大地真央の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と宝塚時代の画像

 

女優の大地真央さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。宝塚歌劇団時代に絶大な人気を誇った大地さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、宝塚時代のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

 大地真央(だいち まお)

 

 

195625日生

身長166

血液型はB型

 

兵庫県洲本市出身の女優

本名は多田真裕美(旧姓)

 

以下では大地真央さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

大地真央の学歴まとめ

 

出身高校:進学せず(宝塚音楽学校)

出身中学校:洲本市立洲浜中学校

出身小学校:洲本市立洲本第二小学校

 

大地真央の学歴~出身小学校(洲本市立洲本第二小学校)の詳細

 

出身小学校:兵庫県 洲本市立洲本第二小学校

 

 

 

大地真央さんの出身小学校は公立の洲本市立洲本第二小学校です。

 

家族構成は両親と2人の姉の5人家族です(3人姉妹の末っ子)。

 

 

実家は淡路島の大地主で裕福な家庭に育っています。

 

大地さんは負けず嫌いな子どもだったため、姉と喧嘩をした時にも一歩も引くことはなかったそうです。

 

また小学校時代はクラスのリーダー格でした。

 

幼稚園の頃には舞妓に憧れており、子供の頃には将来は舞妓かバスガイドになりたいと思っていました。

 

また幼稚園の時に初恋を経験しています。

 

子供の頃からピアノと日舞を習っていました。

 

ちなみに小学校時代は舞妓かバスガイドになりたいと思っていました。

 

 

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大地真央の学歴~出身中学校(洲本市立洲浜中学校)の詳細

 

出身中学校:兵庫県 洲本市立洲浜中学校 偏差値なし

 

 

 

大地真央さんの出身中学校は、地元兵庫県洲本市内の公立校・洲本市立洲浜中学校です。

 

中学時代には演劇部を創設しています。

 

大地さんは中学生の時に義理の兄がやっていた素人劇団の舞台を観に行ったことがきっかけで、女優になりたいと思いました。

 

当時のことについて次のように振り返っています。

 

「2階席からの観覧だったのですが、そこでホリゾントライト(舞台後ろを照らす光)が醸(かも)し出す舞台の世界観にぐっと引き込まれたんです。『すてきだな、私もあの場所に立ちたいな』と。それで、女優になりたいと両親に相談したのですが、厳格だった父は芸能界入りに大反対。」

 

そこで唯一父親が許してくれたのが宝塚音楽学校でした。

 

反対をされてもどうしても芸能界への憧れを捨てきれなかった大地さんを見て、父親は友人に相談したところその人が宝塚ファンで「宝塚なら安心して預けれる学校だよ」と言ってくれたことで、父親が「宝塚音楽学校を受けてみるか?」と言ってくれました。 

 

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大地真央の学歴~出身高校(宝塚音楽学校)の詳細

 

出身高校:各種学校 宝塚音楽学校 超難関

 

 

 

大地真央さんは中学卒業後、宝塚音楽学校に進学しています。

 

中学3年生でこの学校の入学試験に一発合格して進学しています。

 

ちなみに現在の宝塚音楽学校は通信制高校と提携して高校卒業の資格も取得できますが、大地さんが在籍した当時はそのようなカリキュラムはなかったので最終学歴は「中卒」です。

 

前記のように大地さんはこの学校に憧れたわけではなく、芸能界に入るために他に選択肢がない中で入学をしています。

 

大地さんが宝塚音楽学校を受験するために費やした時間は約3ヶ月ほどで、片道3時間かけて声楽とクラシックバレエのレッスンに通いました。

 

この学校に入学時の成績は49人中42番でしたが、中学卒業時に一発合格をする受験者は少なくかなりの才能の持ち主と評されたでしょう。

 

また一度も宝塚の舞台を観たことがないままこの学校を受験しており、このことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「1度もないまま受験して、入団してから、初めて観劇しました(笑)”わースゴイ!良いところに入団した!”って驚きましたね。トップになれた時に、審査員してくださってた演出家の先生に私はどうして入団出来たのか伺ったら、『その時に出来る人ではなく、可能性のある人を選ぶんだよ』とおっしゃってくださって。」

記事引用:tbsradio.jp

 

入学後はルールや厳しさは噂通りで中でも上下関係は本当に厳しかったと言います。

 

そのため大地さんが下級生の時には先輩の行動が気になったそうで、当時のことについて次のように振り返っています。

 

「たとえば、寮の洗濯機は何があっても先輩を優先するという暗黙の了解があったので、バッティングしないよう、手洗いしていたのを覚えています。また、トイレは奥から使い、シャワーは手前から使う、という決まりもありました。」

 

大変な生活ではありましたがここで過ごしたことは大地さんにとって大きな財産になり、その後の大地さんの芸能生活を支える大きな基盤になったと語っています。

 

そして17歳だった1973年に宝塚歌劇団に入団しています。

 

 

 また当時からタレント活動を開始しており、ラジオ番組のパーソナリティなども務めていました。

 

1975年にはファーストシングル「悲しみのアイドル」で、アイドル歌手としてもデビューを飾っています。

 

 

そして大地さんは26歳だった1982年に、男役のトップスターに上り詰めています。

 

音楽学校卒業後はその才能も開花して、トップ男役に上り詰めます。

 

 

その際には娘役のトップには黒木瞳さんが昇格しています。

 

ただし当時の黒木さんは宝塚史上最速で娘役のトップスターになっており経験不足だったことから、大地さんが多くのことを教え込んでいます。

 

そのため黒木さんは大地さんを「大恩人」としています。

 

 

大地さんは歴代の男役の中でも人気が高く、宝塚時代は多くのファンを魅了しました。

 

1984年に宝塚歌劇団を卒業しましたが、その後も数々の話題作のテレビドラマや映画に起用されています。

 

 

また舞台にも積極的に出演しており、現在に至るまで毎年舞台に出演をしています。

 

1990年に人気俳優の松平健さんと結婚した際には大きな話題になっています。

 

 

ただし松平さんとは2004年に離婚しています。

 

以上が大地真央さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

宝塚時代は絶大な人気を誇り、黒木瞳さんとともに一時代を築きました。

 

また女優に転身後も長らく第一線で活躍しています。

 

 

未だに高い人気を誇っていますので、末永い活躍を期待したいところです。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1973年に宝塚歌劇団に第59期生として入団しデビュー。 

デビュー当初から新進の男役スター候補として注目される。 

1974年に「たすきと包丁」でドラマ初出演。 

1975年に1STシングル「悲しみのアイドル」でアイドル歌手デビュー。

1982年にトップ男役となり、娘役のトップの黒木瞳とともに多くの舞台で主演。

1983年の「愛の賛歌」でドラマ初主演。 

1985年に宝塚歌劇団を退団。 

以降は舞台での活動のほか、「女ねずみ小僧」や「天国から北に3キロ」などの単発ドラマに主演。

2003年の「愛の家」で連続ドラマ初主演。

以降も「MR.BRAIN」や「とと姉ちゃん」、「ドクターX」などの人気ドラマに出演。

私生活では1990年に松平健と結婚するも2004年に離婚。 

2007年に国際的なインテリアデザイナーの森田恭通と再婚した。

 

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