櫻井翔の学歴と経歴|出身は慶応大学・慶応義塾高校!中学校の偏差値と若い頃や高校時代のかっこいい画像

 

人気アイドルグループ「嵐」の櫻井翔さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。名門大学を卒業している櫻井さんですが、高校・大学時代を通じて学業と仕事を両立させています。学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコいい画像なども併せてご紹介いたします

 

櫻井翔(さくらい しょう)

 

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1982125日生

身長171

血液型はA型

 

群馬県前橋市出身(東京港区育ち)の歌手、俳優、タレント

アイドルグループ嵐のメンバー

本名同じ

 

以下では櫻井翔さんの学歴や経歴、出身中学校・高校・大学の偏差値、学生時代のエピソード、若い頃のかっこいい画像などをご紹介していきます。

 

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目次

櫻井翔の学歴まとめ

 

出身大学:慶応義塾大学 経済学部

出身高校:慶応義塾高校

出身中学校:慶応義塾普通部

出身小学校:慶応義塾幼稚舎

 

櫻井翔の学歴~出身小学校(慶応義塾幼稚舎)の詳細

 

出身小学校:東京都 慶応義塾幼稚舎

 

 

 

【公式HP】

http://www.yochisha.keio.ac.jp/

 

櫻井翔さんの出身小学校は私立の共学校の慶応義塾幼稚舎です。

 

この小学校は1874年開校の伝統校で、日本でもっとも古い私立小学校です。

 

また系列の慶応義塾大学の人気から受験者も多く、入試の志願倍率は慶応義塾横浜初等部に次いで全国2位の狭き門となっています(毎年10倍程度)

 

家族構成は両親と妹、弟の5人家族。(3人きょうだいの長男)

 

 

妹は5歳年下、弟とは13歳年下と年が離れています。

 

「翔」という名前は母親が好きだった作家の柴田翔さんにあやかって名づけています。

 

父親の元総務省の官僚だった桜井俊さんは櫻井さんを将来的には外交官などにしたかったため、この小学校に入学させています。

 

櫻井さんは子供の頃からかなり多くの習い事をしており、3歳からエレクトーン、10歳からピアノ、その他にも剣道や水泳、ボーイスカウトにも入っていました。

 

その他にもトランペットやトロンボーンを習っていたこともありました。

 

MAXで8つもの習い事を掛け持ちしており、小学校にはバス2本を乗り継いで通学していたこともあり、その際は遊ぶ暇もなかったそうです。

 

 

また櫻井さんはスポーツも得意で小学校5年生の時からサッカークラブに入部して、一時はブラジル留学を考えるほどサッカーにのめり込んでいます。

 

小学校の高学年の頃はサッカーとラグビーを掛け持ちしていました。

 

ちなみにラグビーのポジションはスクラムハーフでした。

 

小学生の頃はシャイである反面、目立ちたがり屋でもあったそうです。

 

 

なお自由民主党の衆議院議員の中曽根康隆さんは、小学校から大学までの同級生です(ただし大学の学部は異なる)。

 

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櫻井翔の学歴~出身中学校(慶応義塾普通部)の詳細

 

出身中学校:神奈川県 慶応義塾普通部 偏差値68(難関)

 

 

 

【公式HP】

http://www.kf.keio.ac.jp/

 

櫻井翔さんは小学校卒業後は、系列の男子校の慶応普通部に進学しています。

 

この中学校も1898年開校の名門校で、横浜市港北区にあります。

 

小学校は共学校だったことから、中学入学後は360度男子しかおらず、入学後2週間ほどは「何というところに来てしまったんだ」と絶望したと語っています。

 

中学時代もサッカー部に入部してサッカーに打ち込んでいます。

 

中学2年生だった1995年に自らの意思でジャニーズ事務所に応募して合格しています。

 

 

ただし本気で芸能界を目指したのではなく、友達とノリで応募したところあっさり受かってしまい、合格通知が来た際には「どういうことか?」と親に問い詰められています。

 

最終的には両親はジャニーズ事務所に入所することを認めていますが、「成績が下がったらすぐにJr.を辞めさせる」というのが条件だったため、中学時代からジャニーズでの活動よりも学業を優先させています。

 

 

ちなみにジャニーズ事務所の同期は、舞台俳優でダンサーとしても活動している屋良朝幸さんです。

 

また芸能活動をするにあたって学校に相談していますが、この中学校は非常に自由な校風で知られており、櫻井さんに対する回答は「それはご家庭の判断で」というものでした。

 

加えて中学・高校ともに男子校だったことから、ジャニーズ事務所のアイドルとして活動してもキャーキャー言う人が周囲に誰もいなかったことから、非常に楽だったそうです。

 

櫻井さんは以降は学校の傍らで、歌やダンスのレッスンを開始しています。

 

 

なお中学時代に渋谷でカツアゲされたことが報じられています。

 

