大友康平の学歴と経歴|出身は東北学院大学・川越工業高校!中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

ミュージシャンの大友康平さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。「ハウンドドッグ」で一時代を築いた大友さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

大友康平(おおとも こうへい)

 

 

195611日生

身長170

血液型はA型

 

宮城県塩釜市出身の歌手、俳優、タレント

ロックバンド「ハウンドドッグ」のボーカル

本名同じ

 

以下では大友康平さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

大友康平の学歴まとめ

 

出身大学:東北学院大学 経済学部

出身高校:埼玉県立川越工業高校

出身中学校:越生町立越生中学校

出身小学校:越生町立越生小学校

 

大友康平の学歴~出身小学校(越生町立越生小学校)の詳細

 

出身小学校:埼玉県 越生町立越生小学校

 

 

 

大友康平さんの出身小学校は、埼玉県越生(おごせ)町内の公立校の越生小学校です。

 

家族構成は両親と3人家族です(ひとりっ子)。

 

大友さんは宮城県の塩釜で生まれており、その後は親の仕事の都合で子供の頃に埼玉県に移住をしています。

 

実家は商店を経営していました。

 

小学校時代はクラスの人気者で、毎年学級委員長を務めていました。

 

またグループサウンズに影響されて、小学校6年生の頃からギターをはじめています。

 

大友康平の学歴~出身中学校(越生町立越生中学校)の詳細

 

出身中学校:埼玉県 越生町立越生中学校 偏差値なし

 

 

 

大友康平さんの出身中学校は、越生町内の公立校の越生中学校です。

 

中学校時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

 

野球部ではキャプテンを務めていました。

 

また大友さんは中学生の頃にギターに挫折をして、ドラムを始めています。

 

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大友康平の学歴~出身高校(埼玉県立川越工業高校)の詳細

 

出身高校:埼玉県 川越工業高校 建築科 偏差値46(やや容易・現在)

 

 

 

大友康平さんの出身高校は、県立の共学校の川越工業高校です。

 

同校は1908年創立の伝統校で、部活動が盛んなことでも知られています。

 

また同校は以下の6つの学科を設置していますが、大友さんは建築科に在籍していました。

 

機械:偏差値46

建築:偏差値46

電気:偏差値46

デザイン:偏差値45

化学:偏差値45

 

当時のこの高校の野球部は強豪校で練習が厳しかったことから、野球部には入部をせずに社会人チーム「越生クラブ」で野球に励んでいました。

 

高校2年生のときに音楽同好会のようなクラブに入部をして、ロックバンドを結成しドラムを担当していました。

 

高校3年生が卒業する際には「卒業生を送る会」を川越市民会館でおこなっています。

 

これが大友さんにとって初めてのステージとなっており、それほど人はいませんでしたがステージに立ったときには感動を覚えました。

 

この時に「音楽いいな」とロックが好きだと思えた最初の出来事だったと振り返っています。

 

また大友さんが日本のロックに影響を受けたことについては、インタビューで次のように話していました。

 

「僕らの時代は(ローリング・)ストーンズ、ビートルズ、レッド・ツェッペリンといった、今や古典的なロックバンドが現存していてものすごい影響力がありました。そういうバンドを中学生くらいから聴いていたんですけど、高校2年生の時に矢沢永吉率いるCAROLが出てきて、日本語のロックがカッコイイなと。」

引用元:ぴあ関西版WEB

 

また大友さんは高校時代に社会人や大学生バンドに潜り込み、ドラマーとして演奏をしていましたが当時はディスコではなく、ダンスパーティーの時代で生バンドを演奏する中みんなが踊っているような状態でした。

 

【主な卒業生】

平原康多(競輪選手)

 

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大友康平の学歴~出身大学(東北学院大学)の詳細

 

出身大学:東北学院大学 経済学部 偏差値45(容易)

 

 

 

大友康平さんは高校卒業後は、東北学院大学に進学します。

 

この大学には1年間の浪人生活を経ての進学です。

 

大学では経済学部に在籍して、社会科の教師の資格も取得しています。

 

大学時代は軽音楽部に入部をして音楽活動をする傍ら、コントグループを組んでお笑いもおこなっていました。

 

当初は今田青春さんという方がリーダーで4人のコントグループで活動をしており、東北放送の公開放送の前説などをしていました。

 

ある程度、評価はされていたとのことですが、今田さん以外のメンバーが抜けたことから「青春&康平」というお笑いコンビを組んで活動をしています。

 

また大学2年生の時に学校の仲間と共にロックバンド「HOUND DOG」を結成しており、サークルの春の発表会で正式なライブを披露しました。

 

大友さんは自身の大学時生活のことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「本当にあの時は音楽もお笑いも両方やってたんですよ、学生時代。遊び半分で。どっちでも、とにかくウケたらそっち真剣にやろうと思って。本当に音楽で良かったですね。笑わせるってめちゃめちゃ難しいですよ」

引用元:スポニチ

 

大友さんが高校時代に影響を受けた矢沢永吉さんがソロになり歌う姿を見て、大学4年生の頃にマイクスタンドを振り回しながら歌ってみたいと思うようになりました。

 

大友さんは大学を卒業すると家業を継がなければいけないと思っていたことから、最後にやりたいことをしようと思い、ドラマスティックは置いてマイクスタンドを振り回しながら歌うようになったことがきっかけで、後にデビューをしています。

 

このことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「僕は一人っ子だったんで、(実家の)大友商店を継がなければいけなくて。最後ぐらいは、(ドラムの)スティックを置いてマイクスタンドを振り回して歌いたいと思ったんです。その最後のコンサートが仙台の音楽関係者の目に止まって、“プロでやってみないか”って声を掛けられて、デビューすることになりました」

引用元:ぴあ関西版WEB

 

 そして大学4年生だった1979年に出場したCBSソニーのオーディションで合格してプロデビューが決まります。

 

 

なお大友さんは学業も頑張って、大学は卒業しています。

 

グループはデビュー2年目でスマッシュヒットを飛ばして、注目を集めています。

 

 

そして1985年にで名曲の「ff(フォルティシモ)」で大ブレイクを果たします。

 

 

その後はバンド活動の傍ら、俳優やタレントとしても活動し、数多くの番組にも出演してきました。

 

 

未だに根強い人気を誇るだけに、末永い活躍を期待したいところです。

 

 

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経歴/プロフィールの詳細

 

1976年に「ハウンドドッグ」を結成。 

1979年にグループはCBSソニーのオーディションで合格し、1980年の「嵐の金曜日」でデビュー。 

1982年の5thシングル「浮気な、パレット・キャット」がカネボウのCMに使用されて注目される。

1985年に10thシングル「ff(フォルティシモ)」が大ヒットしてブレイク。

1990年の主演映画「ゴールドラッシュ」で俳優デビュー。

以降も「のど自慢」や「パッチギ!」、「笑う警官」などの映画に出演。

「女子アナ。」や「全力失踪」、「ドクターX」などのドラマにも出演。 

2005年からは自分一人でハウンドドッグを名乗っている。



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

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