歌手の島谷ひとみさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は島谷さんは高校卒業後に演歌歌手としてデビューしていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
島谷ひとみ(しまたに ひとみ)
1980年9月4日生
身長161㎝
血液型はO型
広島県音戸町(現在は呉市)出身の歌手、声優、タレント
本名は島谷瞳(読みは同じ)
以下では島谷ひとみさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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島谷ひとみの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:広島県立清水ヶ丘高校
出身中学校:音戸町立音戸中学校
出身小学校:音戸町立波多見小学校
島谷ひとみの学歴~出身小学校(音戸町立波多見小学校)の詳細
出身小学校:広島県 音戸町立波多見小学校
※現在は呉市立波多見小学校
島谷ひとみさんの出身小学校は、地元音戸町内の公立校・音戸町立波多見小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
母親の実家はカキ養殖を営んでいました。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
島谷さんが住んでいたのは瀬戸内海に浮かぶ小さな島で自宅のすぐそばには海があったことから、大きな声で歌っていました。
父親は若い頃にアマチュアバンドで活動をしていたそうで、島谷さんは大きな声で歌うように言われていたとのことです。
かなり田舎だったことから22時になると信号も消灯したそうです。
カキ養殖所では従業員や家族、親戚まで集まり宴会をすることがありました。
この宴会では島谷さんのショータイムがあったとのことでインタビューでは次のように話しています。
「大川栄策さんの『さざんかの宿』や、吉幾三さんの『雪國』を歌うと、おじいちゃん、おばあちゃんが大喜び、おひねりをくれながら『大きくなったら、歌手になるんだよ』なんておだてるんです。まだ幼いから、その気になっちゃいますよね」
記事引用:ウーマンエキサイト
島谷さんはこの頃から将来は歌手を志していました。
また幼少期には男子と野球をしたり、外で遊ぶことが多かったことから日焼けをして真っ黒だったといいます。
島谷さんは小学生の頃には自ら進んで学級委員長を務めるなど責任感のある子供だったようです。
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島谷ひとみの学歴~出身中学校(音戸町立音戸中学校)の詳細
出身中学校:広島県 音戸町立音戸中学校 偏差値なし
※現在は呉市立音戸中学校
島谷ひとみさんの出身中学校は、地元広島県音戸(おんど)町内の公立校・音戸町立音戸中学校です。
中学時代のエピソード
中学時代は軟式テニス部に在籍をしており、部活動に打ち込んでいました。
テニスでは地元の大会では優勝経験もありました。
島谷さんは中学3年生の時に男子とはじめて交際をしており、お互い恥ずかしくて話をすることができなかったことから、手紙でやりとりをしていたことを明かしています。
この男子とは後にテレビ番組で再会をしました。
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島谷ひとみの学歴~出身高校(清水ヶ丘高校)・大学の詳細
出身高校:広島県 清水ヶ丘高校 偏差値45(容易)
島谷ひとみさんの出身高校は、私立の女子校の清水ヶ丘高校です。
この高校は1906年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
また現在の同校には特別進学コース(偏差値56)や看護コース(偏差値50)を設置していますが、島谷さんが在籍した当時の同校には普通科と商業科しかありませんでした(偏差値はともに45)。
ただし島谷さんがどちらの学科に在籍していたかは不明です。
高校時代のエピソード
高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
島谷さんは高校時代には毎日のように友人とカラオケに行き、歌を歌っていました。
また高校1年生の時に中学生の頃から友人として仲良くしていた男子に告白をしましたが、フラれてしまったそうです。
同じ年にはワイドショー「ルックルックこんにちは」の「女ののど自慢」の女子高生大会に近所のおばちゃんが申し込みをして出場をしています。
番組に出場をして歌うだけでA~C賞の中から好きなものをもらえたとのことで、島谷さんは桐たんすと真珠のネックレスなどをもらいました。
この番組に出演したことがきっかけでいくつかの音楽関係者からスカウトをされましたが、すべて断ったことを明かしています。
しかし高校卒業後の進路を考えた際に幼少期からの夢だった「歌手になりたい」という思いが沸き上がってきたといいます。
高校時代にオーディションでグランプリに
ちょうどその時にたまたまスポーツ新聞で「第1回ザ・ジャパン・オーディション」の広告を見て応募をしています。
島谷さんは当時のことについてはインタビューで次のように話していました。
「安室奈美恵さんやDA PUMP、PUFFYなどそうそうたる顔ぶれが出演するオーディション番組で、“これに受かって、私は歌手になる”と決意しました」
記事引用:女性自身
このオーディションでは20万人の応募者の中からグランプリに輝いており、8社のレコード会社や芸能プロダクションが札を上げてくれたそうです。
そのため以降は週末は上京をして歌のレッスンを受けています。
【主な卒業生】
国生さゆり(タレント)
大学には進学していない
なお島谷さんは高校卒業後は大学には進学しておらず、上京をして芸能活動に専念しています。
上京後は芸能界を目指してトレーニングをする女子が集まる寮に入っており、ここで女優の国仲涼子さんと出会いました。
そのため当時から2人は親友の仲です。
島谷さんは19歳だった1999年に「大阪の女」で、演歌歌手としてデビューしています。
楽曲はオリコン演歌チャートで1位を記録しましたが、すぐにポップスに転向しています。
「亜麻色の髪の乙女」でブレイク
すると2002年にリリースした「亜麻色の髪の乙女」がロングセラーとなって、歌手としてブレイクしています。
以降も「元気を出して」や「アンジェラス」などのヒット曲をリリースしています。
また歌手だけではなく、女優やタレントとしても活動をしています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が島谷ひとみさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初は演歌歌手としてデビューしていますが、21歳の時にリリースした「亜麻色の髪の乙女」が大ヒットして、ブレイクしています。
その後もヒット曲をリリースするとともに、女優やミュージカルなどでも活動し、多方面で高い人気を誇っています。
また音楽活動も多岐にわたっており、シンガーとしての評価も非常に高いことで知られています。
今後の活動にも注目です。
経歴・プロフィールの詳細
1999年に演歌歌手としてデビューし、1stシングル「大阪の女」をリリース。
翌年ポップスに転向し、2002年1月にリリースした6thシングル「シャンティ」がオリコン7位となるヒット。
同年5月の7thシングル「亜麻色の髪の乙女」の大ヒットでブレイク。
以降も「元気を出して」や「ペルセウス」などのヒット曲をリリースしている。
2002年から2005年まで4年連続でNHK紅白歌合戦に出場。
2002年のドラマ「新宿鮫」で女優デビューし、「僕だけのマドンナ」や「パパドル!」などの連続ドラマにも出演。
2004年の「スター誕生」でミュージカル初出演。
2006年の「テニスの王子様」で映画初出演。
2007年に主演したミュージカル「赤毛のアン」は好評で、2011年まで公演。
タレントとしても情報番組や音楽番組に出演しており、歌手としてもポップスだけではなく、童謡や民謡、レゲエやジャズといった幅広いジャンルを歌いこなす。
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