人気お笑い芸人のブルゾンちえみさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。陸上競技や勉強に打ち込んだ高校時代や挫折を味わった大学時代など、学生時代のエピソードも併せてご紹介いたします
ブルゾンちえみ
1990年8月3日生
身長155㎝
血液型はO型
岡山県出身のお笑いタレント、女優
本名は藤原史織(しおり)
以下ではブルゾンちえみさんの学歴や経歴、高校・大学の偏差値や高校時代・大学時代のエピソードや画像などをご紹介していきます。
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藤原しおりの学歴まとめ
出身大学:島根大学 教育学部(中退)
出身高校:岡山県立大安寺高校
出身中学校:岡山市立上道中学校
出身小学校:岡山市立平島小学校
藤原しおりの学歴~出身小学校(岡山市立平島小学校)の詳細
出身小学校:岡山県 岡山市立平島小学校
ブルゾンちえみさんの出身小学校は、地元の岡山市内の公立校の平島小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族(2人姉妹の姉)
実家は岡山市の平島という場所にありますが、2018年の西日本豪雨の際に浸水したことをブルゾンさん自身が明らかにして、注意を呼び掛けています。
父親が小学校の教員をしており、祖母も幼稚園の教員をしていた家庭に育っています。
幼少期から明るい少女で、小学校・中学時代はともにクラスの盛り上げ役で、小学生時代から同級生とコンビを組んで校内でネタを披露していました。
「つねにクラスの盛り上げ役で、いつも面白いことを言っていました。小学校時代には同級生とお笑いコンビを組んでいたことも。女の子で周囲を笑わせる子なんて他にいなかったので、目立っていました」
(小学1年生の頃)
またブルゾンさんは小学校3年生の時には「お絵かき」に熱中したことをインタビューで明らかにしています。
「小学3年生の頃、私の遊びの中心は「お絵かき」でした。どこかに旅行となったら、カバンの中には必ず「らくがき帳」を入れ、それを忘れると、とても不安になった。毎日毎日毎日……、よく飽きなかったなあと今では思います」
父親が小学校の教頭で陸上部の顧問を務めていたことから、小学校5年生から陸上クラブで長距離走をはじめており、運動やスポーツも得意のようです。
また小学校時代から動物好きだったことを週刊誌「女性自身」に当時の同級生が明らかにしています。
加えて小学校時代には動物愛護と環境問題に関心があったとインタビューで話しています。
お笑い以外に関心を持っていたのが動物愛護と環境問題です。獣医師を目指す学生が主人公のドラマを見て、動物の殺処分が許せなくなりました。環境問題については「私が何とかしないと」と思い込み、クラスメートに「裏紙を使って」「水道を止めて」などと呼びかけ、付いたあだ名は「節約」
小学校高学年の頃からは友達と市内の劇場にお笑いライブを見に足を運んでいます。
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藤原しおりの学歴~出身中学校(岡山市立上道中学校)の詳細
出身中学校:岡山県 岡山市立上道中学校 偏差値なし
ブルゾンちえみさんの出身中学校は、地元岡山市の公立校の上道(じょうとう)中学校です。
中学生時代も陸上に入部して、陸上競技(長距離走)に取り組んでいます。
当時はボーイッシュな髪型で長距離走をやっていたので、体型も瘦せ型でした。
また中学生の頃も前述のようなキャラで人気者で、かなりモテていたと同級生が証言しています。
しかも当時から勉強は得意でした。
(すっぴんの中学時代の写真)
後記のとおり出身高校は現在は中高一貫校になっていますが、当時は一貫校でなかったことからブルゾンさんは高校へは一般受験で入学しています。
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藤原しおりの学歴~出身高校(岡山県立大安寺高校)の詳細
出身高校:岡山県 大安寺高校 偏差値60(当時・やや難関)
※現在は大安寺中等教育学校
ブルゾンちえみさんの出身高校は、県立の共学校の大安寺(だいあんじ)高校です。
地元では古くから進学校として知られていましたが、現在は中学高校を区別せずに6年制の教育をおこなう大安寺中等教育校に再編されています。
高校時代も陸上部に在籍して長距離走(3000m~10000m)を担当していました。
