ミュージシャンの坂本龍一さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は坂本さんは高校時代は学生運動に没頭しており、学校にバリケードを張ったこともありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
坂本龍一(さかもと りゅういち)
1952年1月17日生
身長171㎝
血液型はB型
東京都中野区出身のミュージシャン、プロデューサー
本名同じ、愛称は「教授」
以下では坂本龍一さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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坂本龍一の学歴まとめ
出身大学院:東京芸術大学大学院 音響研究科
出身大学:東京芸術大学 音楽学部作曲科
出身高校:都立新宿高校
出身中学校:世田谷区立千歳中学校
出身小学校:世田谷区立塚戸小学校
坂本龍一の学歴~出身小学校(世田谷区立塚戸小学校)の詳細
出身小学校:東京都 世田谷区立塚戸小学校
坂本龍一さんの出身小学校は、世田谷区内の公立校・世田谷区立塚戸小学校です。
家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。
父親の亀一さんは旧河出書房「文藝」の元編集長だったことから、自宅にはたくさんの本があり、本に囲まれた環境で育っていました。
父親はかなり厳しく出征経験があることから、いつも怒ったような口調で「新聞を持ってこい」などと言っていたそうで怖くてまともに目が合わせられなかったと明かしています。
ただ母親は父親と真逆な性格で陽気で活発で、帽子のデザイナーをしていました。
音楽や芝居が好きだったことから、坂本さんは母親の影響でピアノを始めたと語っています。
また11歳の頃から東京芸大の教授に師事して作曲を学んでいます。
坂本龍一の学歴~出身中学校(世田谷区立千歳中学校)の詳細
- 出身中学校:東京都 世田谷区立千歳中学校 偏差値なし
坂本龍一さんの出身中学校は、世田谷区内の公立校・世田谷区立千歳中学校です。
中学ではバスケットボール部に入部して、部活動に打ち込んでいました。
そのため中学1年生の時にピアノはいったん辞めてしまっています。
しかし自分の心にぽっかりと穴が開いてしまった思いがしたことから、半年後にピアノは再開しています。
【主な卒業生】
木梨憲武(お笑い・とんねるず)
辺見えみり(タレント)
酒井法子(女優)
若旦那(湘南乃風)
佐藤亜美菜(元AKB48)
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坂本龍一の学歴~出身高校(都立新宿高校)の詳細
出身高校:東京都 新宿高校 偏差値68(現在・難関)
坂本龍一さんの出身高校は、都立の共学校の新宿高校です。
この高校は1921年開校の都立高校で、古くから進学校として知られています。
また現在も難関校の同校ですが、坂本龍一さんが在籍した当時は全国屈指の難関校として知られ毎年70~100人程度東大に合格するほどの高校でした。
その後いったん凋落して、再び進学率が上昇して難易度も上がっていますが、当時のほうがレベルは高かったと思われます。
坂本さんはこの高校に一般受験で入学しており、高い学力を有していました。
高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていませんでした。
ただし小学校時代にはじめたピアノと作曲に打ち込んでいました。
当時はクラシックのほか、ビートルズやローリングストーンズなども好んで聴いています。
また坂本さんは高校入学直後に、学生運動の洗礼を受けて参加しています。
ある時に学校に行ったところ先輩が血のにじんだ包帯を巻いており、その理由を聞いて坂本さんは憧れて社会科学研究会に出入りするようになったといいます。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「『どうしたんですか』と聞くと、『砂川でやられた』という。在日米軍立川飛行場の拡張に反対する砂川闘争でした。そのとき、映画『大脱走』の主役、スティーブ・マックイーンみたいで格好いいなと無邪気に憧れたのがきっかけです。」
また坂本さんは高校3年生のときには下級生も含めて10人以上で学校のバリケードを封鎖しています。
学校側に試験をして点数で選別をし、選別された大学に分類して送っていくことをやめるように要求をしました。
このことについてはインタビューで「試験もやめろ、点数も付けるな、通信簿もやめろ、という風に言ったんですねですね。」と話していました。
