歌手の柏原芳恵さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。高校時代にアイドル歌手としてブレイクした柏原さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
柏原芳恵(かしわばら よしえ)
1965年10月1日生
身長157㎝
大阪府大阪市出身の歌手、女優
本名同じ、旧芸名は柏原よしえ
以下では柏原芳恵さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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柏原芳恵の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:堀越高校 芸能活動コース
出身中学校:大阪市立今宮中学校
出身小学校:大阪市立今宮小学校
柏原よしえの学歴~出身小学校(大阪市立今宮小学校)の詳細
出身小学校:大阪府 大阪市立今宮小学校
※現在はいまみや小中一貫校
柏原芳恵さんの出身小学校は、地元大阪市内の公立校・大阪市立今宮小学校です。
この小学校は2015年に周囲の小学校とともに今宮中学校と統合されて、現在はいまみや小中一貫校になっています。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
父親は会社員で母親は専業主婦という一般的な家庭で育っています。
両親からは目上の人に対する言葉遣いや挨拶などを厳しく言われており、家族の中で一番年下だった柏原さんは家族にも敬語で話をしていたそうです。
子供の頃はかなり甘えん坊で、母親の手を握らないと眠れない時期もありました。
柏原さんは子供の頃からピアノや書道、珠算を習っていました。
また幼少期から歌を歌うことが好きだったといいます。
加えて子供の頃には外で遊ぶことが大好きで、真っ黒に日焼けをしていました。
柏原さんは小学校時代から歌手志望で、小学6年生の時に複数の友人とともにはじめて「スター誕生!」に応募をしています。
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柏原芳恵の学歴~出身中学校(大阪市立今宮中学校)の詳細
出身中学校:大阪府 大阪市立今宮中学校 偏差値なし
※後に転校
柏原芳恵さんの出身中学校は、地元大阪市内の公立校・大阪市立今宮中学校です。
この中学校は2015年に周囲の小学校と統合されて、現在はいまみや小中一貫校になっています。
ボクシングの亀田三兄弟の父親の亀田史郎さんとは、小学校・中学校の同級生です。
柏原さんは中学時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
当時から歌手志望でレッスンに打ち込んでいました。
中学2年生だった1979年に、オーディション番組「スター誕生」でグランドチャンピオンになって芸能界入りしています。
柏原さんは芸能界入り後のことについては、インタビューで次のように話しています。
「デビューのきっかけは『スター誕生!』なんですけど、何が起こっているのか分からないっていう感じの中で、気づいたらデビューだったんですね。とにかく芸能界のことを全く知らないから、上京してからは大人の方が敷いてくれたレールを遅れないように走って、必死についていくみたいな、そんなちょっとしたスポ根アニメ的な感じでした(笑)。」
芸能界入りをして以降は、歌やダンスのレッスンのために週1回ほど東京に通っていました。
【主な卒業生】
赤井英和(俳優・元プロボクサー)
立花理佐(タレント)
そして柏原さんは中学3年生になる直前の春休みに上京をしていますが、転校先の中学校は不明です。
中学3年生だった1980年に、「柏原よしえ」名義でファーストシングル「NO.1」でアイドル歌手としてデビューしています。
ただしこの楽曲はあまり売れませんでした(オリコン76位)。
中学時代はこの曲を含めて4曲リリースしていますが、いずれもセールスは不発に終わっています。
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柏原芳恵の学歴~出身高校(堀越高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 堀越高校 芸能活動コース 偏差値37(かなり容易)
※現在はトレイトコース
柏原芳恵さんの出身高校は、多くの芸能人の母校として知られる堀越高校です。
この高校は1920年開校の私立高校で、古くから芸能コースを設置していたので多くの芸能人を輩出しています。
柏原さんは中学時代に歌手としてデビューをしたことから、より幅広く芸能活動をおこなうことができるこの高校の芸能活動コースに進んでいます。
この高校では、以下の人物たちと同級生でした。
松本伊代
比企理恵
新井薫子(中退)
高校時代は特に比企さんと仲が良く、現在でも親友の仲です。
また高校1年生の時には松本さんと同じクラスでした。
1歳年上で当時アイドル歌手だった河合奈保子さんとは高校は違いましたが大阪出身同士でデビューも同時期ということもあって当時から仲が良く、「ナオナオ」、「ヨシヨシ」とお互いを呼び合う関係でした。
(左から河合奈保子、松田聖子、柏原芳恵)
トイレに行くときには2人で手をつないでスキップをして行ったり、楽屋では口紅のつけ合いをしていたといいます。
仲が良すぎることもあって、頻繁に口げんかもしていたようです。
柏原さんは高校1年生だった1981年に、7枚目シングル「ハローグッバイ」がヒットしてアイドル歌手としてブレイクしています。
ちなみにこの曲は柏原さんのオリジナルではなく、1975年にアグネス・チャンさんがリリースした「冬の日の帰り道」のB面に収録されていた楽曲です。
またこの年には女優デビューも飾っており、翌年には「ピンキーパンチ大逆転」で連続ドラマにはじめて主演しています(松本伊代とW主演)。
高校3年生の時には「春なのに」がヒットして、自身最大のヒットになっています(オリコン2位)。
この年にはNHK紅白歌合戦に初出場しています。
このように高校時代はかなりの人気を誇っており当時は寝る暇もないほど忙しく、19歳の時まで1日も休みなしで活動をしていました。
加えて当時はファンの追っかけも過激化しており、松田聖子さんや田原俊彦さんと一緒にトラックの荷台に隠れて、次の現場に移動したこともありました。
柏原さんは高校時代は朝4時に起床して早朝から高校に登校して、宿題などをおこなっていました。
また当時は仕事のため毎日のように学校を早退していました。
修学旅行にも行くことができず、高校時代の日常生活もあまり覚えていないそうです。
ちなみに当時は絵本作家にも憧れていたそうです。
大学には進学していない
なお柏原さんは高校卒業後は大学には進学せずに、芸能活動に専念しています。
当時は女優としても人気が上昇していた頃なので、進学という選択肢はなかったようです。
以降もアイドル歌手として活動しており、当時のアイドル歌手としては歌唱力が高かったことから、21歳だった1986年までコンスタントにヒット曲をリリースしていました。
その後は徐々に女優やタレントの仕事にシフトしています。
以降も数多くのテレビ番組に出演しています。
また歌手としても活動しておりカバーアルバムをリリースしたり、コンサートも定期的におこなっています。
以上が柏原芳恵さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
アイドル時代の人気は凄まじく、今上天皇もファンだったことで知られています。
その後は女優やタレントとして数多くのテレビ番組に出演して現在に至ります。
未だに根強い人気を誇る人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴・プロフィールの詳細
1979年にオーディション番組「スター誕生」に合格し、その後グランドチャンピオンにも輝く。
1980年に柏原よしえ名義で1stシングル「NO.1」でアイドル歌手デビュー。
1981年に7thシングル「ハローグッバイ」がヒットしてブレイク。
以降も「春なのに」や「タイニー・メモリー」、「最愛」などの楽曲がヒット。
同年の「キッド」でテレビドラマに初出演して、「山河燃ゆ」や「うちの子にかぎって…」などの連続ドラマにも出演。
1983年にNHK紅白歌合戦に初出場。
1980年代後半からは女優業が中心になって、多数の2時間ドラマに出演している。
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