俳優の上地雄輔さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は上地さんは中学時代に野球の日本代表になり、高校時代は松坂大輔さんとバッテリーを組んでいました。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介します
上地雄輔(かみじ ゆうすけ)
1979年4月18日生
身長180㎝
血液型はO型
神奈川県横須賀市出身の俳優、タレント、歌手
本名同じ、別名義は「遊介」
以下では上地雄輔さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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上地雄輔の学歴まとめ
出身大学:不明(中退)
出身高校:横浜高校
出身中学校:横須賀市立桜台中学校
出身小学校:横須賀市立逸見小学校
上地雄輔の学歴~出身小学校(横須賀市立逸見小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 横須賀市立逸見小学校
上地雄輔さんの出身小学校は、地元横須賀市内の公立・横須賀市立逸見小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族のようです。
父親の上地克明さんは横須賀市長で、母親はキャビンアテンダントとして勤めていました。
子供の頃はヤンチャで人見知りをしない子供だったようです。
5歳の時に幼稚園の先生に初恋を経験しており告白をしています。
上地さんは6歳の時に祖父に教わって野球をはじめており、地域の少年団に所属をしていました。
子供の頃には水泳も習っていました。
小学生時代にはほとんど勉強をしませんでしたが、成績はそれほど悪くなかったとのことです。
また推薦をされて学級委員長になったこともあったようです。
上地雄輔の学歴~出身中学校(横須賀市立桜台中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 横須賀市立桜台中学校 偏差値なし
※現在は横須賀市立坂本中学校
上地雄輔さんの出身中学校は、地元神奈川県横須賀市内の公立校・横須賀市立桜台中学校です。
この中学校は2009年に、横須賀市立坂本中学校に統合されています。
上地さんは中学時代は野球に専念するために、活動の少ない理科部に在籍をしていました。
軟式野球クラブチーム「横須賀スターズ」に所属をして、野球をやっておりキャプテンも務めていました。
中学1年生の時にお小遣いを貯めて、校則違反の制服を購入したことで母親は怒っており、制服を取り上げようとする母親を突き飛ばしたことがありました。
この時に上地さんは「野球を辞めて新聞配達でもする」と反抗的に言ったため、母親は泣いてしまったとのことです。
上地さんは母親の泣き顔を見て、非常に後悔をしていることを明かしていました。
また中学時代には将来野球でご飯を食べていくと決めていたため、全く勉強をしなくなっています。
中学2年生の時に女子とはじめてデートをしており、映画を観たとのことです。
そして中学3年生のときには野球の所属チームで全国大会に出場を果たしており、関東大会で優勝をしました。
また日本代表の選抜メンバーにも選ばれるほどでした。
上地さんは野球のことについてはインタビューで次のように話していました。
「一応僕も頑張っていたんです。全日本でキャッチャーやってました。小学校も中学校も日本代表でした」
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上地雄輔の学歴~出身高校(横浜高校)の詳細
出身高校:神奈川県 横浜高校 偏差値41(容易)
上地雄輔さんの出身高校は、私立の男子校の横浜高校です。
この高校は1942年開校の私立高校で、スポーツが盛んなことで知られています。
特に硬式野球部は甲子園の常連で、数々のプロ野球選手を輩出しています。
上地さんは中学時代から野球が非常にうまく、実に38校の野球強豪校から推薦入学の誘いを受けています。
当初は茨城県の強豪校の常総学院高校に進学したいと思っていたことから、横浜高校から何度も声をかけてもらっていましたがすべて断っていました。
しかしたまたまテレビで横浜高校の野球の試合を見たことがきっかけで、横浜高校に進学することになります。
このことについてはインタビューで次のように話していました。
「その試合に丹波さん(横浜)が1年でいきなり出てきて、ばたばた抑えていて、この人の球を受けてみたい!!とそれだけでテレビを見終わって、『俺、横浜行く!』って言っていました。」
記事引用:高校野球ドットコム
この高校も野球のスポーツ推薦で入学しています。
また上地さんは当時の野球部では1学年3人しかいなかった特待生でした。
ポジションはキャッチャーでした。
上地さんは高校入学後には最初に丹波慎也さんの球を受けており、バッテリーだったこともあり一緒にジムに行くなどいろいろと面倒を見てもらったことを明かしています。
丹波さんのことについてはお兄ちゃんみたいな存在だったと語っていました。
