坂本冬美の学歴と経歴|出身は熊野高校!大学や中学校の偏差値|大失恋をしていた!

 

演歌歌手の坂本冬美さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は坂本さんは高校時代に「大失恋」をしていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

坂本冬美(さかもと ふゆみ)

 

 

1967330日生

身長160

血液型はO型

 

和歌山県上富田町出身の演歌歌手、女優

本名同じ、別名義は「さくら なな」

 

以下では坂本冬美さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

坂本冬美の学歴まとめ

 

出身大学:放送大学 教養学部

出身高校:和歌山県立熊野高校

出身中学校:上富田町立上富田中学校

出身小学校:上富田町立朝来小学校

 

坂本冬美の学歴~出身小学校(上富田町立朝来小学校)の詳細

 

出身小学校:和歌山県 上富田町立朝来小学校

 

 

 

坂本冬美さんの出身小学校は、地元上富田町内の公立校・上富田町立朝来(あっそ)小学校です。

 

家族構成は両親と姉、弟の5人家族です(3人きょうだいの真ん中)。

 

父親は出稼ぎや漁師、猟師や土木作業などの職を転々としており、坂本さんが子供の頃には出稼ぎが多かったためあまり自宅にはいなかったようです。

 

また母親は非常に厳しく、坂本さんが悪いことをすると万歳の姿勢でガラスの灰皿を持たされて立たされていたようです。

 

坂本さんは祖父の影響で子供の頃から歌が好きで、リクエストをされると宴会で歌っていました。

 

 

小学生の頃には石川さゆりさんが大好きだったことから、将来は必ず歌手になると夢を抱いていました。

 

また小学校時代の坂本さんはおてんばな子供だったとのことです。

 

坂本冬美の学歴~出身中学校(上富田町立上富田中学校)の詳細

 

出身中学校:和歌山県 上富田町立上富田中学校 偏差値なし

 

 

 

坂本冬美さんの出身中学校は、地元和歌山県上富田(かみとんだ)町内の公立校・上富田町立上富田中学校です。

 

中学時代はソフトボール部も在籍をしており、キャプテンを務めていました。

 

(坂本さんは前列右から2人目)

 

また学級委員を務めるなど、責任感のあるタイプだったようです。

 

中学1年生の時には「10年後の私」という作文を書いており、そこに「演歌歌手としてデビューをする」と書いていました。

 

中学生の頃には同級生のヤマモトくんに初恋を経験しており、交際をしていました。

 

このことについては次のようにコメントを残しています。

 

「中学時代、ソフトボール部でキャッチャーをしていたことがきっかけで、野球部で同じポジションだったヤマモトくんとお付き合いしていまして」

記事引用:女性自身

 

坂本さんはデート中にヤマモトくんから持ち歩いていたラジカセでサザンオールスターズの曲を聴かされています。

 

このことについては次のように話していました。

 

「いまでもサザンオールスターズの『栞のテーマ』を聴くと、河原の風景や、恋心を思い出します。サザンなのに、聴いていたのは海じゃなくて、河原なんですけど(笑)」

記事引用:woman excite

 

 

ヤマモトくんの影響でサザンオールスターズを好きになりましたが、当時の1ヶ月のお小遣いが3,000円だったことから他の曲のレコードを購入することができませんでした。

 

そのためレコードを持っている友人に録音をさせてもらっていたとのことです。

 

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坂本冬美の学歴~出身高校(和歌山県立熊野高校)の詳細・大失恋をしていた!