「高校は長距離に入ったんです。中学の時は短距離女子が少なすぎて、女子1人で男子と練習していたんです。高校になって女子いっぱいいるだろうなって思ったら、長距離でも女子1人。男子と女子はスピードが違うから練習の速さも違って、しんどさを共有できる仲間もいなかった」
また高校時代は熱心に部活動に打ち込んだことをインタビューで話しています。
「休日も朝5時に起きて自主練習で10キロ走り、その後は夜まで勉強する生活です。携帯電話やテレビに目もくれず、流行も分からないほどでした」
高校3年生の岡山総体ではわずかな差で中国大会への切符を逃しています。
「高校生の最後の大会。3千メートルで、私その時の中国大会に行ける上位6人の中に途中まで入ってたんです。最後の200メートルで抜かされて、私が7位になって中国大会に出場できなかった」
ただしそのことに関しては後悔などはないようです。
また勉強も頑張っており、学校の成績もトップクラスで、まさに「文武両道」をいく生徒でした。
「高校は進学校でしたが、連日猛勉強していたこともあり、テストで校内1位になったこともあります」
高校時代は思春期の年齢の女子には珍しい古文や漢文など国語に関する資料集である「国語便覧」を読むのが好きで、「徒然草」などを読みふけっていました。
また英語力も高く英検2級も取得していますが、留学経験などはないようです。
そんな高校時代をブルゾンさんは次のように話しています。
「シブい高校生でしたね(笑い)、高校時代は勉強と走るってのだけやってて、ほぼ修行僧だったかもです(笑い)」
それだけ部活の陸上競技の練習と勉強に打ち込んだ学生時代で、努力家でもあったことでしょう。
なお後にバラエティー番組「行列のできる法律相談所」で高校時代の母校の恩師と再会していますが、恩師は「かなりのがんばり屋さんだった」と語っています。
【主な卒業生】
兎(お笑い・ロングコートダディ)
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藤原しおりの学歴~出身大学(島根大学)の詳細
出身大学:島根大学 教育学部(中退) 偏差値50(普通)
ブルゾンちえみさんは高校卒業後は、国立大学の島根大学教育学部に進学します。
父親が教員をやっていたことから、教師になることを目指し同大に進学しています。
(大学時代)
しかし同大がブルゾンさんの第一志望ではなく、第一志望の大学の受験には失敗しています。
ちなみにブルゾンさんの第一志望だった大学については明らかにしていませんが、ブログで「第一志望の大学に合格していたら地元岡山を出ることはなかったと思います」と綴っていました。
岡山県の大学の文系の学部で島根大学より高いレベルの学部を設置しているのは、同じく国立の岡山大学しかないことから、恐らくはこちらの大学が第一志望だったはずです。
岡山大学の文系の各学部の偏差値は以下の通りです。
教育学部(偏差値53~58)
文学部(偏差値55~57)
法学部(偏差値55)
経済学部(偏差値50)
ブルゾンさんの第一志望の学部は不明ですが、前記の通り島根大学でも教員になるために教育学部に入学しているので、岡山大学の教育学部が第一志望だったと推測されます。
※追記
後のインタビューでブルゾンさん自身が第一志望は岡山大学の教育学部でああったことを認めています。
「将来の夢は決まっていませんでした。地元を出るつもりはなく、漠然と「教員免許を取れば役に立つだろう」と思い、岡山大の教育学部を目指しました。」
しかも模試ではA判定でありながら不合格になったことも明らかにしています。
「模試では合格の可能性が高いA判定でしたが、本番のセンター試験では思ったほど点数が取れませんでした。3年間の努力を否定されたようで、数日間泣きました」
本番で実力が発揮できなかったようですが、岡山大学に進学できなかったことは本人にとっても相当のショックでした。
また進学した島根大学では勉強がおろそかになってしまったこともインタビューで述べています。
「結局、島根大教育学部に進みましたが、大学進学が目標だったので、解放感から次第に勉強はおろそかに」
大学入学後はラグビー部にマネージャーとして入部しています。
高校までは陸上部に所属して長距離走の選手として活躍していましたが、なにか新しいことにチャレンジしたいということでラグビー部に入部しています。
しかしラグビー部の隣で練習している陸上部の姿を見るうちに再び陸上をやりたいという思いが強くなり、大学2年生の時にラグビー部を退部して、陸上部に選手として入部しています。