「リハーサルで舞浜まで行く前に渋谷で待ち合わせて、もう1人の男子との3人で街ブラしようとなりました。待ち合わせ場所にいると、急にコワモテの男子から近寄られて、『金出せ』とカツアゲの被害に遭ったそうです。櫻井が『電車賃だけ残してください』と告げると、ビンタされたとか」

記事引用:LINE NEWS

 

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櫻井翔の学歴~出身高校(慶応義塾高校)の詳細

 

出身高校:神奈川県 慶応義塾高校 偏差値75(超難関)

 

 

 

【公式HP】

https://www.hs.keio.ac.jp/

 

櫻井翔さんの出身高校は、私立の男子校の慶応義塾高校です。

 

同校は県内屈指の難関校で、ほとんどの卒業生が系列の慶応大学に進学します

 

高校時代もジャニーズJr.として活動していたので、部活動などはおこなっていません。

 

ただし高校2年生の文化祭では先輩たちとダンスチームを組んでステージに上っています。

 

なお櫻井さんは試験のひと月前からは仕事を休むなど、当時も徹底して学業優先を貫いてきました。

 

また櫻井さんは「あんなこと(ジャニーズJr.での活動)をやってるから成績が落ちると言われたくなくて」、熱があっても仕事で忙しくても高校時代は無遅刻無欠席で通していたとインタビューで語っています。

 

仕事面では高校1年生だった1997年に、今井翼さんと「翼翔(つばしょう)組」を結成しています。

 

このユニットは「嵐」の結成とともに活動休止になっています。

 

高校3年生だった1999年に、相葉雅紀さんや松本潤さん、二宮和也さん、大野智さんとともに「嵐」を結成しています。

 

 

ちなみに当初は「嵐」は滝沢秀明さんと今井翼さんを中心に、メンバーの構想が練られていました。

 

その際には櫻井さんは学業優先のスタンスをとっていたことから、候補者の中でも10番手以下でした。

 

ところが当時のジャニーズ事務所・社長のジャニー喜多川さんが構想を練り直した結果、櫻井さんと二宮さんを軸にメンバー選定がおこなわれました。

 

加えて当時の櫻井さんはジャニーズjr.としての活動は高校時代までと決めていました。

 

そして当初は「嵐」が期間限定ユニットだと聞いており、メンバー入りを承諾しています。

 

なお「嵐」のメンバーが発表された1999年9月の記者会見の際には、メンバー入りが確実視されていた滝沢秀明さんが含まれていなかったのでマスコミは拍子抜けしたと言われています。

 

櫻井さんと滝沢さんは同い年でしたが、当時は滝沢さんのほうが遥かに売れっ子でした。

 

ちなみに当時の櫻井さんと滝沢さんは不仲で知られており、滝沢さんが「嵐」のメンバーに選ばれなかった理由は2人の不和とも言われています。

 

とは言えこの年の11月にファーストシングル「A・RA・SHI」でメジャーデビューを飾っています。

 

 

すると楽曲はいきなり大ヒットを記録して、この年のNHK紅白歌合戦にも初出場しています。

 

このように櫻井さんは急激に仕事量も増えましたが、成績を落とさずにこのような難関校を卒業したのは立派です。

 

 

デビュー後はテレビの番組の収録で地方に行ったときも日帰りで東京に戻り、翌日には学校のテストを受けるというハードな日々を過ごしていました。

 

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インタビューでも当時を次のように振り返っています。

 

「嵐の他のメンバーは事前に会場に行っていましたが、僕は塾高の授業に最後まで出てから1人で新横浜から仙台、大阪、名古屋に行って夜のバレーボールの試合を応援する。そして間に合えば深夜、間に合わなければ翌朝に戻ってきて学校に行く、という感じでした」

記事引用:三田評論

 

ただしそんな生活をしていたので、たびたび授業中に居眠りをしてしまったそうです。

 

なお前記のように櫻井さんは高校時代限りでジャニーズ事務所を辞めるつもりでしたが、いきなりグループがブレイクしてしまったので「はじまったものはちゃんとやろう」と大学進学後も芸能活動をすることを決意しています。

 

また結成当初からどうやってグループを売っていこうか考えており、グループをけん引する役割を松本さんとともに担っています。

 

【主な卒業生】

石破茂(政治家)

河野太郎(政治家)

石原裕次郎(俳優)

石坂浩二(俳優)

岩田剛典(三代目J Soul Brothers)

小出恵介(俳優)

伊藤あさひ(俳優)

ミッツ・マングローブ(タレント)

 

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櫻井翔の学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細

 

出身大学:慶応義塾大学 経済学部 偏差値67(超難関)

 

 

 

【公式HP】

https://www.keio.ac.jp/ja/

 

櫻井翔さんの出身大学は、私立の名門大学の慶応義塾大学です。

 

この大学の系列の高校に通学していたことから、大学へは内部進学で進んでいます。

 

 

