フィギュアスケート選手でタレントの浅田真央さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。現役時代は高い人気を誇った浅田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
浅田真央(あさだ まお)
1990年9月5日生
身長163㎝ 47kg
血液型はB型
愛知県出身のフィギュアスケート選手、タレント
本名同じ
以下では浅田真央さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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浅田真央の学歴まとめ
出身大学:中京大学 体育学部
出身高校:中京大学附属高校
出身中学校:名古屋市立高針台中学校
出身小学校:名古屋市立高針小学校
浅田真央の学歴~出身小学校(名古屋市立高針小学校)の詳細
出身小学校:愛知県 名古屋市立高針小学校
浅田真央さんの出身小学校は、地元名古屋市内の公立校・名古屋市立高針小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
2011年に母親は肝硬変で亡くなっています。
父親はホストクラブを共同経営していました。
伊藤みどりさんに憧れを抱いて5歳の時からフィギュアスケートを始めました。
また浅田さんはバレエも3歳の頃から通っていました。
子供の頃からオリンピックに1回は出場したいと思っていました。
浅田さんの母親は寝る時間も削って浅田さんに付き添い、練習を見たり浅田さんを支えていました。
競技面では小学校高学年の頃には、国内の同世代では敵なしになっています。
そして小学校6年生だった2000年に、特例で出場した全日本選手権で3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプを小学生ながらに決めて大きな注目を集めています。
このころから「天才少女」と呼ばれ、将来を期待されています。
浅田真央の学歴~出身中学校(名古屋市立高針台中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 名古屋市立高針台中学校 偏差値なし
浅田真央さんの出身中学校は、地元名古屋市内の公立校・名古屋市立高針台中学校です。
この中学校に在学中は2学年上に姉の舞さんも在籍していました。
浅田さんは競技が忙しく中学校にはほとんど通っていなかったことから、担任の先生に取材をしても次のようなコメントが返ってきたといいます。
「素顔なんて知りませんよ。だって学校にはほとんど顔を見せませんから。どうやってコメントをすればいいんですか」
浅田さんの母親は勉強はしなくてよいからもっと強くなりなさいという考えの持ち主だったようです。
中学2年生の時に全日本ジュニアで浅田さんが1位となり、姉の舞さんが2位となったため舞さんは世界ジュニアに行くことはできませんでした。
この時に姉妹の関係は微妙な状態になったようですが、母親が体調を崩した時にはきずなが深まり再び仲良くなったそうです。
浅田さんは中学3年だった2005年からシニアの大会に参戦しています。
この年の全日本選手権では、史上初となる2度のトリプルアクセルに成功しています。
するとGPファイナルで、世界女王のイリーナ・スルツカヤさんを破ってまさかの優勝を遂げています。
ちなみに当時は日本人選手がGPファイナルで優勝するのは、村主章枝さん以来2人目でした。
この快挙からトリノオリンピックへの出場を期待する声も上がりましたが、年齢制限に87日足りずに出場は叶いませんでした。
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浅田真央の学歴~出身高校(中京大学附属中京高校)の詳細
出身高校:愛知県 中京大学附属中京高校 偏差値62(やや難関)
浅田真央さんの出身高校は、私立の共学校の中京大中京高校です。
この高校は1923年開校の中京大学の系列の私立高校です。
また同校は伝統的にスポーツが盛んで、硬式野球部やスケート部などが全国的な強豪校として知られています。
以前はあまり偏差値の高い学校ではなかったものの、2000年代後半から学習面も強化して現在では進学実績もかなり向上しています。
浅田さんはこの高校には一般受験ではなくスポーツ推薦で進学をしています。
この高校に在学中はフィギュアスケート選手の小塚崇彦さんが2学年上に在籍していました。
ちなみに2歳年上の姉の浅田舞さんは別の高校に通学していました。
浅田さんは高校時代もスケート部に在籍して、競技に打ち込んでいました。
高校に入学をした心境について聞かれた際にはインタビューで次のように話しています。
