女優の石野真子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。高校時代はアイドル歌手として高い人気を誇った石野さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
石野真子(いしの まこ)
1961年1月31日生
身長156㎝
血液型はA型
兵庫県芦屋市出身の女優、歌手、タレント
本名同じ
以下では石野真子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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石野真子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:百合学院高校→堀越高校
出身中学校:百合学院中学校
出身小学校:芦屋市立精道小学校
石野真子の学歴~出身小学校(芦屋市立精道小学校)の詳細
出身小学校: 兵庫県 芦屋市立精道小学校
石野真子さんの出身小学校は、公立の芦屋市立精道小学校です。
家族構成は両親と妹2人の5人家族です(3人姉妹の長女)
妹はタレントのいしのようこさんと女優の宝乃純さんです。
姉妹は7歳ずつ年が離れています。
また三姉妹は非常に仲がいいのですが、三女は異母妹とされています。
父親は会社経営者で実家も高級住宅地の芦屋市にあり、裕福な家庭に育っています。
実家はビーズのハンドバッグの製造をおこなっていたことから、放課後は箱詰めなどの仕事の手伝いをしていました。
石野さんは海や川、山など自然が近くにある町で育っており、大型犬のセントバーナードを飼っていました。
また両親は厳しく子供のころには「お父さま」、「お母さま」と呼んで、敬語で話をしていたそうです。
石野さんは子供の頃から歌が大好きで、自宅ではソノシートをかけながらアグネス・チャンさんの「ひなしげの花」や「素敵なラブリーボーイ」などを歌っていました。
物心つく頃には人がたくさん集まると自然と歌を歌っていたそうです。
また当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「初めて自分で買ったレコードは荒井由実さんの『あの日にかえりたい』。フレンチポップスもお気に入りで、シルヴィ・バルタンなどを聴いていました。」
記事引用:NEWSポストセブン
そして小学校時代には、芸能界に憧れを抱くようになりました。
なお小学校時代の石野さんは分数の計算が苦手だったようです。
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石野真子の学歴~出身中学校(百合学院中学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 白百合学院中学校 偏差値44(容易)
石野真子さんの出身中学校は、私立の女子校の白百合学院中学校です。
この中学校には中学受験で入学しています。
後述するように石野さんは小学校高学年の頃から、テレビに映っているキラキラした人たちに憧れを抱いており、中学生になった頃には将来は歌手になると公言をしています。
そして中学3年生の時に音楽学校の平尾昌晃歌謡学院のオーディションに合格しています。
この音楽学校同期には川崎麻世さんがいました。
ちなみに歌手になれなかった場合には、バスガイドかウエイトレスになろうと考えていたようです。
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石野真子の学歴~出身高校(百合学院高校・堀越高校)・大学の詳細
出身高校:兵庫県 百合学院高校 偏差値47(やや容易)
※卒業は堀越高校
石野真子さんが入学したのは、私立の女子高の百合学院高校です。
この高校は1955年開校のキリスト教系のミッションスクールです。
石野さんはこの高校の系列の中学校に通っていたことから内部進学で進んでいます。
高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
また当時から歌手志望で、平尾昌晃歌謡学院大阪校に通学して歌のレッスンに励んでいました。
高校2年生だった1977年3月にオーディション番組「スター誕生」に出場しており、16社からスカウトをされるほどでした。
他の参加者がオーディションでアイドルの曲を歌う中、石野さんはダニエル・ビダルさんの「天使のらくがき」を歌っており、この理由についてはインタビューで次のように話していました。
「もともと好きだったこともあるんですけど、他の方たちが当時人気のあったアイドルの歌を選んでいたので、こういう曲の方が印象に残るんじゃないかしらと思って(笑い)」
また当時の門限は16時で、父親からかなり厳しく育てられていたこともあって、芸能界入りに反対をされています。
このことについて石野さんによると、「門限はお家の手伝いをさせるため、私を稼業の戦力と見てたから」とのことです。
後述するように石野さんはこれまで実家の手伝いをずっとおこなっていました。
また石野さんは芸能界入りしたため、堀越高校の芸能活動コース(現在はトレイトコース・偏差値37)に転校しています。
堀越高校では女優の浅野ゆう子さん、石田えりさん、俳優の真田広之さん、歌手の「リリーズ」が同級生でした。
石野さんは高校2年生だった1978年3月に、ファーストシングル「狼なんか怖くない」でアイドル歌手としてデビューしています。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「兵庫から上京して、芸能界に入って。『狼なんか怖くない』が街から聴こえてきた時は、“私の歌だ!”とものすごく感動しました。作詞は阿久悠さんで、作曲が吉田拓郎さん。恵まれすぎていますよね」
またデビュー後は非常に忙しい日々で3ヶ月ごとくらいのペースで新曲を出しており、当時の状況については次のように話しています。
「毎日のお仕事が10本くらいあるので、それが終わった夜中にレコーディングをしていました。“目の前のお仕事に必死”という感じでしたね」
記事引用:クランクイン!
そして石野さんは高校3年生の時に3枚目シングル「失恋記念日」でレコード大賞の新人賞を受賞しています。
大学には進学していない
なお石野さんは高校卒業後は大学には進学せずに、芸能活動に専念しています。
当時は寝る暇もないほどでしたが、1年間の留年を経て高校は卒業しています。
高校を卒業した1979年には、「ジュリーがライバル」がヒットして、NHK紅白歌合戦にも初出場しています。
20歳だった1981年に、シンガーソングライターの長渕剛さんと結婚して芸能界を引退した際には大きな話題になりました。
ただし長渕さんと離婚した1983年に芸能界に復帰しています。
以降は主に女優やタレントとして活動しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が石野真子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
アイドル歌手時代は高い人気を誇りましたが、人気絶頂期にいったん引退しています。
復帰後は主に女優として活動して多くの作品に出演しています。
現在でも根強い人気を誇るだけに、末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1977年にオーディション番組「スター誕生」に合格して芸能界入り。
1978年の映画「九月の空」で女優デビュー。
1979年に1stシングル「狼なんか怖くない」でアイドル歌手デビュー。
同年の3rdシングル「失恋記念日」で日本レコード大賞新人賞を受賞。
以降も「ジュリーがライバル」がヒットしてNHK紅白歌合戦にも初出場。
「熱愛一家・LOVE」でテレビドラマ初出演。
1980年の「春ラ!ラ!ラ!」が自身最大のヒット曲となる(オリコン16位)
1981年に長渕剛と結婚して芸能界から引退するも、1983年5月の離婚と同時に復帰。
以降は主に女優として活動し、テレビドラマの代表作は「いのち」、「君の瞳をタイホする!」、「花より男子」など。
1990年に俳優の広岡瞬と再婚したが、1996年に離婚。
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