とは言え経済学部は同大の看板学部で、毎年コンスタントに単位を取らなければ進級できないことで知られています。

 

また櫻井さんもあえて難しいこの学部を選んだことをインタビューで話しています。

 

「その学部を仕事しながらでも卒業できれば、大学生活を全うしたと胸を張って言えるんじゃないかと。分かりやすく、大人に認めてもらえるんじゃないかって思ってた。つまりあの学部は比較的ラクな方だよね、そりゃ嵐やりながらでも卒業できるよねって言われたくない。そう思われるのはショックだって思っていたんだよね。当時の僕には、誰にも文句を言わせる余地を与えたくなかったのかもしれないね」

記事引用:ガールズちゃんねる

 

後にSexy Zoneの菊池風磨さんも慶応大学に進学していますが、ジャニーズ事務所のタレントで慶応大学に進学したのは櫻井さんが初でした。

 

 

なお父親の桜井俊さんからは、「慶応義塾大学に落ちたらジャニーズを辞めろ」とかなりのプレッシャーをかけられていました。

 

大学の同期にはTBSのアナウンサーの赤萩歩(法学部)さん、ラグビー元日本代表の廣瀬俊朗(理工学部)さんがいます。

 

櫻井さんはテスト期間などは撮影スケジュールを調整してもらいながら大学時代は授業はできるだけ出席していました。

 

また撮影現場で衣装のまま新聞を読みふけっていたこともしばしばでした。

 

芸能活動に反対だった父親の俊さんとの約束で、留年せずに4年間でキッチリと同大を卒業しています。

 

当時の嵐は既に人気アイドルグループでしたし、櫻井さんも単独でドラマ出演などをしはじめていたのでかなり多忙だったはずですが、仕事と学業を見事に両立させたのは立派です。

 

ドラマの収録などで忙しい時はファミレスなどで勉強をして、1週間の睡眠時間が8時間ほどのこともあったほどです。

 

また仕事面で櫻井さんは大学時代に俳優としての足掛かりを築いており、人気作の連続ドラマや映画に立て続けに起用されています。

 

「天国に一番近い男 教師編」(大学2年生)

 

 

「木更津キャッツアイ」(大学2年生)

 

 

「ピカ☆ンチ」(大学2年生・初の映画主演作)

 

 

「よい子の味方~新米保育士物語」(大学3年生・初のドラマ単独主演作)

 

 

「劇団演技者」(大学4年生)

 

「ピカ★★ンチ」(大学4年生・主演映画2作目)

 

 

大学時代には嵐の活動以外にもこれだけの作品に出演しています。

 

そして大学は留年などをすることなくキッチリと卒業しています。

 

 

当時は「嵐」は既にトップアイドルでしたし俳優としても人がありましたが、学業も両立したのは素晴らしいことですね。

 

※追記

櫻井翔さんは2021年9月28日に、同じ「嵐」のメンバー相葉雅紀さんとともに結婚を発表しました。

 

お相手は一般人で、元テレビ局員で大学時代から親交のある同学年の女性と報じられています。

 

交際期間は2年以上とのこと。

 

以上が櫻井翔さんの学歴や大学・高校・中学校・小学校時代のまとめです。

 

大学卒業後の活躍は周知の通りで、嵐はジャニーズ事務所の中でもトップクラスの人気アイドルグループに成長しました。

 

また俳優としても数々のテレビドラマや映画に主演しており、新垣結衣さんや北川景子さん、桐谷美玲さんら並み居る人気女優が相手役を務めています。

 

最近は嵐のほかにも俳優やキャスターとしての顔を持ち、活動の幅を広げています。

 

2019年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設すると、チャンネル登録者は300万人を超えています。

 

 

また公式のインスタグラムも開設しています。

 

各方面で絶大な人気を誇る人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。

 

 

櫻井翔の経歴・プロフィールの略歴

 

1982年(0歳):群馬県前橋市で生まれる(東京都港区育ち)

1995年(13歳)ジャニーズ事務所入所

1999年(17歳):「嵐」結成

1999年(17歳):ファーストシングル「A・RA・SHI」でメジャーデビュー

2002年(20歳):「ピカ☆ンチ」で映画初主演

2003年(21歳):「よい子の味方~新米保育士物語~」で連続ドラマ初主演

2006年(24歳):「ハチミツとクローバー」で初の映画単独主演

2009年(27歳):「嵐」がNHK紅白歌合戦初出場

2013年(31歳):バラエティ番組「今、この顔がスゴい!」で初のMC

2020年(38歳):「嵐」の58枚目シングル「カイト」が初のミリオンヒット

2020年(38歳):「嵐」が活動休止

2021年(39歳):初の単独冠番組「1億3000万人のSHOWチャンネル」が放送開始

2021年(39歳):一般人女性と結婚

2022年(40歳):NHK紅白歌合戦のスペシャルナビゲーターを務める

2023年(41歳):第一子が誕生

 

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