女優の紺野まひるさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。宝塚歌劇団出身者として知られている紺野さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
紺野まひる(こんの まひる)
1977年4月12日生
身長160㎝
血液型はA型
大阪府豊中市出身の女優
本名は濱田里佳子(はまだ りかこ)
以下では紺野まひるさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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紺野まひるの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:雲雀丘学園高校(中退)→宝塚音楽学校
出身中学校:雲雀丘学園中学校
出身小学校:雲雀丘学園小学校
紺野まひるの学歴~出身小学校(雲雀丘学園小学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 雲雀丘学園小学校
紺野まひるさんの出身小学校は、私立の共学校の雲雀丘学園小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族のようです。
「紺野まひる」という芸名は家族で相談して、父親が決めたそうです。
父親が音楽好きだったそうで自宅では常に様々なジャンルの音楽が流れていました。
また音にもこだわりがあり、機材やスピーカーにも凝っていたことから紺野さんは良い環境だったと当時を振り返っています。
4歳の時から地元のクラシックバレエ教室に通っていました。
また幼少期にはピアノも習っており、インタビューでは次のように話しています。
「子供のころはピアノとバレエを習っていたのですが、ピアノのおけいこはすごく嫌いでした。かえって兄のほうが上手だったぐらいです。幼稚園に通っていたころはピアノを弾くより、ピアノと一緒に歌うのが好きだったんです。」
記事引用:ヨミドクター
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紺野まひるの学歴~出身中学校(雲雀丘学園中学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 雲雀丘学園中学校 偏差値58(中の上)
紺野まひるさんの出身中学校は、私立の共学校の雲雀丘学園中学校です。
この中学校は出身高校に併設している系列校で、高校へは内部進学で進んでいます。
なお紺野さんの出身中学校については、大阪府の豊中市立第三中学校(偏差値なし)との情報もあります。
これはかつてWikipediaにこのような記載があったからで、現在は雲雀丘学園中学校との記載に改まっています。
また豊中市立第三中学校の同窓会のHPにも紺野さんは出身者との記載がありますが、紺野さんのコメントなどの掲載はありません。
恐らくは当時のWikipediaの記載の影響でしょう。
加えて紺野さんが結婚した際のスポーツ新聞社の報道は、「中学・高校時代の同級生がお相手」とされているので雲雀丘学園中学校の出身者でしょう。
当時のスポニチには次のような記載があります。
「兵庫・宝塚市の私立雲雀丘学園中時代に出会い、ここにきて花咲いた。 そろって雲雀丘学園高に進学したが、当時はそれぞれ宝塚入団とパイロットという別々の目標で精いっぱい。94年、紺野の宝塚音楽学校入学で離ればなれになっていた」
記事引用:スポニチ
ちなみに言うまでもなく有名新聞社の取材力は相当で、かなりの裏付けがなければここまでは記載しないはずです。
前記のように紺野さんは幼少期からクラシックバレエを習っており、中学1年生の時にバレエ教室で出会った都さんという女性と仲良くなりました。
紺野さんはタカラジェンヌを目指していた都さんの影響で、それまでは全く興味がなかった宝塚女優になりたいと思い志すようになったそうです。
紺野さんは宝塚に興味を持ったのは中学2年生の春だったそうで、当時のことについて次のように話しています。
「何度か小学校の頃も舞台を観ていたのですが、その時には興味があまり湧かなかったんです。バレエの仲間の女子が宝塚のファンで、『見て、見て』って言われて、多分、4,5年ぶりくらいに生で見たら、偶然それが名作の『ベルサイユのばら』でした。」
記事引用:ヨミドクター
その帰りに「私もここに立ちたい」と思っており、帰宅してすぐに親に宝塚に入りたいと言ったそうです。
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紺野まひるの学歴~出身高校(雲雀丘学園高校)・大学の詳細
出身高校:兵庫県 雲雀丘学園高校(中退) 偏差値69(難関)
紺野まひるさんの出身高校は、私立の共学校の雲雀丘(ひばりがおか)学園高校です。
同校は1950年の設立当時からサントリーの創業家(鳥井家)から支援を受けている進学校で、理事長は代々鳥井家が務めています。
また出身者に宝塚歌劇団の女優が多いほか、相武紗季さんや木南晴夏さんらも卒業生です。
紺野さんが後に結婚する夫とは高校時代の同級生です。
ただこの頃から交際をしていたわけではなく、高校時代はお互いの夢を応援し合うような友人関係だったようです。
加えて紺野さんは高校入学当初から宝塚音楽学校への入学を目指して、レッスンに励む日々を送っていました。
そのため高校では部活動などはおこなっていません。
また紺野さんは遼河はるひさんと同じ宝塚の受験専門スクールに通っており、ここでバレエや声楽などのレッスンを受けていました。
宝塚音楽学校の受験の時には「東京の人はあか抜けているな」と思ったことをインタビューで話しています。
紺野さんは宝塚に入るまでクラシックバレエのレッスンに通っていたそうでインタビューでは次のように振り返っています。
「宝塚に入るまでレッスンを続けて、音楽学校に入ってからもバレエの授業がありますので、25歳で退団するまでずっとレッスンを受けていました。」
記事引用:ヨミドクター
そして紺野さんは高校1年生だった1994年3月に、宝塚音楽学校の試験を一発合格しています。
ちなみにこの年の宝塚音楽学校の倍率は40.25倍と、史上最高の倍率の狭き門でした。
【主な卒業生】
植村花菜(シンガーソングライター)
そのためこの高校を1年生限りで中退して、宝塚音楽学校(偏差値なし)に進学しています。
また大学などにも進学していません。
ちなみに以前の宝塚音楽学校には高校卒業程度の資格をサポートする制度はありませんでしたが、紺野さんが在籍した当時は既にそのようなカリキュラムがありました。
紺野さんは宝塚音楽学校を卒業した1996年に、宝塚歌劇団に入団しています。
入団後の活躍は目覚ましく、初舞台からわずか6年でトップ娘役に上り詰めています。
ただし紺野さんはトップ娘役になった2002年に、相手役の絵麻緒さんとともに宝塚歌劇団を卒業しています。
以降は女優に転身しますが、翌年にはNHKの朝ドラ「てるてる家族」に起用されます。
このドラマでは上野樹里さんや上原多香子さんとともに、ヒロインの石原さとみさんの姉妹役として出演していました。
以降は女優やタレントとして数々の作品に出演しています。
以上が紺野まひるさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
宝塚歌劇団での活躍は周知の通りで、短期間でしたがトップ娘役を務めています。
また女優転身後も数えきれないほどのテレビドラマや映画に出演しており、確かな演技力で作品を盛り上げています。
主演作こそさほど多くないものの、現代劇から時代劇まで多様な役柄を演じており、宝塚時代を含めて多くのファンに支持をされています。
今後も末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1996年に宝塚歌劇団に入団し、「CAN-CAN」で初舞台。
2002年に絵麻緒ゆうの相手役としてトップ娘役となったが、同年の9月に宝塚歌劇団を退団。
2003年にNHKの朝ドラ「てるてる家族」に起用されて注目を集める。
2005年の「マリンバアンサンブル」で映画初出演。
以降も数多くの作品に出演して、テレビドラマの代表作は「風林火山」や「花ざかりの君たちへ」、「なるようになるさ」など。
「県庁の星」や「アバター」、「はなちゃんのみそ汁」などの映画にも出演している。
私生活では2008年にJALのパイロットと結婚して、2人の娘をもうけている。
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