上地さんは高校1年生の春からすでに試合にも出場をしており、丹波さんとバッテリーを組んでいたこともあって、自身の将来にかなり自信を持っていたといいます。
なお兄貴分だった丹波さんは横浜高校野球部の監督・渡辺元智さんから松坂大輔さんを差し置いて「50年の指導歴の中でもナンバーワン」の投手と言われたほどの選手でしたが、高校2年生だった1995年に心臓発作で急死しています。
上地さんはその後は1学年下で、1年生ながらこの高校のエースだった松坂大輔さんともバッテリーを組んでいました。
ところが上地さんは高校2年生の夏の大会で、右肘の神経が切れる怪我をしており、手術を受けています。
怪我をした時の状況については次のように語っていました。
「『ブチッ』ってやっちゃって、投げれないし打てないし。2イニングくらい頑張ったけど。試合中『お前おかしいだろ』って監督に言われ、ベンチで見たら腕がすごく腫れていました。」
記事引用:高校野球ドットコム
高校3年生は大半はリハビリをしていたとのことで、最後にギリギリで背番号を取り返し試合に出場をしています。
怪我をしてから将来のことを非常に悩んでおり、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「怪我が無かったら、野球で大学に行くのが当たり前だと思っていたし。やっぱりリハビリしている期間にいっぱいいろんな事を考えて、将来の事とか、親、監督、仲間、ファンの事を考えて、『ちょっと待って下さい』と監督に伝えました。」
記事引用:高校野球ドットコム
そして上地さんは悩んだ末に高校時代に野球は諦めています。
そのため複数の大学から野球でスカウトされていますが、すべて断っています。
【主な卒業生】
松坂大輔(元プロ野球選手)
涌井秀章(プロ野球選手)
北川悠仁(ミュージシャン・ゆず)
鈴木みのる(プロレスラー)
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上地雄輔の学歴~出身大学の詳細
出身大学:不明(中退)
上地雄輔さんは高校卒業後、一年の浪人生活を経て大学に進学しています。
前記のインタビューで大学時代について語っているので、大学に進学したこと自体は間違いありません。
高校時代には野球で複数の大学から推薦入学を持ちかけられましたが、野球を諦めていたのですべて断っています。
そして一浪後に野球とは無関係の大学に進学していますが、校名などは詳細は不明です。
上地さんは大学入学前にスカウトをされたことをきっかけに俳優としての道に進みました。
芸能界の道に進んだきっかけについてはインタビューで次のように話していました。
「たまたま4月からのドラマのオーディションに受かって1ヶ月前から撮影だから、大学に入っても野球できない。だったらやるしかない!みたいな。凄くいい加減な入りです。」
記事引用:高校野球ドットコム
上地さんは幼稚園から高校まで野球しかやってこなかったため、自分に芸能界の仕事が務まるはずがないと思っており、当初はアルバイト感覚だったといいます。
なお芸能活動を開始したことから、大学は早期に中退しているようです。
そして1999年の連続ドラマ「L×I×V×E」にて俳優としてデビューを果たしています。
ただし俳優としてはなかなかスポットライトが当たりませんでした。
ところが27歳だった2007年に「クイズヘキサゴンⅡ」に出演すると、おバカタレントとしてブレイクしています。
またつるの剛士さん、野久保直樹さんとともに「羞恥心」を結成して、歌手デビューを果たしています。
上地さんは以降は歌手やタレント、俳優として数々のメディアに出演しています。
YOUTUBEの公式チャンネルも人気を博しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が上地雄輔さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初は鳴かず飛ばずでしたが、「クイズヘキサゴンⅡ」に出演してブレイクしています。
現在でもドラマ、映画、バラエティー、歌手と多方面で活躍しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴・プロフィールの詳細
1999年のドラマ「L×I×V×E」で俳優デビュー。
2000年の「GO-CON!」で映画初出演。
以降も「ごくせん」や「ホットマン」、「未来先生」などのドラマに出演。
2007年にクイズ番組「ヘキサゴンⅡ」に出演すると珍解答で人気者になる。
2008年につるの剛士、野久保直樹と羞恥心を結成して歌手デビュー。
同年に「セレブと貧乏太郎」でドラマ初主演。
2009年から「遊助」名義で歌手活動をはじめ、「たんぽぽ」や「ライオン」などの楽曲がヒット。
同年から2年連続でNHKの紅白歌合戦に出場した。
その後も「ダーティーママ」や「マザーゲーム」、「べっぴんさん」などの話題作の連続ドラマに出演している。
2015年に同級生と入籍し、2017年1月に第一子が誕生している。
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