「PUFFY」の吉村由美さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は吉村さんは中学・高校時代は美人のヤンキーで、地元では有名な存在でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
吉村由美(よしむら ゆみ)
1975年1月30日生
身長161㎝
血液型はA型
大阪府寝屋川市出身の歌手
「PUFFY」のメンバー
本名同じ
以下では「PUFFY」吉村由美さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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吉村由美の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:東洋家政高等専修学校(中退)
出身中学校:寝屋川市立第一中学校
出身小学校:寝屋川市立中央小学校
吉村由美の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:大阪府 寝屋川市立中央小学校
吉村由美さんの出身小学校は、寝屋川市内の公立校の寝屋川市立中央小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
ただし後記のように中学時代に父親を亡くしています。
また姉とは子供の頃から仲が良く、近所では美人姉妹と言われていました。
人見知りが激しい子供だったことから、お喋りをしてこなかったことが現在の引き出しの少なさに繋がっていると話していました。
また活発だったことからゴム跳びをしすぎて、脱腸になり入院しています。
子どもの頃から勉強をして育たなかったと振り返っています。
小学校の頃にも盲腸の手術をしましたが、途中から麻酔が切れてしまい痛い思いをしたそうです。
小学5年生の時に隣のクラスの男子に初恋をしました。
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吉村由美の学歴~出身中学校(寝屋川市立第一中学校)の詳細
出身中学校:大阪府 寝屋川市立第一中学校 偏差値なし
吉村由美さんの出身中学校は、地元大阪府寝屋川市内の公立校の寝屋川市立第一中学校です。
中学時代は陸上部に在籍をしており、走り幅跳びで市の大会で優勝するなど運動神経は良かったようです。
中学2年生の時に父親が他界しています。
前記のように吉村さんは中学時代から荒れはじめており、ルックスのよさもあったことから地元では有名な存在でした。
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吉村由美の学歴~出身高校(東洋家政高等専修学校)・大学の詳細
出身高校:大阪府 東洋家政高等専修学校(中退) 偏差値なし
吉村由美さんが入学したのは、私立の女子校(当時)の東洋家政高等専修学校です。
この学校は1978年開校の高等専修学校で、ファッションや和裁などを学ぶ学科を設置しています。
また現在は通信制の長尾谷高校と提携しており、高校卒業の資格も取得することができます。
中学時代から荒れておりヤンキーでしたが、大阪では可愛いと有名だったことから吉村さんをめぐり男子同士が決闘をしたことがあったそうです。
また16歳の時に煙草を持っている写真があり、1996年10月に「HEY!HEY!HEY!」に出演した際に紹介されています。
自身の高校時代についてはインタビューで次のように振り返っています。
「毎日が楽しくて、夢を持つほど余裕がなかった。高校時代は何も考えていませんでした。」
毎日が楽しく気が付いたら18歳になっていたとコメントを残しています。
高等専修学校に入学後は1ヶ月程で退学をしており、その後はカラオケボックスや鉄筋工、スポーツジムなどでアルバイトをしていました。
なお高校中退後は高卒認定試験なども受けていないため、大学には進学していません。
吉村さんは17歳の時にソニー主催のオーディションを受けて、準グランプリに輝きソニーミュージックに所属しています。
吉村さんは自身のデビューのきっかけについてインタビューで次のように話しています。
「私は、たまたまソニーが開催したオーディションがありまして、そこで準優勝したんです。受けておきながら未だに何だったのか分からない、18歳まで受けられる謎のキャラクターオーディションみたいな。今考えたら怖くて、やっていることも、内容もよくわからないんですけど、準優勝とか優勝すると、うちの会社と契約することになっていたんですね。」
記事引用:文春オンライン
吉村さんはたまたま古着屋で見つけたチラシにオーディションが載っており、1位が賞金30万円で2位が賞金10万円と書いてあったことからお金欲しさで応募しています。
一度は書類審査で落ちてしまっていますが、その後ソニーの担当者から「由美ちゃんキャラが強いから、僕、個人的にやってみたいんだよね」と連絡が来て、後に合格となっています。
また吉村さんは上京をする際に自宅から持っていたものは布団だけでした。
そして21歳の時にPUFFYとしてメジャーデビューを果たしました。
すると奥田民生さんが作曲とプロデュース、井上陽水さんが作詞を務めたデビュー曲「アジアの純真」がミリオンヒットになっています。
その後も「これが私の生きる道」や「サーキットの娘」、「渚にまつわるエトセトラ」などのヒットを連発して、PUFFYは瞬く間にスターダムに上り詰めました。
吉村さんはデビュー当初はそれほど長く活動するとは思っておらず、インタビューでは次のように当時を振り返っています。
「そもそも当初は、PUFFYとして長く活動するとは思ってなかったんですよ。誰しもがファーストミニアルバムの単発で終わる意識で作っていたはずなんです。それが気づけば、誰にも辞めろとは言われなくて、25年経っちゃった。」
記事引用:文春オンライン
また西川貴教さんとの結婚・離婚は大きな話題になっています。
吉村さんはアーティストとしての活動のほか、バラエティ番組などでも親しまれています。
以上が「PUFFY」吉村由美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
在籍する PUFFYはデビューからミリオンヒットを連発して、かなりの人気を誇っていました。
そのため当時はかなりのメディアに出演していました。
現在でも根強い人気を誇る人だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1994年に大貫亜美と出会って、翌年にパフィーを結成。
1996年5月に奥田民生をプロデューサーに迎えた1STシングル「アジアの純真」がいきなりのミリオンヒットとなる。
以降も1997年の4THシングル「渚にまつわるエトセトラ」まで、4作連続のミリオンヒットをリリース。
1998年には台湾に進出し、発売したCDすべてがゴールドディスクを受賞。
2004年にはパフィーをモデルとしたアニメ「ハイ!ハイ!パフ―・アミユミ」が全米でブレイクし、国際的な人気を得る。
2016年のデビュー20周年を機に、NHKの紅白歌合戦に初出場。
1999年に西川貴教と結婚するも、2002年に離婚。
2010年に一般人男性と再婚した。
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