お笑いコンビ「ナイツ」の土屋伸之さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「ヤッホー漫才」でブレイクしたナイツですが、土屋さんはどのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコイイ画像なども併せてご紹介いたします
土屋伸之(つちや のぶゆき)
1978年10月12日生
身長179㎝、体重68㎏
血液型はAB型
千葉県出身のお笑い芸人
お笑いコンビ「ナイツ」のツッコミ担当
本名同じ
以下では土屋伸之さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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土屋伸之の学歴まとめ
出身大学:創価大学 経済学部
出身高校:創価高校
出身中学校:船橋市立古和釜中学校
出身小学校:船橋市立古和釜小学校
土屋伸之の学歴~出身小学校(船橋市立古和釜小学校)の詳細
出身小学校:千葉県 船橋市立古和釜小学校
土屋伸之さんの出身小学校は、地元船橋市内の公立校の古和釜小学校です。
家族構成は両親と2人の妹の5人家族です。
母親は元演歌歌手の津島明希さんですが、土屋さんが生まれる前に歌手は廃業しています。
生まれたのは東京の豊島区で、2歳の頃から千葉県の船橋市に転居しています。
土屋さんは小学校時代は勉強ができたとインタビューで話しています。
また小学校は家の近くの山や林で遊んでいたそうです。
当時は野球にも熱中しており、近所の空き地で草野球をしています。
土屋伸之の学歴~出身中学校(船橋市立古和釜中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 船橋市立古和釜中学校 偏差値なし
土屋伸之さんの出身中学校は、地元船橋市内の公立校の古和釜(こわがま)中学校です。
前述のように中学受験で創価中学校を受験していますが、不合格となってこの中学校に入学しています。
創価中学校の受験は母親に勧められたからでしたが、当時の同級生には中学受験する人はほとんどいなかったことから、「カッコいいな」と思って受験しています。
中学時代もテニス部に在籍しており、スポーツは得意だったとのこと。
また当時の土屋さんは特撮ヒーローもののテレビ番組が大好きで、ひとりでウルトラマンのイベントに参加したこともあります。
なお中学時代はネクラで、さほど友達も多くなかったとのこと。
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土屋伸之の学歴~出身高校(創価高校)の詳細
出身高校:東京都 創価高校 偏差値68(難関)
土屋伸之さんの出身高校は、私立の共学校の創価高校です。
この高校は1968年開校で、系列の創価大学のほか東京大学や京都大学の最難関国立大学にもコンスタントに合格者を出しています。
土屋さんは中学受験をして系列の創価中学校(偏差値65)を受験していますが不合格となっており、高校入試の際にリベンジしたと語っています。
ただし他の高校は不合格となっていますが、なぜかこの高校だけは合格したとも述べています。
高校時代はテニス部に在籍していますが、弱小だったそうです。
また土屋さんは高校時代はコンビニでアルバイトしていたことをインタビューで明らかにしています。
「初アルバイトは高校生の時、コンビニ店員ですね。オーナーさんが、揚げ物とか、ファストフードにこだわる人で、「いつもパンパンにストックしておけ!」と言われたのをよく覚えています。たくさん作ると、どうしても廃棄が出るので、から揚げばっかり食べてましたね」
記事引用:バイトル
その反面高校時代は全然勉強しなかったことから、一時は系列の創価大学への内部進学も危ぶまれましたが、なんとか勉強を頑張って内部進学しています。
【主な卒業生】
北側一雄(政治家・元国土交通大臣)
石原さとみ(女優)
栗山英樹(プロ野球日本ハムファイターズ元監督)
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土屋伸之の学歴~出身大学(創価大学)の詳細
出身大学:創価大学 経済学部 偏差値46(やや容易)
土屋伸之さんは高校卒業後は、創価大学に進学しています。
この大学の系列の高校に通学していたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
大学入学当初は公認会計士を目指しており大学の国家試験研究室に入会し、当時は1日10時間も勉強していたことをインタビューで明らかにしています。
「僕も公認会計士の勉強に挑戦していた当時は、1日10時間も勉強をしていました」
また当時から勉強の合間の息抜きに相方の塙宣之さんが在籍していた「落語研究会」のライブも観に行っていました。
ところが土屋さんは公認会計士の勉強について行けなくなって、大学2年生の時に国家試験研究室を辞めて、公認会計士の勉強からドロップアウトをしています。
そしてその頃に当初はお客として通っていた落語研究会に入会しています。
当時の同大の落語研究会には塙さんのほか、お笑いコンビ「エレキコミック」のやついいちろうさんと今立進さんも在籍していました。
当時は塙さんは既にお笑いコンビ「ナイツ」を結成して活動していましたが、初代の相方は土屋さんではありませんでした。
また大学時代の土屋さんは別の人物と「山銭」というお笑いコンビを組んで活動しています。
そして1学年上の塙さんが就職活動をしていた頃には「ナイツ」は自然消滅していますが、塙さんが本格的にお笑いの道に進もうとした際に相方に立候補したのが土屋さんでした。
ただし塙さんが3人目に声をかけたのが土屋さんで、先の2人には断られています。
土屋さんが大学を卒業した年に現在の「ナイツ」が結成されていますが、最初の1、2年は土屋さんの実力不足から「地獄だった」と塙さんはインタビューで話しています。
「はじめの1、2年は地獄でしたよ。あっまりにも土屋がツッコミをできないから。そうなると、「これ以上ボケると、こいつテンパるだろうな」と思ってボケをセーブしなきゃいけなくなる。要するに、相方に気を使わなきゃいけなかったんです。今じゃもう何でも言えますけどね」
記事引用:ライブドアニュース
大学卒業後は芸能事務所「マセキ芸能社」に所属していますが、実は土屋さんのお母さんのつてでした。
「僕らが所属した「マセキ芸能社」という事務所の関係性ですね。内海桂子師匠ってマセキなんですよ。ちなみに僕らがマセキを選んだのは、実は土屋のお母さん(津島亜希)が演歌歌手で、マセキに入っていたからなんです。あいつああ見えて実は、芸能人の息子なんですよ。で、それを聞いて「えっ!? そうなの??」となって、じゃあ、マセキに入ろうよと」
記事引用:ライブドアニュース
プロの漫才コンビとしてデビューしますが、下積み時代は中野区の集会所を自腹で借りて定期的にライブをしていました。
また売れなかったころは土屋さんは六本木のクラブのホステスの送迎のアルバイトをしています。
そして30歳の時に「ナイツ」はM-1グランプリの決勝に進出し、「ヤッホー漫才」でブレイクしています。
以降は数々のバラエティー番組に出演するほどの人気お笑いコンビとなっています。
2020年にはYOUTUBEにコンビの公式チャンネルを開設しています。
こちらでは漫才動画が人気になっています。
以上がナイツ土屋伸之さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
コンビはM-1グランプリでブレイク後は、数々のバラエティー番組やお笑い番組に出演しています。
また関東の実力派として知られ、玄人ウケする漫才で高い人気を誇っています。
既に大物漫才コンビの風格もありますが、現在でもライブを中心に活動しています。
今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
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