「ヤバイTシャツ屋さん」のこやまたくやさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。バンドの活動のほか映像作家やMV監督などとしても活動しているこやまさんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
こやまたくや
1992年10月23日生
身長非公表
血液型非公表
京都府京都市出身のミュージシャン
ロックバンド「ヤバイTシャツ屋さん」のメンバー
本名は小山拓也(読みは同じ)、別名義は寿司くん
以下ではこやまたくやさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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こやまたくやの学歴まとめ
出身大学:大阪芸術大学 芸術学部映像学科
出身高校:京都府立莵道高校
出身中学校:宇治市立宇治中学校
出身小学校:宇治市立莵道第二小学校
こやまたくやの学歴~出身小学校(宇治市立莵道第二小学校)の詳細
出身小学校:京都府 宇治市立莵道第二小学校
こやまたくやさんの出身小学校は、地元宇治市内の公立校・宇治市立莵道第二小学校です。
公務員の父親とピアノ講師の母親の元に生まれています。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
母親がピアノの先生だったことから、子供の頃からジャズやクラシックのコンサートに連れて行ってもらう機会が多く音楽が身近にある環境で育ってきました。
こやまさんは京都市内で生まれており、5歳の頃に宇治市に引っ越しをしています。
自身の反抗期については3歳の時だったと話しており、祖父の家のたんすや押し入れのふすまを舐めて怒られることを楽しんでいたと言います。
また小学生の頃から漫画を描くのが好きでした。
こやまたくやの学歴~出身中学校(宇治市立宇治中学校)の詳細
出身中学校:京都府 宇治市立宇治中学校 偏差値なし
こやまたくやさんの出身中学校は、地元京都府宇治市内の公立校・宇治市立宇治中学校です。
親交のあるミュージシャンの岡崎体育さんもこの中学校の出身者ですが、3学年上なので在校期間は重なっていません。
中学時代はテニス部に在籍をしていました。
中学2年生の頃からギターをはじめる
中学2年生の時にギターを始めており、きっかけについてはインタビューで次のように話しています。
「母親がピアノの先生をやっていて、自分も何か楽器できないとヤバイんちゃうかな?と思い始めて。で、何となくギターを手に取って、マキシマム ザ ホルモンとかずっと弾いてましたね。」
またテニス部での練習の際にはラケットでエアギターをやっており、女子からは全然モテなかったというエピソードを明かしています。
【主な卒業生】
川島明(お笑い・麒麟)
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こやまたくやの学歴~出身高校(府立莵道高校)の詳細
出身高校:京都府 莵道高校 偏差値54(普通)
こやまたくやさんの出身高校は、府立の共学校の莵道(とどう)高校です。
この高校は1985年開校の中堅府立高校です。
また同校は全校生徒の約4分の3が何らかの部活に所属するほど部活動が盛んです。
高校時代のエピソード
高校時代はフォークソング部に在籍をする傍ら、放送部でも活動をしており映像作品なども製作していました。
放送部では「NHK高校放送コンテスト」に出場しており、全国大会に出場経験があるようです。
こやまさんは中学時代からギターをやっていましたが、中学・高校時代は友人がいなかったためバンドを組むことができずに自宅で弾いているだけだったといいます。
高校1年生の時に10-FEET主催の「京都大作戦というロックバンドのフェスに足を運んでおり、そこではじめて10-FEETを見て「あ、10-FEETみたいなバンドやらなあかん」と思ったことを明かしています。
こやまさんはこのライブにはマキシマムザホルモンを目当てに参加をしましたが10-FEETがすごすぎたそうで、以降は10-FEETのコピーをひたすらしていたとのことです。
またこやまさんが通っていた高校は校則が厳しかったそうですが、なぜか髪の毛に関する校則だけありませんでした。
さすがに染髪は禁止だったことから、こやまさんはひたすら髪の毛を伸ばしていました。
当時のことについては「先生とかも、校則に長さについての記載がないからなんもとがめられへん。僕はもうひたすら伸ばしてて。」とインタビューで話しています。
