シンガーソングライターの長渕剛さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。俳優としても人気の高い長渕さんはどのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
長渕剛(ながぶち つよし)
1956年9月7日生
身長175㎝
血液型はA型
鹿児島県伊集院町(現在は日置市)出身のシンガーソングライター、俳優
本名同じ
以下では長渕剛さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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長渕剛の学歴まとめ
出身大学:九州産業大学 芸術学部写真学科(中退)
出身高校:鹿児島県立鹿児島南高校
出身中学校:鹿児島市立甲南中学校
出身小学校:鹿児島市立中郡小学校
長渕剛の学歴~出身小学校(鹿児島市立中郡小学校)の詳細
出身小学校:鹿児島県 鹿児島市立中郡小学校
長渕剛さんの出身小学校は公立の鹿児島市立中郡(なかごおり)小学校です。
家族構成は両親と5歳年上の姉の4人家族です。
長渕さんは生後すぐ仮死状態でしたが、九死に一生を得て生き延びその後も病弱体質でした。
家は貧しく母親は栄養状態が悪かったことから母乳が出なかったため、米のとぎ汁で育てられたそうです。
長渕さんの兄は生後すぐに亡くなっていたことから、貧しいながらも両親からは溺愛されて育っています。
長渕さんは習字、絵、珠算の習い事をしていました。
また小学生の頃は通信簿によく「落ち着きがない」と記載されていたそうです。
小学生の時は小児喘息を患っていたことから、体育の授業はほとんど見学をしていたそうです。
長渕剛の学歴~出身中学校(鹿児島市立甲南中学校)の詳細
出身中学校:鹿児島県 鹿児島市立甲南中学校 偏差値なし
長渕剛さんの出身中学校は、鹿児島市内の公立校の甲南中学校です。
中学時代はバスケットボール部に在籍していました。
小中学生時代は「さえないガキだった」そうでインタビューでは次のように話しています。
「成績もそうだし運動もあんまりしない…ただね、活発な精神性はあったんだけど体が弱かったというのもあるんだろうね。」
そのためバスケットボール部でもレギュラーに選ばれなかったことから、カルピス係を3年間務めています。
しかし中学3年生のときにギターをはじめて以降は、活発になれたそうです。
【主な卒業生】
恵俊彰(お笑いタレント)
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長渕剛の学歴~出身高校(鹿児島県立鹿児島南高校)の詳細
出身高校:鹿児島県 鹿児島南高校 情報処理科 偏差値48(当時)
長渕剛さんの出身高校は、県立の共学校の鹿児島南高校です。
同校は普通科のほか、商業科や情報処理科、体育科など多様な学科を設置していることで知られている公立校です。
現在の同校の情報処理科は進学率や就職率の向上により偏差値58程度ありますが、長渕さんが在籍した当時はそれほど高くはありませんでした。
長渕さんは高校時代は部活動などはおこなっておらず帰宅部でした。
当時から音楽活動をおこなっていました。
前記のように長渕さんは中学時代まではさえない生徒だったそうですが、高校に入って変わったそうでインタビューで次のように話しています。
「ギターを手にして、たった3つか4つのコードを覚えただけでね、自分の気持ち…好きな子に対する想いでもいいし、殴られた痛みでもいいし、そんなものを高らかに歌えることに気が付いた。そこからは本来の自分自身の活動的な部分が出てきて、同じような想いをもった仲間を求めるようになったよね」
記事引用:tokyo FM
長渕さんは高校3年間のうちに300曲ほど作ったそうです。
また好きな女子に対して思いを歌にして伝えていたそうで、目の前で歌を歌った後に「好き?」と聞いていたそうです。
しかし簡単に上手くいかなかったそうで「落ちないんだ、それが。歌を1曲作っただけで好きって惚れるとは、それは甘いんだわ。甘いと思ったわ。」とコメントを残しています。
また高校3年生の時には放送部長を務めていました。
当時はリーゼントが流行っていたそうですが長渕さんは長髪にしており、校則違反をしていたそうです。
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長渕剛の学歴~出身大学(九州産業大学)の詳細
出身大学:九州産業大学 芸術学部写真学科(中退) 偏差値35(かなり容易)
長渕剛さんは高校卒業後は、福岡の私立大学の九州産業大学に進学します。
大学では芸術学部に在籍して、写真を専攻していました。
父親は警察官でしたが学歴が中卒だったため、昇格試験に落ち続けて出世できなかったことから長渕さんに対しては大学に進学することを勧めています。
大学入学と同時に本格的にプロデビューを目指して、福岡のライブハウスで「昭和」でライブ活動をはじめました。
長渕さんがライブハウスで歌いはじめた当初は聞いてくれる人がおらず、当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「僕がライブハウスで歌いはじめたとき、お掃除のおばちゃんしかいなかった。『おばちゃん、聴いてよ。』というとこから出発したわけです。」
記事引用:Real Sound
とは言え地道な活動を続けたことから、順調に聴いてくれる人は増えていったそうです。
ちなみに当初は「永渕剛」の芸名を名乗っていました。
そして長渕さんは20歳の時にヤマハのポピュラーコンテストに出場したことを契機に、スカウトされています。
そのためデビューのために上京したので、大学は中退しています。
その際に父親は大学を中退することに大反対をしていたそうで、長渕さんは本気で殴られたそうです。
そして長渕さんは21歳だった1977年に、1stシングル「雨の嵐山」でメジャーデビューを飾っています。
ところがこの曲はまったく売れませんでした。
22歳の時に、「巡恋歌」で再デビューをしています。
この曲は1992年に再レコーディングされてオリコン1位を記録していますが、当時はTOP100にも入りませんでした。
それでも24歳だった1980年に、6枚目シングル「順子」が大ヒットして人気歌手の仲間入りを果たします。
さらに1983年に出演したテレビドラマ「家族ゲーム」がヒットしたことから、俳優としても注目を集めています。
すると1980年後半には「ろくなもんじゃねえ」や「乾杯」、「とんぼ」などの数々の大ヒット曲をリリースして、時代を代表するほどのアーティストに上り詰めています。
また俳優としても数々のテレビドラマに出演しています。
1987年に女優の志穂美悦子さんと再婚した際には、大きな話題になっています。
2014年には自身のYOUTUBEの公式チャンネルを開設してファンを喜ばせています。
現在でも精力的な活動を展開しています。
以上が長渕剛さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
1980年代後半からはヒットを量産して、一世を風靡しています。
また俳優としても高い人気を誇りました。
現在でも絶大な人気を誇るだけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
長渕文音の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|英語がペラペラだった
経歴/プロフィールの詳細
1976年にヤマハのポプコンで入賞し、「雨の嵐山」でデビュー。
1978年に「巡恋歌」でポプコンに入賞して再デビューを果たす。
1979年に1stアルバム「風は南から」をリリース。
1980年に5thシングル「順子」がオリコン1位の大ヒットとなる。
1983年にドラマ「家族ゲーム」で主演して、ドラマもヒットしたことから続編でも主演した。
「ろくなもんじゃねえ」や「とんぼ」、「しゃぼん玉」などの楽曲が軒並み大ヒットして、80年代から90年代にかけての代表的なアーティストとなる。
俳優としても「英二」や「オルゴール」、「ウォータームーン」などの映画に主演している。
私生活では1981年に歌手の石野真子と結婚するも、1983年に離婚。
1987年に女優の志穂美悦子と再婚し、3人の子供がいる。
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