 

出身高校:和歌山県 熊野高校 偏差値43(容易)

 

 

 

坂本冬美さんの出身高校は、県立の共学校の熊野高校です。

 

この高校は1923年開校の県立校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

また現在は看護科(偏差値48)も設置されていますが、坂本さんが在籍した当時はありませんでした。

 

高校時代はソフトボール部に在籍をしていました。

 

ポジションはキャッチャーでした。

 

 

ソフトボール部では常に大声でチームメイトに指示を出していたことから、喉の強化になったようです。

 

また当時は声を出しすぎてしまったため、喉から出血したこともありました。

 

なおソフトボール部は1年生限りで退部しています。

 

前記のように坂本さんには中学生の頃から交際をしているヤマモトくんという男子がいました。

 

坂本さんはその後、10年間も忘れられなかったほどヤマモトくんのことが好きだったようで、当時はヤマモトくんと結婚ができるなら歌手になる夢を諦めるつもりだったと言うほどでした。

 

ヤマモトくんとは同じ高校に進学をしていますが、事情がありその後に破局をしました。

 

当時のことについては次のように話しています。

 

「それでもずっと好きだったんです。悔しくて、何年も送り合った交換日記もすべて燃やしてしまいました。サザンの曲も、ヤマモトくんを思い出してつらいから、しばらくは聴けませんでしたね」

記事引用:woman excite

 

また坂本さんは高校生の頃に和歌山アドベンチャーワールドでアルバイトをおこなっていました。

 

この頃はカラオケセットを購入して毎日自宅で歌の練習をしています。

 

【主な卒業生】

樫山圭(ミュージシャン、元MOON CHILD)

古家学(シンガーソングライター)

 

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坂本冬美の学歴~出身大学(放送大学)の詳細

 

出身大学:放送大学 教養学部 偏差値なし

 

 

 

坂本冬美さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、就職しています。

 

就職先は大阪市内にレストランなどを経営する会社で、経理として入社しています。

 

しかしわずか4カ月間でこの会社を退職。

 

その後は和歌山市内の梅干し会社「ウメタ」に入社して工場で勤務する傍ら、演歌歌手を目指してカラオケ教室に通学しています。

 

工場で品質管理をおこなう仕事でしたが、作業中にはいつも歌っていたといいます。

 

 

また坂本さんはこの頃に放送大学に入学しています。

 

この大学は当時はNHKのラジオ講座(現在はオンライン授業などが中心)などで授業を受ける大学で、希望すれば誰でも無試験で入学できるので偏差値はありません。

 

また卒業するのは困難で、4年間で卒業できるのはわずか5%ほどです。

 

過去に芸能人も多く入学していますが、卒業できたのは志村けんさんや草刈正雄さん、滝藤賢一さんら一部です。

 

坂本さんもこの大学を卒業したかどうかは不明です。

 

そして19歳だった1986年に出場したNHKの「勝ち抜き歌謡天国」の和歌山大会の名人となって際に、作曲家の猪俣公章さんの目に留まります。

 

 

その後は猪俣さんの内弟子となり、同じく弟子だったマルシアさんらと切磋琢磨してデビューを目指します。

 

 

1987年に「あばれ太鼓」で演歌歌手としてデビューを飾ると、デビューシングルがいきなりヒットとなります。

 

 

以降もコンスタントにヒット曲をリリースして、女性演歌歌手では大物のひとりとなりました。

 

 

また女優としても活動しており、若い頃は主演作のテレビドラマもありました。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が坂本冬美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

演歌歌手としてデビュー後は数々のヒット曲をリリースして、女性演歌歌手でも代表的な人物となっています。 

 

 

未だに高い人気を誇っているので、今後の活躍にも期待が高まります。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1986年に作曲家の猪俣公章の内弟子となる。 

1987年の「あばれ太鼓」でデビューをし、いきなり80万枚のセールスを記録。

1988年にNHK紅白歌合戦に初出場。 

以降も「男の情話」や「能登はいらんかいね」、「夜桜お七」などのヒット曲をリリース。 

1992年に主演作のドラマ「女無法松 小夏の恋」で女優デビュー。 

以降も「遠山金志郎美容室」や「ラブ・ジャッジ2」、「夜桜お七殺人事件」などのドラマに出演。 

2002年に膵臓炎の治療などで1年間芸能活動を休止。 

結婚歴はない。

 

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