校
出身中学校:港区立青山中学校
出身小学校:港区立青山小学校
薬師丸ひろ子の学歴~出身小学校(港区立青山小学校)の詳細
出身小学校:東京都 港区立青山小学校
薬師丸ひろ子さんの出身小学校は、地元港区内の公立校の青山小学校です。
同校では俳優の鶴見辰吾さんと同級生で、幼稚園も同じ園に通っていました。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
両親が共働きだったことから、祖母が面倒をみてくれていましたがしつけには厳しくよく怒られていたそうです。
小学生の頃はピアノを習っており、両親がクラシックが好きだったことから一緒にコンサートに連れて行ってもらいました。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「それぞれの楽器が合わさった時の音色の--音の洪水のダイナミックな感じとか、ピアノの繊細さとかに魅せられていました。あと、5歳年上の姉の影響で、荒井由実さんのころからのユーミンを聴いていました。」
小学校時代は活発な性格でクラス委員を務めていました。
また走るのが速かったことから毎年リレーの選手に選ばれていました。
子供の頃は古いものに魅力を感じており、将来の夢は考古学者でした。
薬師丸ひろ子の学歴~出身中学校(港区立青山中学校)の詳細
出身中学校:東京都 港区立青山中学校 偏差値なし
薬師丸ひろ子さんの出身中学校は、地元東京都港区内の公立校の青山中学校です。
中学2年生の時に女優としてデビューをしており、当時を振り返りインタビューでは次のように話しています。
「13歳でこの仕事をスタートさせてもらって、自分が予想もしないところで映画がヒットしたり、歌も多くの皆さんに聴いてもらったりとか、奇跡的な出来事が幾つも重なって。たまたまそういう巡り合わせで、そういう大きな幸運をいただきました。」
デビュー当初は芸能界の仕事に興味がなく、デビュー作の映画「野性の証明」に出演後は女優を続けるつもりはなかったそうです。
とは言えこの映画で共演した高倉健さんを恩師と尊敬しており、演技ばかりではなく学業などの相談もしています。
また若くしてスターになった薬師丸さんですが、中学時代に高倉さんから「売れてもちゃらちゃらするな」と言われたことから決して浮ついた態度などはとりませんでした。
中学生の頃にはどういう人か分からないままボブ・マーリーのレゲエのコンサートに連れていってもらったことがありました。
中学時代は真っ黒に日焼けをしており、当時のあだ名は「フライパン」だったそうです。
中学3年生の時には受験勉強のため芸能活動を休止しています。
【主な卒業生】
高橋一生(俳優)
森本毅郎(キャスター)
細野晴臣(ミュージシャン)
島田歌穂(女優)
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薬師丸ひろ子の学歴~出身高校(八潮高校)の詳細
出身高校:東京都 八潮高校 偏差値46(やや容易)
薬師丸ひろ子さんの出身高校は、都立の共学校の八潮(やしお)高校です。
高校時代は合唱部に在籍していました。
薬師丸さんは10代の頃から一人で海外旅行を経験しており、インタビューでは次のように話しています。
「わたしは子供のころから、10代のころから海外に一人で行ったりと、どこにでも一人で出掛ける癖がついています。わたしは止めても行くだろうということで、母は見送ってくれました。」
記事引用:シネマトゥデイ
高校2年生だった1981年に映画「セーラー服と機関銃」で大ブレイクをしています。
またこの映画の主題歌で歌手デビューを飾っていますが、楽曲は大ヒットしています。
そのため以降はアイドル歌手顔負けの人気を誇ることになります。
ただし薬師丸さんはあくまでも学業優先のスタンスで映画とたまの歌番組の仕事しかしなかったことから、高校時代はいたって普通の高校生活を送っていたとインタビューで話しています。
高校3年生の時に大学受験をするため1年間芸能活動を休止しています。
薬師丸さんは10代の頃は「いつ辞めようか」と思いながら芸能活動を続けていたそうです。
【主な卒業生】
関根勤(タレント)
二階堂ふみ(女優)
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薬師丸ひろ子の学歴~出身大学(玉川大学)の詳細
出身大学:玉川大学 文学部英米文学科 偏差値48(やや容易)
※現在は英語教育学科
薬師丸ひろ子さんは高校卒業後は、玉川大学に進学します。
高校を卒業したら芸能活動に専念することも考えましたが恩師である高倉健さんに相談したところ、「大学は出ておいたほうがいい」と言われて同大に進学しました。
学業に差し支えないために撮影は長期休暇を使用しておこなわれていたこともあり、仕事を理由に大学の授業を休むこともありませんでした。
そのため芸能活動をしながらも普通の大学生活を送ることができたとインタビューで話しています。
ただし薬師丸さんは大学1年生だった1983年に出演した映画「里見八犬伝」の撮影中に過労と盲腸により、入院となり留年をしています。
また実は薬師丸さんはデビュー以降内心では女優をやめたいと思っており、20歳だった1984年に出演した映画「Wの悲劇」の後に引退を決意しています。
そのため所属事務所の社長の角川春樹さんに引退を申し出ていますが、この際にはとりあえず角川事務所からの独立という形で決着がついています。
出演が既に決まっていた映画「野蛮人のように」と「紳士同盟」には主演しましたが、以降は学業優先のスタンスで大学を卒業しています。
ただし前記のように1年間留年しているので、大学は5年かけて卒業をしています。
以降も映画を中心に活動しています。
27歳だった1991年に、ミュージシャンの玉置浩二さんと結婚した際には大きな話題にな行っています(後に離婚)。
30歳を超えてからはテレビドラマへも出演しはじめます。
「木更津キャッツアイ」や「あまちゃん」、「ど根性ガエル」などの話題作の連続ドラマにも出演していました。
現在でもSPドラマの主演に起用されるほどの高い人気と演技力を誇っています。
以上が薬師丸ひろ子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
高校時代に大ブレイクして、当時はかなりの人気を誇っていました。
連続ドラマや映画の主演作こそ少なくなりましたが、50歳を超えても人気は健在で第一線で活躍しています。
末永い活躍を期待したいところです。
玉置浩二の学歴|出身高校大学や中学校の偏差値|生徒会長だった
経歴/プロフィールの詳細
1978年に映画「野生の証明」のオーディションに合格し、同作で女優デビュー。
1980年の「翔んだカップル」で映画初主演。
1981年の映画「セーラー服と機関銃」で大ブレイクを果たし、主題歌で歌手デビュー。
歌手としては同作のほか、「探偵物語」と「Woman」がオリコン1位を記録している。
以降も「里見八犬伝」や「探偵物語」、「Wの悲劇」など主演映画が軒並みヒットし、1980年代を代表する女優となる。
1997年の「ミセスシンデレラ」で連続ドラマ初主演。
2005年に映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。
2014年にNHK紅白歌合戦に初出場。
私生活では1991年に歌手の玉置浩二と結婚するも、1998年に離婚。
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