人気女優の高島礼子さんの出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。ヤンチャだった高校時代などの学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
高島礼子(たかしま れいこ)
1964年7月25日生
身長168㎝
血液型はB型
神奈川県横浜市出身の女優
本名は峯島礼子(みねしま れいこ)
以下では高島礼子さんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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高島礼子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:神奈川県立野庭高校
出身中学校:横浜市立芹が谷中学校
出身小学校:横浜市立芹が谷小学校
高島礼子の学歴~出身小学校(横浜市立芹が谷小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 横浜市立芹が谷小学校
高島礼子さんの出身小学校は、地元横浜市内の公立校の横浜市立芹が谷小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
父親は大学の英語講師で母親は会社員という家庭で育ちました。
母親は病気がちだったことから入退院を繰り返していました。
父親からは厳しく育てられており、子供の頃のことについてインタビューでは次のように話しています。
「父が厳しくて、とにかくテレビを見せてくれなかったんです。ただ“歴史の勉強にもなる”と、例外的に許してくれたのが、時代劇。家族が集まって『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』をよく見ていました。」
記事引用:ウーマンエキサイト
そのため子供の頃から時代劇が好きでした。
また父親は「子どもが文房具以外、何にお金がいるのだ」と言ってお小遣いすらくれなかったと言います。
高島さんは意外にも子供の頃は太っており2歳年上の姉よりも体が大きかったことから、姉が高島さんのおさがりを着ていました。
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高島礼子の学歴~出身中学校(横浜市立芹が谷中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 横浜市立芹が谷中学校 偏差値なし
高島礼子さんの出身中学校は、地元横浜市内の公立校の横浜市立芹が谷中学校です。
小学校時代から中学校にかけては特におとなしい性格でした。
中学3年生の時に男子とはじめて交際をしており、初デートでは映画を観に行ったそうです。
中学・高校時代も父親がテレビを見せてくれなかったことから話題の歌番組やバラエティ番組を見ることができず、学校での話題についていけなかったことをインタビューで明らかにしています。
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高島礼子の学歴~出身高校(神奈川県立野庭高校)・大学の詳細
出身高校:神奈川県 野庭高校 偏差値44(容易)
※現在は横浜南陵高校
高島礼子さんの出身高校は、県立の共学校の野庭高校です。
この高校は1975年開校の県立校で、2003年に同じ県立校の横浜日野高校と統合されて現在は横浜南陵高校になっています。
高島さんは高校時代は部活動などはおこなっておらず、帰宅部だったようです。
高校1年生の時に原付の免許を取得しており、高校3年生の時には普通自動車免許を取得しました。
高校3年生の誕生日には母親が20万円の中古車をプレゼントしてくれたことを明らかにしています。
「誕生日のプレゼントに、母が20万円の中古車を買ってくれたんです。スカイラインに憧れていたんですが、さすがに無理なので、最初の車は“小さなスカイライン”といわれた、日産のラングレーでした」
記事引用:女性自身
高校時代は近所のガソリンスタンドでアルバイトをした経験が高島さんのエネルギーになっており、インタビューでは次のように話しています。
「本当に土地が持つ磁場というか引き寄せってありますよね。そこからもらうエネルギーがあるじゃないですか。そういった意味では、最後の学生時代にここのガソリンスタンドでアルバイトしたことが、ものすごく私のエネルギーになっています。」
記事引用:スタリス☆横浜
高島さんはガソリンスタンド以外にもダイエーの靴売り場やたい焼き売り場でもアルバイトをしていました。
また自身の学生時代についてインタビューで次のように話しています。
「私、すごく内向的で、自己主張しないタイプだったんです。それに、先輩と少し話しただけで『生意気』などと言われ、いじめられたりもして……。長いものに巻かれて、おとなしく、みんなの話題の中にも積極的には入っていかなかったですね。そんなこともあって、強くて自立している女性に憧れていた部分があります」
記事引用:女性自身
高島さんは厳格な父親に育てられた反動で高校時代には不良グループに入り、家族が寝静まった午前3時にこっそりと家を抜け出し女子10人ほどで原付で走り回っていました。
高校時代に母親からもらった車が心の拠り所となっており、自分の部屋を与えられていなかった高島さんは車の中が安心できる場所でした。
また当時の趣味は任侠映画や時代劇を観ることで、高校時代には制服姿で映画館で任侠映画を観ていました。
「極道の妻たち」に代表されるように、高島さんも女優としては任侠ものや時代物で活躍していますが、そのルーツは高校時代にあったようです。
高校3年生の時には父親から大学進学を強く勧められ大口論となり、「あなたと離れて生活がしたい」と言ったそうです。
とにかく高校卒業後は家を出たかったらしく、その確執の深さが窺われます。
【主な卒業生】
上遠野浩平(小説家)
大学には進学していない
なお高校卒業後は大学などには進学しておらず、自動車関連会社に就職をしてOLを3年間ほど続けていました。
就職後のことについてはインタビューで次のように振り返っています。
「総務部総務課という、車とはほぼ関わらない部署でしたけど(笑)。並行してアマチュアレーサーとしての活動も始め、21歳のときに国内A級ライセンスを取りました。ただ、レースは夢中になればなるほど、お金が出ていく一方で……。」
記事引用:女性自身
またOL時代には最愛の母親を亡くしており、「人生最大の悲しみ」とも語っています。
高島さんはレースの費用を稼ぐために、23歳だった1987年からレースクイーンとしての活動を開始しています。
すると翌年には「とらばーゆ」のCMで芸能界デビューしています。
そして出演していたCMを見ていた俳優の松平健さんから「暴れん坊将軍Ⅲ」への出演を依頼され、女優デビューも飾っています。
その際には松平さんに直々に演技指導も受けていました。
以降は女優として数々の作品に出演していますが、35歳だった1999年から岩下志麻さんから引き継いだ映画「極道の妻たちシリーズ」は当たり役となっています。
またこの年には俳優の高知東生さんと結婚して話題になっています(2016年に離婚)。
女優業のほかにもバラエティ番組やドキュメンタリー番組にも出演しています。
その他にもたびたび劇場版アニメの声優も務めています。
なお確執のあった父親がパーキンソン病に冒されてからは、女優活動と介護を両立していたことで知られています。
どうやら以前のふたりの確執もその後に氷解したようですね。
以上が高島礼子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
レースクイーンとしてキャリアを開始しましたが、その後は女優に転身して成功を収めています。
様々な映画やテレビドラマに起用されて人気女優の道を上り詰めていきました。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
アマチュアレーサーとして活動しながら、1985年に国内A級のライセンスを取得。
レース費用を賄うために1987年からレースクイーンとしても活動をはじめ、芸能事務所にスカウトされる。
翌年「とらばーゆ」のCMで芸能界デビューし、CMを見ていた松平健の薦めで「暴れん坊将軍Ⅲ」で女優デビュー。
当初は時代劇中心の活動だったが、映画「ショムニ」(1998年)や「極道の妻たち」(1999年)で人気女優に。
その後、多数のテレビドラマや映画に出演し主演作も多い。
私生活では1999年2月に俳優の高知東生と結婚するも、子どもはいない。
2016年6月に夫の高知東生が覚醒剤取締法で逮捕。
同年8月に高知と離婚。
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