倖田來未の学歴と経歴|出身は京都精華女子高校!大学や中学校の偏差値|野球がすごかった!

 

歌手の倖田來未さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は倖田さんは運動神経が万能で、中学時代には男子に混じって野球部に在籍して後のプロ野球選手と二遊間を組んでいました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

倖田來未(こうだ くみ)

 

 

19821113日生

身長154

血液型はA型

 

京都府京都市出身の歌手

本名は神田來未子(結婚前)

 

以下では倖田來未さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

倖田來未の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:京都精華女子高校

出身中学校:京都市立藤森中学校

出身小学校:京都市立深草小学校

 

倖田來未の学歴~出身小学校(京都市立深草小学校)の詳細

 

出身小学校:京都府 京都市立深草小学校

 

 

 

倖田來未さんの出身小学校は、地元京都市内の公立校の深草小学校です。

 

家族構成は両親と妹の4人家族です。

 

 

妹は歌手でタレントのmisonoさんです。

 

父親はトラックの運転手をしており、後にコウダ建設を経営しています。

 

父親はかなり優しかったそうで、倖田さんはほとんど怒られたことがなかったそうです。

 

母親は琴の先生をしており、その影響もあり3歳の頃から扇舞や日本舞踊を習っていました。

 

またカラオケが上手だった母親に憧れを抱いて、小学生になった頃には数々のオーディションに応募するようになります。

 

自身の幼少期についてインタビューで次のように話しています。

 

「あんまりこうしたいとか昔からなくて、普通の子やったんですよ。引っ込み思案っていうか、あんまり前のめりでない、今みたいに」

記事引用:エキサイト

 

また幼少期からテレビっ子で「うる星やつら」のラムちゃんに憧れを抱いていました。

 

 

小学4年生の時に東映俳優養成所の児童科クラスのオーディションを経て合格をしており、妹のmisonoさんと共に通っていました。

 

また小学校時代から運動神経が良かったことから、リレーの選手に選ばれていました。

 

小学校時代の卒業アルバムには将来の夢について歌手かスタッフと書いています。

 

 

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倖田來未の学歴~出身中学校(京都市立藤森中学校)の詳細

 

出身中学校:京都府 京都市立藤森中学校 偏差値なし

 

 

 

倖田來未さんの出身中学校は、地元京都市内の公立校の京都市立藤森(ふじのもり)中学校です。

 

この中学校に在学中は、2学年下に妹のmisonoさんも在籍していました。

 

倖田さんは中学時代はソフトテニス部に在籍をしていましたが、先生と喧嘩をしたことで途中で退部をしています。

 

しかし倖田さんは運動神経が非常によかったことから、先生に誘われて野球部に入部し直しています。

 

男子に混じって野球に打ち込むと、セカンドのレギュラーを獲得しています。

 

当時は後に広島カープで活躍する赤松真人さんと二遊間を組んでいました。

 

【主な卒業生】

吉田敬(お笑い・ブラックマヨネーズ)

鈴木えみ(ファッションモデル)

松井大輔(サッカー元日本代表)

大野雄大(プロ野球選手)

 

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倖田來未の学歴~出身高校(京都精華女子高校)・大学の詳細

 

出身高校:京都府 京都精華女子高校 偏差値43(容易)

※現在は京都精華学園高校

 

 

 

倖田來未さんの出身高校は、私立の女子校(当時)の京都精華女子高校です。

 

この高校は1905年開校の私立高校で、女子サッカー部は全国的な強豪として知られています。

 

倖田さんは高校時代は歌手になるためにレッスンに励んでおり、部活動などはおこなっていませんでした。

 

 

また当時も様々なオーディションを受けています。

 

高校2年生だった1999年に、エイベックスのオーディションで準グランプリを受賞しており、インタビューでは次のように話しています。

 

「一生懸命アピールをして最終的に準グランプリをいただいてレッスンやトレーニングを受ける権利がもらえました。その時は高校2年生の時で、もし受かってなかったら進学するという親との約束もあったのでラストチャンスでした。」

 

このオーディションで大学進学をするのか、アーティストの道に行くのか人生の分かれ道だったと話しています。

 

 

また倖田さんの中では人生をかけたオーディションだったと話しており、当時を次のように振り返っています。

 

「オーディションのために8キロダイエットしたり、自分の中では人生かけたオーディションだったなと思います。すごく印象に残っています。それまでは書類審査も通らなかったんですけど、逆に落ちてきてよかったなって思います。」

 

ちなみにこのオーディションでグランプリを獲得した松室麻衣さん、長谷部優さん、橘佳奈さんの3人はDreamとしてメジャーデビューを飾っています。

 

また後にモーニング娘。のメンバーとなる藤本美貴さんもファイナリストでした。

 

倖田さんは同時期にモーニング娘。の追加メンバーのオーディションでも2次審査を通過していましたが、辞退しています。

 

 

そして高校3年生の時にデビューを果たしていますが、当時のことにつてインタビューでは次のように振り返っています。

 

「デビューしたとき校則が厳しい学校に通っていたので、『夢を追うくらいなら学校辞めろ』って言われたことです。『辞めて東京に行く』って言ったら、会社の方に『いや高校は京都で過ごしてください』って言われて。こんな学校で過ごすの嫌だなと思いつつも、高校3年生の期末テスト期間中にデビューして(笑)。」

 

 

当時は誰もCDを購入してくれずデビューおめでとうとも言われず、最終的には当時のディレクターさんに「お前の歌詞はストーカーみたい」だと言われたこともありました。

 

そのため歌手になることが夢だったけれど、どうしたらよいのか分からない状態だったと言います。

 

また当時交際している男子がいましたが、「東京に行くな」と言われたことから別れを選んでいます。

 

なおデビュー曲は「KODA」名義でアメリカで先行デビューをしており、スマッシュヒットを放つも、日本国内での評価は今ひとつでした。

 

 

【主な卒業生】

高橋未来(バスケットボール選手)

 

大学には進学していない

 

なお倖田さんは高校卒業後は大学には進学しておらず、芸能活動に専念しています。

 

以降もコンスタントに楽曲をリリースしていますが、セールスは伸び悩みます。

 

それでも21歳だった2004年5月に、映画「キューティーハニー」の主題歌がヒット。

 

すると翌年に16枚シングル「Butterfly」が初のオリコン1位を記録。

 

 

またベストアルバムもミリオンセラーとなって、この年の日本レコード大賞も受賞して大ブレイクを果たします。

 

以降は国内でも有数の歌姫として、数々のヒット曲を飛ばしています。

 

 

 

以上が倖田來未さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

当初はなかなかヒット曲に恵まれませんでしたが、23歳の時に大ブレイクを果たしています。

 

結婚、出産も経験しましたが、その後もコンスタントにヒット曲をリリースしています。

 

 

現在でも精力的な活動を展開しているので、今後のさらなる活躍にも期待です。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1999年にエイベックスが主催したオーディションで準グランプリを獲得。 

2000年に日本に先行してアメリカで、1STシングルTAKE BACK」をリリースしてデビュー。

2004年の映画「キューティーハニー」で映画初出演し、「西遊記」や「ブスの瞳に恋してる」などの作品にも出演している。 

2005年の19THシングル「you」でオリコン初の1位を獲得し、16THシングル「Butterfly」で日本レコード大賞を受賞し大ブレイクを果たす。

同年にNHKの紅白歌合戦に初出場。

以降も「夢のうた」や「FREAKY」、「TABOO」などのシングルが大ヒット。 

私生活では201112月にロックバンド「BACKON」のボーカル&ギターKENJI03と結婚し、2012年に男児を出産している。 

 

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