女優の浅田美代子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。17歳の時にテレビドラマ「時間ですよ」でブレイクした浅田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
浅田美代子(あさだ みよこ)
1956年2月15日生
身長157㎝
血液型はB型
東京都港区出身のタレント、女優
本名同じ
以下では浅田美代子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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浅田美代子の学歴まとめ
出身高校:東京女学館高校(中退)
出身中学校:東京女学館中学校
出身小学校:港区立南山小学校
浅田美代子の学歴~出身高校(東京女学館高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 東京女学館高校(中退) 偏差値62(現在・やや難関)
浅田美代子さんが入学したのは、私立の女子校の東京女学館高校です。
この高校は1888年開校の伝統校で、古くから「お嬢様学校」として知られています。
この高校の系列の中学校に通っていたことから内部進学で進んでいます。
高校時代にはテニス部に在籍をする傍ら、美術部でも活動をしていました。
また同校は男女交際も一切禁止していましたが、高校在学時に交際していた男子生徒がいたり、ディスコで遊んでみたりと、真面目一辺倒ではなかったようです。
浅田さんは高校2年生の時にスカウトをされて、テレビドラマ「時間ですよ」のオーディションを受けることになりました。
当初は芸能界に入ることに両親が猛反対をしており、このオーディションに落ちたら芸能界を諦める約束をしていましたが見事合格をしています。
このことについてはインタビューで次のように話していました。
「2万5000人が受けると聞いて、受かるはずがないと。『落ちたらもう二度と言わない約束よ』と受けたところ、まさかの合格。芸能活動禁止の学校に知られたら即退学です。」
翌日にはオーディションに受かったことが新聞で発表をされることから、自主退学をした方が良いと思い、その足で母親と学校に行き退学届けを提出しました。
しかし学校側からは「高校卒業してからじゃダメなの?」などと慰留されています。
浅田さんはこの時に「やっぱり学校、友達いっぱいいるし、好きだしどうしよう、うわ~っ」と悩みましたが、3日後くらいから期末テストがあることを思い出して、「あ、そんなに勉強してないし、もういいや」と思い期末テストの回避が最終的な退学の決め手になったことを明かしていました。
そのためこの高校を中退しており、大学にも進学していません。
【主な卒業生】
夏目雅子(女優)
前田真里(女優)
山口いづみ(女優)
ミオ(ファッションモデル)
ちなみに母親は当初は反対をしていましたが、最終的にはいつも浅田さんの味方をしてくれるとのことです。
浅田さんは芸能界に入ることで母親から「偉そうにするな」とよく言われており、「芸能人だからって、特別でも何でもない。少しでもそういう態度をするなら、今すぐ仕事を辞めなさい」と教えられました。
そして浅田さんは翌年の1973年にテレビドラマ「時間ですよ」にレギュラー出演すると、人気ドラマだったこともありいきなりブレイクしています。
すると同じ年にファーストシングル「赤い風船」でアイドル歌手としてデビューすると、楽曲はオリコン1位のヒットになって、日本レコード大賞の新人賞も受賞しています。
このように浅田さんは瞬く間にトップアイドルになっています。
21歳だった1977年にシンガーソングライターの吉田拓郎さんと結婚して芸能界を引退しますが、1983年に芸能界に復帰しています(翌年に吉田さんと離婚)。
以降は数多くのテレビドラマや映画に出演しています。
またタレントとしても数々のバラエティ番組に出演しています。
今後の活動にも期待ですね。
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浅田美代子の学歴~出身中学校(東京女学館中学校)の詳細
出身中学校:東京都 東京女学館中学校 偏差値52(普通)
浅田美代子さんの出身中学校は、私立の女子校の東京女学館中学校です。
この中学校には中学受験で合格しています。
ちなみに浅田さんはこの中学校の系列の東京女学館小学校の受験には失敗していますが、中学受験でリベンジしています。
浅田さんは中学時代から大勢でつるむということはせずに、本当に仲の良い友人と少人数で過ごしていました。
どこかに行くときにはその友人と一緒に行動をしていたと振り返っています。
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浅田美代子の学歴~出身小学校(港区立南山小学校)の詳細
出身小学校:東京都 港区立南山小学校
浅田美代子さんの出身小学校は、地元東京都港区内の公立校・港区立南山(なんざん)小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
ただし浅田さんが結婚後に両親は離婚をしています。
父親は麻布で自動車修理工場を経営していました。
浅田さんは幼少期から洋服が好きで、洋裁が得意な母親に「あれがいい」、「これがいい」とリクエストをして洋服を作ってもらっていました。
自宅から歩いて行けるほど近くに東京女学館小学校があったこともあって、両親は浅田さんに受験の苦労をさせまいと小学校受験をしています。
しかし浅田さんは近所に住む友人と離れてしまうことが嫌で、面接で名前を聞かれた際には、「ない。ママ、帰ろう!」と言って不合格となっています。
かなり面接練習をしていたことから帰り道で母親に怒られました。
そしてその後、中学校受験で再び、東京女学館を受験しています。
また浅田さんは小学校時代にいじめられていたことを母親から明かされており、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「あとになって、母から『あんた、いじめられていたのよ』って言われて。そこで初めて知るっていう(笑)。たぶんあんまりそういうドロドロしたものに興味がないんだと思う。女子同士の、裏で先生に言いつけたりとか、そういう感じも好きじゃなかったし。」
以上が浅田美代子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
17歳で当時国民的な人気を誇っていたドラマ「時間ですよ」でデビューを果たすと、すぐにブレイクして人気アイドルの仲間入りを果たします。
結婚を機に一時的に芸能界から引退しましたが、活動再開後は女優として数え切れないほどの作品に出演しています。
現在では主演作こそ少なくなりましたが、人気の連続ドラマで主要キャストに起用されるなど、相変わらず根強い人気を誇っています。
タレントとしても人気を集めているので、今後の活躍にも期待です。
経歴/プロフィールの詳細
高校2年生だった1972年に、ドラマ「時間ですよ」の新人オーディションに合格して芸能界入り。
1973年に「時間ですよ」の出演をきっかけに大ブレイク。
同年に劇中歌の「赤い風船」でアイドル歌手デビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。
1974年の「あした輝く」で映画初主演。
以降も数多くの作品に出演し、テレビドラマの代表作は「寺内貫太郎一家」や「新選組!」。
映画「釣りバカ日誌シリーズ」の2代目浜崎みち子役は当たり役になった。
タレントとしても明石家さんまの番組を中心に、多くのバラエティー番組に出演している。
私生活では1977年に吉田拓郎と結婚して芸能界を引退したが、1983年に離婚し芸能活動も再開。
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