そして大学3年生の時に中退してしまっています。
ブルゾンさんによれば父親が教師だったことから、なんとなく教師を目指してしまい、大学3年生の頃には真剣に教師の道を目指す同級生に比べて、情熱が足りないと感じたからでした。
後に「ぴったんこカンカン」に出演した際に母校の島根大学を訪れており、研究室の教授と再会。
その際にブルゾンさんが「辞めたい」と申し出たときに教授は「大学を出てからでも遅くないのでは?」と諭したところ、「今しかない」と返答したことを明らかにしています。
ちなみにこの教授はブルゾンさんがブレイクしても、しばらくの間は本人だと気づかなかったそうです。
大学時代はすっぴんに近い薄化粧だったので、現在の非常に濃いメイクとの差も激しかったようです。
せっかく入学した大学を中退するにあたってはかなり悩んだらしく、ストレスで1年間で体重が40㎏から70㎏まで増えてしまいました。
その後はブルゾンさんは「自分がやりたいこと」を見つけるために、様々なチャレンジをすることになります。
まずは女優を目指して岡山の劇団「ひびき」に在籍していますが、ほどなくして兵庫県西宮市の音楽専門学校(ダンススタジオ)URIZIPに入学しています。
このスタジオはK-POPのTWICEで活躍するMINAさんを輩出したことで知られています。
歌手になるために大阪で活動をはじめますが、2013年に友人がタレント養成所のワタナベエンターテインメントカレッジを受験する際にともに上京して、入学しています。
「親友が東京の芸能養成所「ワタナベエンターテイメントカレッジ」に行くというので、私もオーディションを受けました。ストイックに笑いを追求する芸人に憧れていました」
また教師になる道を諦めて大学も中退してしまいましたが、父親をはじめとして家族は応援しており、両親はたとえ1分ネタのライブでも岡山県から東京に駆け付けるほどでした。
そして2017年1月に出演した「ぐるナイ」の「おもしろ荘」でWITH Bを引き連れる斬新なネタで注目を集めます。
その後は「行列のできる法律相談所」や「嵐にしやがれ」などの人気番組に出演し大ブレイクして、以降も人気芸人として多くのバラエティー番組に出演しています。
またR-1ぐらんぷりで決勝に進出するなど、ブレイクは決してフロックではなく、実力の片りんも見せています。
ちなみにWITH Bを引き連れるネタですが、養成所を卒業する直前にブルゾンさんが「複数の男をはべらせたネタがやりたい」と思ったことから実現しています。
以上がブルゾンちえみさんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
ブレイク後はかなり多くのバラエティー番組などに起用される売れっ子芸人となっています。
学生時代に長距離走をやっていた実績が買われて、2017年の「24時間テレビ」では24時間マラソンのチャリティーランナーにも起用されました。
またテレビドラマ「人は見かけが100%」で女優デビュー、桐谷美玲さんや波瑠さんと共演するなど、その演技力も好評です。
さらにはすっぴん・素顔画像やメイク方法、モノマネメイクなどをインスタや動画などで公開して話題になっています。
男性ばかりではなく女性からの好感度も高いなど、ファン層も拡大し、レギュラー番組も増えています。
紆余曲折あった人生だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
藤原史織の経歴・プロフィールの略歴
1990年(0歳):岡山県岡山市で生まれる
2011年(21歳):岡山の劇団「ひびき」に入団
2013年(23歳):ワタナベエンターテインメントカレッジを受験し、入学
2016年(26歳):「パチFUN!」の「爆笑!芸人魂!」コーナーにて地上波初出演
2016年(26歳):コージ・トクダと杉浦大毅と共にユニット「ブルゾンちえみ with B」を結成
2017年(27歳):「ぐるナイ!おもしろ荘 若手にチャンスを頂戴今年も誰か売れてSP」に出演
2017年(27歳):連続ドラマ「人は見た目が100パーセント」にて女優デビュー
2017年(27歳):5人組ユニット「Royal Flush」を結成
2017年(27歳):「ユーキャン 新語・流行語大賞2017」に「35億」がトップ10を受賞
2020年(30歳):お笑い芸人を引退して女優に転向し、芸名を藤原史織に変更
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