天海祐希の学歴|出身は菊華高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

女優の天海祐希さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。宝塚歌劇団を経て現在でも人気女優として活躍している天海さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

天海祐希(あまみ ゆうき)

 

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196788日生

身長171

血液型はO型

 

東京都台東区出身の女優

本名は中野祐里(なかのゆり)

 

以下では天海祐希さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

天海祐希の学歴まとめ

 

出身高校:菊華高校(中退)→宝塚音楽学校

出身中学校:台東区立御徒町中学校

出身小学校:台東区立西町小学校

 

天海祐希の学歴~出身小学校(台東区立西町小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 台東区立西町小学校

※現在は閉校

 

 

 

天海祐希さんの出身小学校は、地元台東区内の公立校の西町小学校です。

 

家族構成は両親と兄、弟の5人家族です。

 

 

父親は設計士で会社経営をしており、母親は美容室を経営していました。

 

兄と弟に挟まれていることから、男っぽい性格で人前ではあまり泣かないそうです。

 

また父親が尺八をやっていたことから、幼少期には兄と共に舞台で民謡を歌ったことがあります。

 

天海さんは映画「ウエスト・サイド物語」を子供の頃に見たことで、演じることに興味を持ちました。

 

さらに幼稚園の頃のお遊戯会で先生から褒められたことがきっかけで、幼いながらもすでに「お芝居をする人になる」と言っていました。

 

土井たか子さんのモノマネが得意で幼少期から人を笑わせることが得意だったそうです。

 

小学生の頃も演劇部に在籍していました。

 

 

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天海祐希の学歴~出身中学校(台東区立御徒町中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 台東区立御徒町中学校 偏差値なし

※現在は台東区立御徒町台東中学校

 

 

 

天海祐希さんの出身中学校は、地元東京都台東区内の公立校の御徒町中学校です。

 

この中学校は2002年に台東中学校と統合されて、現在は御徒町台東中学校になっています。

 

 

天海さんは中学時代は演劇部に在籍しており、女子ばかりの演劇部で男役を務めたこともありました。

 

生徒会では書記を務めました。

 

中学2年生の時に家庭教師の勧めで映画「きつね」のオーディションに出場しています。

 

すると東京代表に選ばれたていますが、両親に反対されたため断念しています。

 

また中学時代の担任の先生から宝塚に入ることを勧められました。

 

この頃から天海さんも宝塚歌劇団に入団することを志しています。

 

天海さんは中学2年生から3年生まで反抗期がすごかったため、父親がどのように接すればよいのか分からないと言っていたそうですが反抗期は宝塚に入るまで続いたようです。

 

【主な卒業生】

萩本欽一(タレント)

安達祐実(女優)

 

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天海祐希の学歴~出身高校(菊華高校)・大学の詳細

 

出身高校:東京都 菊華高校(中退) 偏差値45(当時)

※現在は杉並学院高校

 

 

 

天海祐希さんが入学したのは、私立の女子校(当時)の菊華高校です。

 

この高校は1923年開校の私立高校です。

 

2000年に男女共学化した際に、校名も杉並学院高校に改称しています。

 

また現在は特進コースを設けるなど進学実績も向上していますが(偏差値は56~61)、天海さんが在籍した当時は現在ほどのレベルではありませんでした。

 

天海さんは高校時代は部活動などはおこなっていませんでした。

 

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得意科目は英語でした。

 

また高校時代に友人が停学処分になったところ処遇に納得ができずに、職員室で先生に抗議したことがあるそうです。

 

 

前記のように天海さんは中学時代より宝塚歌劇団に入団することを志していたことから、バレエ教室の「バレエ・アート」に入学して宝塚歌劇団の講師でもあった大滝愛子さんの指導を受けています。

 

そのため高校時代はバレエや歌のレッスンなど宝塚受験のためのレッスンに明け暮れていました。

 

高校2年生の時に資生堂のPR誌「花椿」の表紙に抜擢されたことで「自分もやれる」と浮かれていたところ、父親から激怒されたようです。

 

 

高校2年生だった1985年に宝塚音楽学校73期生として首席で合格しています。

 

天海さんは宝塚受験は1度だけと親から言われていたため、面接官に今年落ちたらどうするか聞かれたところ「二度ときません」とはっきり言ったそうです。

 

この高校は高校2年生限りで中退して、宝塚音楽学校に進学しています。

 

 

現在の宝塚音楽学校は希望すれば高卒程度の資格を取得することができますが、天海さんが在学した時代はこのような制度がなかったことから最終学歴は高校中退(中卒)になります。

 

天海さんは首席合格していることから宝塚音楽学校の入学式では答辞を読んでいます。

 

 

また当時から大きな期待を背負っており、「10年に1人の逸材」と呼ばれていました。

 

幼稚園の頃から男子よりも大きい体がコンプレックスでしたが、宝塚に入ってからは「高身長が武器になることもあるのか」という驚きと同時に初めて自身の高身長に感謝をしたそうです。

 

 

天海さんは倹約家のため宝塚時代にはセーターを1つ買うことも勿体ないと躊躇していたというエピソードがあります。

 

天海さんのしっかりした金銭感覚は親譲りだそうです。

 

天海さんは音楽学校時代に以前からあったルールを廃止したそうで、宝塚音楽学校の1年生はヘアピンを付けないといけないというルールに対して異論を唱えたというエピソードもありました。

 

 

1987年に宝塚歌劇団に入団しており、1989年には宝塚のイメージガールを務めています。

 

 

そして初舞台から史上最速の年半で「月組」男役のトップスターになるなど活躍を見せます。

 

音楽学校入学時から高い期待を背負っていましたが、見事にその期待に応えています。

 

 

しかしその2年後の1995年に宝塚を退団しており、自分の力で勝負したいという思いと共にさらなる活躍の場を求めています。

 

女優に転身後はミュージカルの舞台ではなく、テレビドラマや映画で活躍しています。

 

以降の活躍は周知の通りで、数々の話題作の連続ドラマに主演しています。

 

 

主演作の「トップキャスター」や「BOSS」、「緊急取調室」などの連続ドラマは軒並みヒットを記録しています。

 

 

また多数のCMにも起用されています。

 

以上が天海祐希さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

宝塚時代は史上最速でトップスターに上り詰め、絶大な人気を誇りました。 

 

 

女優転向後も数え切れないほどの作品に起用され、連続ドラマの主役も多く務めています。

 

アラフィフの年齢となった現在でも、話題の連続ドラマの主演に起用されるなど、未だに絶大な人気を誇っています。

 

女優のほかにもナビゲーターや司会を務めることができ、自身の原点でもある舞台でも活躍しています。

 

 

幅広い年齢層にも支持されていることから、末永い活躍を期待したいところです。

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1987年に宝塚歌劇団に入団し、「宝塚をどり賛歌」でデビュー。 

1993年から月組のトップスターとなり、「風と共に去りぬ」や「ミリオンドリームズ」などの舞台に主演。 

199512月に宝塚歌劇団を退団。 

1996年の「橋の雨」でドラマ初出演し、「クリスマス黙示録」で映画初出演。

1997年の「シングルス」で連続ドラマ初主演。 

以降は多くのドラマや映画に出演し、ドラマの代表作は「離婚弁護士」や「女王の教室」、「BOSS」など。 

 

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