そしてある時に生徒指導の先生に「何かに憧れているんか?」と聞かれたそうで、この頃は少し尖っていたかもしれないと振り返っています。
【主な卒業生】
川島明(麒麟)
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こやまたくやの学歴~出身大学(大阪芸術大学)の詳細
出身大学:大阪芸術大学 芸術学部映像学科 偏差値42(普通)
こやまたくやさんは高校卒業後は、大阪芸術大学に進学しています。
この大学に入学前にいろんな芸術大学の学園祭に行っており、大阪芸術大学の雰囲気が一番良いと感じました。
学生の雰囲気や大学の空気感が良かったことから、この大学に進学したいと思ったことを明かしています。
この大学の放送学科も受験していましたが最終的に映像学科を選んでおり、その理由については「総合芸術の映像なら自分が面白いと思っているものを一番表現しやすいんじゃないかなと思ったから」だと話しています。
大学時代のエピソード
詳細は後述するように高校時代に映像制作をしており、それが楽しかったため大学で本格的に学びたいという思いもあったといいます。
また大学1年生の時には自宅の下にあった割烹料理屋で1年程アルバイトをしており、まかないが充実していたことから食生活に恵まれて健康的だったとのことです。
しかしこの頃は学校とアルバイトには行っていましたが、すごくダラダラとした日々を送っておりこのままではやばいぞと思いはじめました。
大学に入学後には軽音楽サークルに在籍をしており、バンドを結成しています。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「楽器をやっている人がいっぱいいて、“これやったらバンドを組めるかもしれん”と思って。結局、友達はあまりできなかったけど、サークル内で後輩ができて、“後輩やったら言うこと聞いてくれるやろ”と2人を誘ってまんまとバンドを組んだんです。」
大学時代に「ヤバイTシャツ屋さん」を結成
20歳だった2012年に初代「ヤバイTシャツ屋さん」を結成しますが、すぐに活動休止に追い込まれています。
こやまさんはその後は映画の撮影現場でアルバイトもしており、当時のことについて次のように話しています。
「撮影現場では、監督の補助だったり、装飾美術的なことをやりましたね。けっこう大きな作品の現場だったので、ものすごく多くの人が動いていて、実際の現場のすごさを勉強しました。」
記事引用:フロムエーナビ
そして大学3年生になるとMVを作ったり自身が創ったキャラクター商品をお店に卸したりしており少しずつ稼ぐことができるようになったためアルバイトを辞めています。
大学4年生だった2014年7月に、しばたありぼぼさんともりもりもとさんとバンド「ヤバイTシャツ屋さん」を結成しました。
翌年には関西でも最大級の音楽コンテスト「eo Music Try」でグランプリを獲得し、これがきっかけとなってメジャーデビューも果たしています。
すると「パイナップルせんぱい」や「げんきいっぱい」などの楽曲がヒットして、人気バンドになっています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が「ヤバイTシャツ屋さん」こやまたくやさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
バンドはメジャーデビュー後は順調にキャリアを重ねています。
意味不明の歌詞ながら計算しつくされたサウンドが若者を中心に高い支持を受けており、今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。
経歴・プロフィールの詳細
2012年にロックバンド「ヤバイTシャツ屋さん」を結成するが、わずか1か月で活動休止。
2014年7月にしばたありぼぼともりもりもととともにバンド活動を再開。
バンドはサマーソニックやROCK IN JAPAN FESTIVALなどの大型ロック・フェスティバルにも出演。
2015年11月に音楽コンテスト「eo Music Try」でグランプリを獲得。
2016年11月にアルバム「We Love Tank-top」でメジャーデビュー。
2017年4月にメジャー1stシングル「どうぶつえんツアー」をリリース。
以降も「パイナップルせんぱい」や「げんきいっぱい」などの楽曲がヒットを記録。
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