現代アーティストの小松美羽さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「美しすぎる銅版画家」として話題になった小松さんはどのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
小松美羽(こまつ みわ)
1984年11月29日生
身長非公表
血液型はO型
長野県坂城町出身の版画家、現代アーティスト
以下では小松美羽さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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小松美羽の学歴まとめ
出身大学:女子美術大学短期大学部
出身高校:長野県立更科農業高校
出身中学校:坂城町立坂城中学校
出身小学校:坂城町立村上小学校
小松美羽の学歴~出身小学校(坂城町立村上小学校)の詳細
出身小学校:長野県 坂城町立村上小学校
小松美羽さんの出身小学校は、地元坂城町の公立校の村上小学校です。
家族構成は両親と兄、妹の5人家族です。
インターネット上ではハーフでは? と思われている小松さんですが両親ともに日本人です。
またドッグトレーナーをしている妹さんも「かわいい」と話題になっています。
実家は小学校時代「ムツゴロウ王国」と呼ばれるほど多くの動物を飼っていました。
ハムスターやうさぎ、セキセイインコ、熱帯魚や淡水魚。
本人曰く飼っていたというよりかは、表現として一緒に暮らしていたに近いと話しています。
小松さんはこの当時から一緒に暮らしていた動物たちや動物図鑑・昆虫図鑑など見ながら絵を描いて、画家になろうと決めていました。
小松美羽の学歴~出身中学校(坂城町立坂城中学校)の詳細
出身中学校:長野県 坂城町立坂城中学校 偏差値なし
小松美羽さんの出身中学校は、地元長野県坂城町の公立校・坂城中学校です。
中学時代に星新一さんの作品に目覚めて、ほとんどのショートショートの作品を読破しています。
中学時代も熱心に絵を描き続けていますが、さほど多くのエピソードなどはありませんでした。
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小松美羽の学歴~出身高校(更級農業高校)の詳細
出身高校:長野県 更級農業高校 偏差値38(かなり容易)
小松美羽さんの出身高校は、県立の共学校の更級(さらしな)農業高校です。
この高校は1907年開校の伝統校で、長野県内でも有数の歴史を持つ農業高校です。
また同校は以下の4つの学科を設置していますが、小松さんがどの学科に在籍したかは不明です。
グリーンライフ:偏差値38
施設園芸:偏差値38
生産流通:偏差値38
生物科学:偏差値38
小松さんは高校時代は美大を目指すために、受験予備校へ通っていました。
その予備校では友達が一人もできなかったようで、先生から心配されてしまうほどだったというエピソードがあります。
この時に初めて、「この状況はダメなんだ。美術の世界は自分一人だけでもやっていけると思い込んでしまっていた」と感じたことをインタビューで話しています。
こういった経験から学生時代は楽しいものではなかったようで、唯一ライトノベル「やはり俺の青春ラブコメは間違っている。」を読んで経験したことのない青春を感じていたと言います。
【主な卒業生】
もう中学生(お笑い芸人)
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小松美羽の学歴~出身大学(女子美術大学短期大学部)の詳細
出身大学:女子美術大学短期大学部 偏差値44(普通)
小松美羽さんは高校卒業後は、女子美術大学短期大学部に進学しています。
この短大には高校時代に通学していた美術予備校の講師に勧められたから進学したとインタビューで話しています。
当初は絵画を学ぼうと思っていますが、この短大では入学後に様々なカリキュラムを経験した後に専攻を決めるシステムがあります。
小松さんは銅版画のカリキュラムを経験した際に、「これだ!」と思って専攻を即決しています。
大学入学後は寮に入っていた小松さんでしたが、そこは四天王制度というものがありました。いわゆる年功序列で非常に体育会系だったのです。
先輩から夜中に買い出しを頼まれたりするなど大変な生活を送っていました。
小松さんは大学に入学当時、将来は版画家になるというイメージが出来ていたため、就職活動の時期になっても自分には関係のないことだと思っていました。
しかしその頃にお世話になっていた先生から「自分に自信があるのは良いことだ。でも、色々な経験をした方が絵の肥やしにもなる。とにかく就職活動も一度やってみなさい」と助言を受け、就職活動をはじめたそうです。
就職活動に一切関心を持っていなかったので、デザイン事務所、CM制作会社、テレビ局の制作部など気になる仕事を見つけては片っ端から応募していきました。
しかし書類選考すら通らず応募した全ての会社に不合格してしまいます。
後にこの時の心境を「自分では真剣にやっていたつもりでした。ですが、本気度の低さが文字から伝わってしまったんだと思います」とインタビューで語っています。
その後、唯一1社のみ合格しています。
小松さんはこの時の面接で「ほとんど会話も無かったのに合格は何かおかしい」と思いこの会社を辞退し、その会社について調べてみることにしました。
その結果、詐欺まがいな事をして有名だった会社であることが判明し自分に就活は合わないと感じ、周りからも就活を勧められることはなくなります。
短期大学を卒業後は銅版画に没頭していたこともあり就職しないでこの短期大学の研究生として2年間制作し続けます。
代表作「四十九日」を制作したのはこの頃でした。
2年間の研究室を卒業後、アルバイトをしながら家賃5万円のアパートで引き続き作品制作を続けることになります。
後に、百貨店のアート部門でアルバイトとして働くようになりチャンスを見てはお客様やアート関係者に自身の代表作となった「四十九日」を売り込んでいました。
全くと言っていいほど評価してもらえなかったものの、唯一アートプロデューサーである高橋紀成さんが興味を示します。
この出会いがきっかけとなり、高橋紀成さんから「阿久悠さんのトリビュートアルバムのCDジャケットを描いてみないか?」という依頼が舞い込みます。
「締め切りは3日後。その作品が採用されるかは分からない」という厳しい条件でした。
それでも、これは大きなチャンスだと感じ、寝る間も惜しんで多くの作品を提出します。
結果、そのうちに1つが選ばれ版画家としての初めて仕事となったのです。
以降は順調にキャリアを重ねて、世界的な版画家となっています。
それらに加え「美しすぎる銅版画家」としてバラエティ番組にも出演しています。
今後の活動も楽しみですね。
以上が小松美羽さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
既に世界にも高い評価をされるアーティストになっており、作品も高額で取引されています。
また「美しすぎる銅版画家」と話題になって、バラエティ番組にもたびたび出演しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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