「おぎやはぎ」の矢作兼さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は矢作さんは高校時代に小木さんの元カノと交際していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
矢作兼(やはぎ けん)
1971年9月11日生
身長170㎝、体重65㎏
血液型はA型
東京都豊島区出身のお笑い芸人
お笑いコンビ「おぎやはぎ」のツッコミ担当
本名同じ
以下では「おぎやはぎ」矢作兼さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
矢作兼の学歴~出身小学校(豊島区立要小学校)の詳細
出身小学校:東京都 豊島区立要小学校
矢作兼さんの出身小学校は、地元豊島区内の公立校の要(かなめ)小学校です。
家族構成は両親と姉2人の5人家族でした。
しかし両親が離婚をしたことから、矢作さんと姉の1人が母親に引き取られて一緒に暮らしていました。
そのため母子家庭に育っています。
ちなみに矢作さんは父親が大好きだったそうで、小学校の卒業文集には「僕を捨てたお父さんが僕は大好きでした」と書いてあったそうです。
母親と姉とはよく一緒にゴルフをするほど仲が良いそうです。
矢作さんは幼稚園の時からとてもモテており、たくさんの女子たちが矢作さんと「結婚したい」と言っていたそうです。
矢作さんは小学生時代に野球チームに在籍しており、ポジションはキャッチャーでした。
小学生の時に剣道もやっていたそうです。
また小学校時代は放送委員も務めていました。
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矢作兼の学歴~出身中学校(豊島区立千川中学校)の詳細
出身中学校:東京都 豊島区立千川中学校 偏差値なし
矢作兼さんの出身中学校は、地元東京都豊島区内の公立校の千川(せんかわ)中学校です。
相方の小木さんとは高校の同級生ですが、小学校・中学校は別々の学校に通学していました。
矢作さんは中学時代はサッカー部に在籍していました。
矢作さんは体育が得意だったそうで、リレーではアンカーを頼まれるほど走るのが早かったことから運動神経も良かったようです。
小中学生時代は女子からとてもモテたことから、バレンタインのチョコもたくさんもらったそうです。
そのため中学校の卒業式には第2ボタンを求める女子たちが、自宅まで訪ねてきていました。
【主な卒業生】
柴咲コウ(女優)
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矢作兼の学歴~出身高校(北野高校)・大学の詳細
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出身高校:東京都 北野高校 偏差値50程度 (当時・普通)
※現在は板橋有徳高校
矢作兼さんの出身高校は、都立の共学校の北野高校です。
この高校は1939年開校の都立校でしたが、2006年に都立志村高校と統合されて現在は板橋有徳高校になっています。
矢作さんは高校時代はテニス部に在籍しており、キャプテンを務めていました。
また高校時代はファミリーレストランでアルバイトをしていたことをインタビューで話しています。
「僕が初めてアルバイトをしたのは高校生の時で、ファミレスでウエーターをしました。
中学の同級生がそこで働いていて、ボーリング場に併設のファミレスでお客さんも多くないし楽だから、ということで誘われたんです」記事引用:バイトル
ちなみにその店には同級生が8人くらい働いていたことから、遅刻してもタイムカードを押してくれたので助かったそうです。
「おぎやはぎ」の小木さんも同校の出身で同級生でしたが、同じクラスになったのは高校3年生の時だけでした。
矢作さんが高校時代に小木さんから初めて話しかけられた言葉は「近くに良い中華屋あるから行こうぜ」だったとインタビューで話しています。
矢作さんは高校時代は不良っぽいグループのリーダー的存在で、学校を数日間休んだことがあるそうです。
同じクラスになるまではお互いが学校内で目立っていた存在だったことから、ライバル意識を抱き合っており矢作さんは「気持ち悪いやつだな」とまで思っていたそうです。
しかしクラスメートになってからは、仲が良すぎて周囲からは「2人はできているのでは?」とまで言われていたそうです。
そのため当時矢作さんが交際していた女子からは、2人が仲良すぎることが原因で振られたそうです。
また矢作さんが高校3年生の時から7年間交際していた女性は、小木さんの高校1年生の時の交際相手でした。
矢作さんと小木さんはお笑いが好きだったことから高校3年生の学園祭でコンビを組み、ネタを披露しています。
しかしこの時点ではプロのお笑い芸人になろうとは思っていませんでした。
また不良っぽいグループだったことから、高校1年生の学園祭には出席しなかったそうです。
ただしあくまでも「不良っぽい」で、バラエティ番組に出演した際には本人が不良であったことを否定しています。
【主な卒業生】
金田明夫(俳優)
大学には進学していない
高校卒業後は大学などには進学せずに、貿易会社に就職しています。
貿易会社時代の営業成績は優秀で、2年間の上海勤務も経験しています。
また貿易会社時代に「天才・たけしの元気が出るテレビ」に出演したこともありました。
矢作さんがお笑いをはじめようと思ったきっかけは極楽とんぼの加藤浩次さんの出会ったことが大きく関係しているそうで、インタビューでは次のように話しています。
「深夜番組で極楽とんぼを見て、面白くて大好きだったんです。そんなとき、偶然、加藤さんが当時働いていたバーで知り合い、通うようになって。話していると、案外自分もお笑いいけるんじゃないかって(笑)」
記事引用:Numero TOKYO
ちょうど矢作さんの務めていた会社では上海の支店長を任されそうになっていた時期で、このままいけば5年は上海で過ごさなければいけないことから人生の決め時だと思ったそうです。
そのため会社を辞めて、お笑い芸人を目指しました。
ちなみにサラリーマンを辞める際には、加藤さんに相談に乗ってもらっています。
そして24歳だった1995年に小木さんを誘い、「おぎやはぎ」が結成となりました。
コンビは結成6年目だった2001年に、M-1グランプリの決勝に進出してブレイクしています。
以降は数々のバラエティ番組に出演する人気コンビとなっています。
矢作さんは2016年12月に一般女性と結婚したことを発表しており、2019年8月には男児が誕生しています。
以上が「おぎやはぎ」矢作兼さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
所属する「おぎやはぎ」はアラサーでブレイクして、数々のバラエティ番組に出演しています。
また矢作さんはお笑いでの活動のほか、俳優としても活動しておりテレビドラマなどにも出演しています。
今後のさらなる活躍にも期待ですね。
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