将棋棋士の羽生善治さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数々の最年少記録を打ち立てて現在も将棋界にレジェンドとして君臨する羽生さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
羽生善治(はぶ よしはる)
1970年9月27日生
身長172㎝
血液型はAB型
埼玉県出身の棋士
段位は九段
以下では羽生善治さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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羽生善治の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:都立富士森高校→都立上野高校
出身中学校:八王子市立恩方中学校
出身小学校:八王子市立元木小学校
羽生善治の学歴~出身小学校(八王子市立元木小学校)の詳細
出身小学校:東京都 八王子市立元木小学校
羽生善治さんの出身小学校は、地元八王子市内の公立校の元木小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
羽生さんは埼玉県所沢市出身ですが、幼稚園に入るころから八王子市に転居しています。
小学校1年生の時に近所の同級生から駒の動かし方を教わったことがきっかけになって将棋をはじめています。
小学校時代は印象の薄い生徒だったとインタビューで述べています。
「あまり学校の先生から褒められたっていう記憶はないですね。怒られたっていう記憶もほとんどありません。自分で言うのも何ですが、非常に印象の薄い生徒だったと思います」
記事引用:ダイヤモンドオンライン
当時の得意科目は算数で、小学校2年生の時から公文式に通っていました。
学校の宿題や勉強に関しては「支障のない程度にやっていた」と語っています。
また羽生さんは小学校2年生の時から「八王子将棋クラブ」に通いはじめて、本格的に将棋をはじめています。
すると急激に力をつけて小学校3年生の時にはアマチュア初段、4年生で四段、5年生で五段となっています。
小学校5年生の夏休みには4つの小学生の大会で優勝を遂げるほどでした。
そして小学校6年生の4月に「小学生将棋名人戦」で優勝して、同じ年にプロ棋士を目指して奨励会に入会しています。
ただし羽生さんは小学生時代は将棋一筋というわけではなく、小学校高学年の頃には「キャプテン翼」の影響で、サッカーに熱中していたと話しています。
「休み時間は、小学校の高学年の頃は、だいたいサッカーをしていました。『キャプテン翼』の漫画とともにサッカーが流行り始めた頃だったので。郊外の学校でグラウンドが広かったこともあり、20分休みや昼休みなどの長い休み時間は、ほとんど外でサッカーでしたね」
記事引用:ダイアモンドオンライン
またルービックキューブやヨーヨーなどの流行りものでも一通り遊んだとも語っています。
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羽生善治の学歴~出身中学校(八王子市立恩方中学校)の詳細
出身中学校:東京都 八王子市立恩方中学校 偏差値なし
羽生善治さんの出身中学校は、地元八王子市内の恩方(おんがた)中学校です。
小学生時代にプロ棋士を目指す奨励会に入会していたので、中学時代も将棋に打ち込んでいます。
また羽生さんは中学3年生まで公文式に通っていたことをインタビューで明らかにしています。
当時は18時50分~19時まで放送されていたテレビアニメ「ドラえもん」の前までに公文式の宿題を終わらせることが日課だったとのこと。
そして中学3年生の12月に四段に昇進してプロ棋士になっています。
当時中学生のプロ棋士は加藤一二三さん、谷川浩司さんに続いて史上3人目でした。
ちなみに藤井聡太さんが中学生でデビューして快進撃を続けた際には、羽生さんは「自分の中学生時代より強い」と語っていました。
【主な卒業生】
飯窪春菜(元モーニング娘。)
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羽生善治の学歴~出身高校(都立富士森高校・都立上野高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 富士森高校 偏差値53(普通)
※都立上野高校の通信制課程に転校して卒業
羽生善治さんが入学したのは、都立の共学校の富士森高校です。
同校は八王子市にある都立の中堅校で、漫画家の浦沢直樹さんも卒業生です。
羽生さんは中学3年生の時にプロデビューを果たし、高校時代もおよそ年間80局も対局をしています。
そのため高校は月に10日ほどは休むことになってしまい、本人も「悪い生徒だった」とインタビューで述べています。
「学校は月に10日弱近くは休んでいたので、ちゃんと行っていたとは言えないですね。だから、生徒としては、多分悪い生徒だったと思います」
ただし持ち前の記憶力の良さなどで、高校時代の試験の成績はよかったそうです。
ただし学校が終わると新幹線で大阪に行って対局し、始発の新幹線で東京に戻ってくると東京駅のホームには母親が待っており、対局用のカバンと学校用のカバンを交換して学校に登校したという慌ただしいエピソードも残っています。
それでも出席不足に陥って、最終的には都立上野高校の通信制課程(偏差値なし)に転校して、卒業しています。
なおこの高校の通信制課程は2006年に閉課になっています。
羽生さんも当時を振り返り、学校は休みがちだったので「多分、悪い生徒だった」と語っています。
ただし高校時代は棋士として急成長を遂げており、高校1年生の時には全棋士中1位の勝率0.741(40勝14敗)を記録して、将棋大賞の新人賞と勝率一位賞を受賞しています。
そして高校2年生の12月に17歳2か月で天王戦に優勝しています。
高校3年生の時には対局数、勝利数、勝率、連勝記録の4部門を独占して将棋大賞の最優秀棋士賞を史上最年少で受賞しています。
また羽生さんの活躍を受けてそれまでは棋士になるには高校に通わないのが多数派でしたが、羽生さんらがキッチリと高校を卒業したことなどから、以降は高校に通学しながら棋士を目指すのが主流となります。
加えて羽生さん自身も「高校に通うことで、将棋以外の世界を知れてよかった」ともインタビューで述べています。
大学には進学していない
そして羽生善治さんは高校卒業後は大学に進学せずに、棋士としての活動に専念しています。
高校も十分に通学できないほどでしたから、さすがに大学には進学しませんでした。
そして高校を卒業した年に初タイトルとなる「竜王」を獲得。
この際には当時の史上最年少記録というオマケまでついていました。
そして26歳の時に史上初となる7冠独占を達成。
この年に女優の畠田理恵さんと結婚もしています。
以降の活躍も周知の通りで、長らく将棋界の第一人者として君臨し、将棋界では初となる国民栄誉賞も受賞することになりました。
以上が羽生善治さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
その後の活躍は説明不要で、将棋を知らない人でも羽生さんのことは知っているくらいの輝かしい功績を残してきました。
また羽生さんに影響されてプロ棋士を目指した人も少なくなく、将棋界への貢献も計り知れません。
さらには将棋界で初となる国民栄誉賞も受賞しています。
まさに日本の将棋界を背負っている存在といっても過言ではないので、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1982年に小学校6年生で奨励会の入会試験に合格。
1985年12月に四段に昇格し、史上3人目の中学生棋士となる。
1988年に最優秀棋士賞を史上最年少で受賞。
1996年に史上初となる7冠独占を達成。
2008年に永世名人の資格を得て、史上初の永世六冠を達成。
2018年1月に囲碁の井山裕太とともに国民栄誉賞の受賞が決定。
私生活では1996年に女優の畠田理恵と結婚し、1997年に長女、1999年に次女が誕生している。
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