真矢ミキの学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と宝塚時代の画像

 

女優の真矢ミキさんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。宝塚歌劇団時代は絶大な人気を誇った真矢さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、宝塚歌劇団時代の画像なども併せてご紹介いたします

 

真矢ミキ(まや みき)

 

 

1964131日生

身長166

血液型はO型

 

広島県出身(大阪府豊中市育ち)の女優

本名は佐藤美季(結婚前)

 

以下では真矢ミキさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

真矢ミキの学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:進学せず(後に高卒認定試験に合格)

出身中学校:豊中市立第二中学校

出身小学校:不明

 

真矢ミキの学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

真矢ミキさんの出身小学校は不明です。

 

広島市で生まれて4歳までこの地で過ごしましたが、その後は父親の仕事の都合で全国を転々としており、中学時代まで8回も転校を経験しています。

 

家族構成は両親と兄の4人家族です。

 

 

真矢さんは小学校時代はおとなしい子供で、次のようにインタビューで話しています。

 

「私は,とても大人しい子どもでした。転校が多くて,たくさんの友だちと涙の別れを何回も経験するうち,人と深く関わってもすぐにまたお別れになるんじゃないかと思って,あまり自分を出さずに,人の気持ちばかり読んでいました。」

記事引用:Edu Town あしたね

 

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真矢ミキの学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:大阪府 豊中市立第二中学校 偏差値なし

 

 

 

真矢ミキさんの出身中学校は、大阪府豊中市内の公立校の豊中市立第二中学校です。

 

当初は別の中学校に入学していますが、中学1年生の時に豊中市に移り住みこの中学校に転校しています。

 

真矢さんは中学時代には宝塚音楽学校の講師が指導する「宝塚コドモアテネ」に通っていましたが、通うことになったきっかけについてインタビューで次のように話しています。

 

「転校先の中学の先生から『一人でやることは何でもよくできる。これからは,他の人と一緒いっしょになって,何かをつくり上げていくようなことに挑戦したほうが良いですよ。』と言われました。それがきっかけで,日曜日に,日本舞踊や声楽,バレエなどを習う『宝塚コドモアテネ』に通うようになったんです。」

記事引用:Edu Town あしたね

 

しかし宝塚コドモアテネには幼少期からバレエを習っているような生徒が多く、「あなたなんか宝塚には受からないでしょ」と言われてこともありました。

 

負けず嫌いな真矢さんはこの時に絶対に受かってやると思い、その一心で合格にたどり着いたといいます。

 

【主な卒業生】

火野正平(俳優)

鈴村健一(声優)

 

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真矢ミキの学歴~出身中学校・高校の詳細

 

出身高校:進学せず

 

真矢ミキさんは中学校卒業後は高校に進学していません。

 

真矢さんは中学3年生の時に超難関で知られている宝塚音楽学校に一発合格しており、宝塚音楽学校に進学しています。

 

中学時代は高校卒業後は普通に短大に行って結婚するという考えでしたが、大地真央さんに憧れたことで宝塚女優を目指しています。

 

 

宝塚音楽学校では黒木瞳さんや涼風真世さんらと同期です。

 

当時のことについてはインタビューでは次のように話しています。

 

「宝塚へ入団したのは、流れに任せていたというか、引き寄せられたと言ってもいいかもしれません。そういうことってあるじゃないですか。自分から強く望んでいたわけではないけど、なんとなく流れに乗って漂流していたら、『あれ? えらい島についたぞ!』みたいな(笑)」

記事引用:TBSテレビ

そのためか宝塚音楽学校では成績が悪く、劣等生でした。

 

ちなみに真矢さんの学生時代の将来の夢は普通のお嫁さんになることでした。

 

このことについては次のように話していました。

 

「私が学生の頃の時代的なこともありますけど、ごく普通にお嫁さんになりたかったですね。あの当時の普通がどういった概念なのか、うまく言えませんけど、普通にお嫁さんになりたいと思っていましたし、家庭的な事柄に憧れていました。」

記事引用TBSテレビ

そして1981年には宝塚歌劇団に入団しています。

 

 

しかし18歳の時に一度やめようかと思ったこともあったことをインタビューで次のように語りました。

 

「歌劇や芸術に関する勉強や習い事など何もしていませんでしたし、その素養があったわけでもなく、入団してからいろんなことが波のように押し寄せてきました。学校の勉強はすごくしていましたし、頑張ってやるだけ結果がついて回ると思っていましたが、こと芸術の世界は才能がないと努力をしてもダメなんだなと感じてしまい、18歳のときに辞めようかと考えたことがありました。」

記事引用:TBSテレビ

 

しかし母親に電話をして辞めたいという旨を伝えたところ、あと1年は頑張りなさいと説得されており、結局その際は辞めることはありませんでした。

 

 

真矢さんはその後も努力もあって安寿ミラさんとともに絶大な人気を誇っています。

 

 

そして1995年に安寿さんが退団して、念願のトップスターになっています。

 

 

また当時は日本武道館でソロコンサートをおこなうなど、「ヅカの革命児」とも呼ばれていました。

 

 

34歳だった1998年に宝塚歌劇団を退団して、女優に転身しています。

 

ところが宝塚を退団後は鳴り物入りで芸能界入りしましたが、役柄にも恵まれなかったことあって、38歳で所属事務所から「戦力外通告」を受けています。

 

しかしオーディションを受けて映画「踊る大捜査線」の役をゲットするなど、根性を見せて女優復帰。

 

 

その後は役柄にも恵まれて、人気女優となりました。

 

 

ところで現在の宝塚音楽学校は単位制の向陽台高校と連携をしており、高卒の資格を取得することが可能ですが、真矢さんの在籍時にはそのようなシステムはありませんでした。

 

そのため真矢さんの最終学歴は中卒でした。

 

真矢さんは中卒であることをコンプレックスとは思っていませんでしたが、「高校・大学にいけなかったっていうとこの穴、人生の穴を背負ったまま歩いていくんだな」と感じていました。

 

しかし「埋められるものなら今からでも埋めてもいいのだ」と分かったことから、2017年9月に52歳にして高校認定試験を受験して、見事に高卒の資格を取得しました。

 

 

50歳を過ぎて高校の勉強をおこなうというのは非常に立派ですね。

 

今後の活躍にも期待ですね。

 

 

以上が真矢ミキさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

宝塚退団後は不遇の時代もありましたが、見事にカムバックしています。

 

既に年齢は50歳を超えていますが未だに主演作もあり、根強い人気も誇っています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

2人きょうだいの妹で、3歳年上の兄がいる。 

1981年に宝塚歌劇団に入団し、同期には黒木瞳や涼風真世らがいる。 

有望な男役として注目され、安寿ミラとの男役同士のコンビが話題となった。 

1995年に花組のトップスターとなって、相手役は純名りさが務めた。 

その後は日本武道館でのソロコンサートや篠山紀信による写真集の出版など、新たな試みをおこない「ヅカの改革者」と呼ばれる。 

199810月に宝塚歌劇団を退団。 

1999年の「傷だらけの女」でテレビドラマ初出演。 

2001年の「Last Dance」で映画初出演。 

以降も「風のハルカ」や「ガリレオ」、「ヒミツの花園」などのドラマに出演。 

私生活では2008年にバレエダンサーの西島千博と結婚。

 

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