そしてこの高校の先生は非常にまじめに受け止めてくれて検討してくれたことから、本当に坂本さんの言う通り通信簿までなくなっています。
【主な卒業生】
蟹江敬三(俳優)
中村敦夫(俳優)
森香澄(アナウンサー)
不破哲三(政治家)
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坂本龍一の学歴~出身大学(東京芸術大学)の詳細
出身大学:東京芸術大学 音楽学部作曲科 偏差値60(超難関)
坂本龍一さんは高校卒業後は、東京芸術大学に進学します。
同大は言わずと知れた芸術系音楽系の最高峰に位置する大学で、実技試験が非常に難しいことから入学は非常に難しい大学です。
坂本さんは浪人も当たり前のこの大学に、現役入学できるほどの才能を有していました。
ただし前記のように坂本さんは高校時代に学生運動をおこなっていたことから、仲間に非難されたことをインタビューで明らかにしています。
「恥ずかしながらストレートで大学に入ってしまって、みんなに非難されたんです。僕自身が『大学になんか行くな』と言ってましたからね。それなのに自分だけ行ってしまったという。」
坂本さんからするとこの大学は「受けたら受かっちゃった」という軽い感じだったようです。
また坂本さんは大学時代はアウトローな生活を送っていたと話しており、小泉文夫先生の民族音楽学以外の授業はほとんど出席していませんでした。
大学在学中には音楽学部よりも美術学部の方が面白い人が多かったことから、美術学部に出入りをしていたといいます。
坂本さんは大学生活については「ほとんど授業は出ていないですね。まぁ、(大学は)友達に会いに行くところという感じでした。」と語っています。
また大学時代にはバーでピアノを弾いたり、アングラ劇団の手伝いをしているうちにスタジオミュージシャンとしての仕事が増えてきました。
ちなみに坂本さんは大学時代に酔っぱらって喫茶店のガラスケースを蹴って破壊したことから、器物損壊罪で逮捕されたことがありました(後に不起訴)。
また大学卒業後は東京芸術大学大学院・音響研究科に入学してこちらも修了しています。
26歳だった1978年に細野晴臣さんと高橋宏之さんともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成しています。
すると楽曲は国内ばかりではなく海外でも高い評価を受けて、人気アーティストになっています。
また1980年に矢野顕子さんと結婚した際には、大きな話題になっています。
1982年には忌野清志郎さんとコラボした「い・け・な・いルージュマジック」がヒットしてます。
この年には映画「戦場のメリークリスマス」で、俳優としても活動を開始しています。
1984年にYMOはいったん解散しますが、以降はソロアーティスト、音楽プロデューサーとして活動してグラミー賞なども受賞しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が坂本龍一さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
YMOのメンバーとしてデビューしていますが、以降も国際的に高い評価を受けています。
また多くのミュージシャンに多大な影響を与えた人物としても知られています。
未だに創作意欲は旺盛ですから、さらなる活躍にも期待が高まります。
矢野顕子の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃の画像
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経歴/プロフィールの詳細
当初はスタジオミュージシャンとして活動し、高橋幸宏と細野晴臣とともに1978年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。
1979年にリリースした1stシングル「テクノポリス」がいきなりヒットし、世界的な評価も得る。
1982年に忌野清志郎と組んだ「い・け・な・いルージュマジック」がヒット。
1983年に映画「戦場のメリークリスマス」に出演。
1984年をもってYMOが活動休止。
1989年の映画「ラストエンペラー」のサウンドトラックで、米アカデミー賞やグラミー賞など数々受賞。
1999年の「ウラBTTB」がミリオンセラーとなって、インストゥルメンタルとしては初のオリコン1位を記録。
私生活ではミュージシャンの矢野顕子と事実婚状態だった1980年に、長女でミュージシャンの坂本美雨が誕生。
1982年に正式に結婚したが、1993年に離婚した。
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