浜田省吾の学歴|出身は神奈川大学・呉三津田高校!中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

日本の音楽シーンをリードして数々の名曲を世に送り出してきた浜田省吾さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。素顔を見せないことで知られている浜田さんはどのような学生時代を送ったのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

浜田省吾(はまだ しょうご)

 

 

19521229日生

身長170

血液型はO

 

広島県竹原市出身のシンガーソングライター

本名同じ

 

以下では浜田省吾さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

浜田省吾の学歴まとめ

 

出身大学:神奈川大学 法学部(中退)

出身高校:広島県立呉三津田高校

出身中学校:呉市立二河中学校

出身小学校:江田島町立鷲部小学校

 

浜田省吾の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:広島県 江田島町立鷲部小学校

※現在は閉校

 

浜田省吾さんの出身小学校は、江田島町(現在は江田島市)の公立校の鷲部小学校です。

 

家族構成は両親と2人の姉の5人家族です。

 

父親が警察官だったことから転勤が多く、数校の小学校に通学した後にこの小学校に編入して卒業しています。

 

 

浜田さんは9歳の時に「ビートルズ」のサウンドにはじめて出会って、大きな衝撃を受けています。

 

ちなみに当時はビートルズがバンドだとは思っておらず、週刊誌に載ったビートルズの写真について、姉に誰がビートルズか尋ねています。

 

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浜田省吾の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:広島県 呉市立二河中学校 偏差値なし

※現在は呉市立呉中央中学校

 

 

 

浜田省吾さんの出身中学校は、呉市内の公立校の二河中学校です。

 

この中学校は後に統合されて、現在は呉市立呉中央中学校になっています。

 

浜田さんは父親が転勤族だったことから中学校時代までに20回近くも引っ越しを経験しており、この中学校にも中学1年生の時に転入しています。

 

 

ちなみにこの中学校には越境入学で、当時のこの中学校の進学率が高かったことから父親の勧めで入学しています。

 

浜田さんは中学時代からFMラジオを聴きはじめ、「ビートルズ」や「ビーチボーイズ」、モータウンサウンドなどを聴いていました。

 

また学校では洋楽のヒット曲を1分間で何曲紙に書けるかということをクラスメイトと競っています。

 

加えて意外なことに当時の浜田さんは漫画を描くことも好きで、自分で描いた漫画をクラスで回し読みしていたとのこと。

 

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浜田省吾の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:広島県 呉三津田高校 偏差値65(難関)

 

 

 

浜田省吾さんの出身高校は、県立の共学校の呉三津田(くれみつた)高校です。

 

この高校は1907年開校の伝統校で、古くからの進学校として知られています。

 

浜田さんは父親が非常に教育熱心だったことから、高校受験時はかなり頑張ってこの高校に進学しています。

 

ところが高校入学後は進学校の雰囲気に馴染めずに、不良のたまり場だった野球部に入部しています。

 

またギタリストの町支寛二(ちょうし かんじ)さんと高校時代に知り合ったことから、フォークサークルの「広島フォーク村」にも参加しています。

 

野球部は先輩との対立もあって高校3年生の時に退部していますが、その後はフォークソングクラブや新聞部にも在籍しています。

 

また浜田さんは高校時代には生徒会役員も務めており、学生運動にも積極的に参加しています。

 

当時は「レッド・ツェッペリン」や「クリーム」、「ジミ・ヘンドリックス」などのハード系の洋楽を好んで聴いていました。

 

加えて現役での大学受験に失敗して、広島市内の予備校の英数学館に通学して浪人生活をおくっています。

 

【主な卒業生】

日浦孝則(ミュージシャン・元class

広岡達朗(元プロ野球監督)

 

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浜田省吾の学歴~出身大学の詳細

 

出身大学:神奈川大学 法学部(中退) 偏差値50(普通・現在)

 

 

 

浜田省吾さんは高校卒業後は、神奈川大学に進学しています。

 

現役での進学ではなく、1年間の浪人生活を経ての入学です。

 

ただし当時は学生運動が盛んな時代で、神奈川大学は特に激しかったことから大学がロックアウトされたり、ストライキで休校することも多くなり、浜田さんも徐々に大学に通学する意欲をなくしていきます。

 

そのため高校時代からの知り合いで同じく大学進学のために上京していた前記の町支さんらとバンドを組んで音楽活動にのめりこんでいきます。

 

(若い頃)

 

また浜田さんは大学2年生の時にアメリカのロックバンド「ビーチ・ボーイズ」の「サーファーガール」という楽曲に出会って大きな影響を受けています。

 

そして浜田さんは21歳だった1973年に大学を中退して、音楽活動に専念しています。

 

下宿を引き払う日には神奈川大学内で激しい内ゲバがあり死傷者も出たことから、「もうすべてが終わった」と実感しています。

 

以降はロックバンド「愛奴」のメンバーとして吉田拓郎さんのツアーなどにも参加。

 

1976年にファーストシングル「路地裏の少年」でメジャーデビューしていますが、当初のセールスは散々でした。

 

 

しかし1980年代に入るとその音楽性が認められて、ヒット曲もリリース。

 

その後は日本の音楽界を代表するトップアーティストのひとりに上り詰めています。

 

以上が浜田省吾さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

デビュー後は下積み生活も長く続きましたが、80年代にブレイクして以降は順調にキャリアを重ねていきました。

 

 

また「悲しみは雪のように」や「J BOY」、「愛という名のもとに」などの名曲と呼ばれるほどの楽曲を多数リリースしていることでも知られています。

 

数多くのミュージシャンたちにも多大な影響を与え続けている人物ですから、末永い活躍を期待したいところです。

 

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