パフィー大貫亜美の学歴|出身は荏田高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

「PUFFY(パフィー)」の大貫亜美さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。夫がGLAYのTERUさんであることが知られている大貫さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

大貫亜美(おおぬき あみ)

 

 

1973年9月18日生

身長155㎝

血液型はA型

 

東京都町田市出身の歌手

ポップデュオ「PUFFY(パフィー)」のメンバー

本名同じ、別名義は「ジェーン」

 

以下ではPUFFY大貫亜美さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

大貫亜美の学歴まとめ

 

出身専門学校:神田外語学院

出身高校:神奈川県立荏田高校

出身中学校:横浜市立中山中学校

出身小学校:町田市立忠生小学校

 

大貫亜美の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:東京都 町田市立忠生小学校

 

 

 

大貫亜美さんの出身小学校は、町田市内の公立校の町田市立忠生小学校です。

 

家族構成は両親と兄の4人家族です。

 

ただし兄は大貫さんが12歳の時に他界しています。

 

ホテルマンだった父親は英語が堪能だったことから、子供の頃から英語の発音を教え込まれていたそうです。

 

また母親の影響で子供の頃から刺繍や縫物をやっていました。

 

9歳の時に一家で韓国・ソウルに移住して現地の小学校を卒業しています。

 

そのため日本の流行が分からずにビートルズなどの洋楽を好んで聴いていました。

 

人生においての必要なことを漫画から学んできたというほど、子供の頃から漫画好きでした。

 

大貫亜美の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:神奈川県 横浜市立中山中学校 偏差値なし

 

 

 

大貫亜美さんの出身中学校は、横浜市内の公立校の横浜市立中山中学校です。

 

前記のように小学校時代は韓国で過ごしていましたが、中学校に入学するタイミングで帰国して同校に進学をしました。

 

中学時代は剣道部に在籍をしており、部活動に励んでいます。

 

【主な卒業生】

横尾渉(キスマイ)

 

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大貫亜美の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:神奈川県 荏田高校 偏差値52(普通)

 

 

 

大貫亜美さんの出身高校は、県立の共学校の荏田(えだ)高校です。

 

この高校は1979年開校の中堅県立高校です。

 

また部活動が盛んで、特に男女のバレーボール部が県内では強豪として知られています。

 

大貫さんは高校時代は帰宅部で、部活動はおこなっていませんでした。

 

 

高校生の時にはレストランでアルバイトをしていました。

 

高校時代はキャビンアテンダントかホテルマンになりたくて英語の勉強をしていました。

 

父親に影響されて普通自動二輪車免許を取得し、よく一緒にツーリングに行っています。

 

高校2年生の時に友人に誘われてロックバンドを組むことになり、ボーカルを務めていました。

 

当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「友達に誘われてバンドを組むことになって。それもソニーにデモテープを出すためだけに組んだバンドで、テープも1回しか送らなかったから、そんなに熱心にやっていたわけでもなかったんです。でも、それでソニーの人から声を掛けてもらったので、『じゃ、お願いしまーす』みたいな感じですね。」

記事引用:文春オンライン

 

そして高校3年生の時にソニーのオーディションに合格をしましたが、ベースとギターのメンバーが乗り気ではありませんでした。

 

そのためバンドでのデビューは実現しませんでした。

 

また大貫さんは高校時代は雑誌「オリーブ」の読者モデルを務めていました。

 

【主な卒業生】

徳永有美(アナウンサー)

吉川美香(陸上選手・ロンドンオリンピック代表)

 

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大貫亜美の学歴~出身大学の詳細

 

出身大学:専門学校 神田外語学院 偏差値なし

 

 

 

大貫亜美さんは高校卒業後は、専門学校の神田外語学院に進学をしています。

 

この学校は1957年開校で、現在では外国語のほかビジネスや保育、観光などの学科も設置しています。

 

TRFのDJ KOOさんや歌手の今井美樹さん(中退)もこの専門学校の出身者です。

 

高校時代から成績が良かったことから同校には推薦入学をしました。

 

大貫さんは同校にはキャビンアテンダントになるために入学をしています。

 

前記のように大貫さんは高校時代にバンドを組んで、ソニーのオーディションに参加をして合格をしています。

 

しかしバンドのメンバーは違う進路を希望したため解散し、大貫さんは進学をしました。

 

ソニー関係者は大貫さんにはデビューをして欲しかったため説得をして、ボイストレーニングに通いはじめました。

 

それからはソロデビューに向けて準備をはじめています。

 

このように大貫さんは専門学校時代はレッスンに明け暮れていますが、学校は無事に卒業しています。

 

21歳だった1994年に、事務所で後にPAFFYを結成することなる吉村由美さんに出会いました。

 

 

吉村さんは大貫さんの第一印象についてインタビューで次のように話しています。

 

「亜美ちゃんの第一印象は、都会の子っていうイメージかな。お洒落で髪の毛フワフワで。その頃それが天パだって気づかなくて、すごいお洒落なパーマをあててるんだと思ってました(笑)。いつも可愛い恰好して、当時はいち早くピッチ(PHS)持っていて、やっぱり東京の人は違うなって。」

記事引用:文春オンライン

 

大貫さんは当時は0か100という考え方で、苦手な人とはどう話せばよいのか分からないタイプだったそうです。

 

22歳だった1996年6月に、PUFFYはファーストシングル「アジアの純真」でメジャーデビューを飾っています。

 

 

ちなみにこの曲は作詞を井上陽水さん、作曲とプロデュースを奥田民生さんが担当しており、満を持してのメジャーデビューでした。

 

すると楽曲はミリオンヒットを記録しています。

 

その後も「これが私の生きる道」や「サーキットの娘」、「渚にまつわるエトセトラ」が大ヒットして瞬く間にPUFFYはスターダムに上り詰めています。

 

 

 

大貫さんは2002年にGLAYのTERUさんと結婚しており、2人ともに人気者だったことから大きな話題になっています。

 

 

大貫さんは音楽活動以外にもデザイナーとして、テディベアのデザインを務めたこともありました。

 

以上が「PUFFY」大貫亜美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

在籍するPUFFYはデビュー直後からヒット曲を連発して、数々の音楽賞の新人賞を総なめにしたほどです。

 

 

また日本国内ばかりではなく、台湾や香港などの東南アジアでも高い人気を誇っていました。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

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