「知らない子達ばかり、でも知ってる子もいるんですけど、ほとんど知らない子達ばかりなのですごく楽しみです。」
友人作りについては「みんな真央のことを知っているのであっちから声をかけてきてくれる」と苦労しないと話していました。
浅田さんは15歳でシニアデビューをするまではスケートを楽しく感じていましたが、それ以降は心から楽しいと思えずに過ごしていました。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「『楽しいと思わないと』と思いながら滑っていました。勝ち負けだけではなく、年齢と共に体形が変わって、ジャンプに乱れが出て思うように跳べなくなったり、試合で恐怖心が出てきたりしたからでしょうか。自分自身に対するつらさがあり、色々なことが重なって、『ああ、スケートって、どういう思いでやっていたのかな』と思い返すことは何度もありました。」
そして16歳だった2006年に、初めて出場したNHK杯で優勝を果たしています。
この年の全日本選手権でも初優勝を飾っています。
また翌年の世界選手権でも銀メダルを獲得して、この頃から世界でもトップレベルのフィギュアスケート選手として活躍しています。
高校3年生だった2008年の世界選手権では、ライバルのキム・ヨナ選手らを破って初優勝を遂げています。
なお高校時代は海外を転戦していた浅田さんでしたが、学業と競技を両立させて高校はキッチリと卒業しています。
【主な卒業生】
安藤美姫(フィギュアスケート選手)
村上佳菜子(フィギュアスケート選手)
宇野昌磨(フィギュアスケート選手)
長屋晴子(ミュージシャン・緑黄色社会)
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浅田真央の学歴~出身大学(中京大学)の詳細
出身大学:中京大学 体育学部 偏差値50(普通)
※現在はスポーツ科学部
浅田真央さんは高校卒業後は、中京大学に進学します。
この大学の系列の高校に通学していたので、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
当時は既に高い人気を誇っていたので、大学に入学した際には大きな話題になっています。
大学では体育学部に在籍していました。
浅田さんは19歳だった2010年に出場したバンクーバーオリンピックでは、銀メダルを獲得する快挙を成し遂げています。
ただし金メダルを獲得したのがライバルのキム・ヨナさんだったので、競技後は初めて悔し涙を流しています。
浅田さんは大学2年生の時にはインタビューで次のように話しています。
「小さい頃は楽しかった思い出もありますし、舞に負けたくないという思いもたくさんありました。楽しむことは大事ですけど、でも上達するにはやっぱり、負けたくないという気持ちも大事だと思います。そういう気持ちがあったから、ここまで上達したんだなと思います。」
浅田さんは大学4年生だった2012年の春に、2014年のソチオリンピックに向けて競技に集中するために大学を休学しています。
それまでは深刻な不調に陥っていましたが競技に専念したせいか、この年のシーズンは出場した国際大会と全日本選手権では6戦中5勝を挙げて復活しています。
ただし2013年に、ソチオリンピックのシーズンを限りに引退することを発表しています。
満を持して出場したソチオリンピックですがSPで大きなミスを連発して、まさかの16位と大きく出遅れます。
それでもフリーは3位と巻き返して、6位に入賞しています。
2014年3月の世界選手権が終了後には競技を休業して、大学に復学しています。
その間は大学生としての学生生活が中心でした。
浅田さんは大学時代で一番の思い出は競技以外のことを話すことができる友人ができたことだと話しています。
24歳だった2015年3月に大学を卒業しており、次のようなコメントを残しました。
「この1年は今までとは違った生活ではありましたけど、これもいい経験として今後どうなるか分かりませんけど、必ずこういった日々のいろんな新しいことを知ったり、先生方にご注意をされたことは忘れないと思うので、今後もそういいうことを忘れずに生活していけたらいいなという風に思っています。」
また同時に「バンクーバーオリンピックとソチオリンピックと2大会経験することができたのも中京大学のリンクがあったからだと思っています。」と感謝の気持ちも語りました。
なお浅田さんは前記のように休学期間があったことから、大学は6年かけて卒業しています。
また大学を卒業した2015年に引退を撤回して、競技に復帰しています。
しかしフィギュアスケート選手としての衰えは隠せず、2016年の全日本選手権を最後に競技から引退しています。
引退後はプロのスケート選手として、アイスショーなどに出演しています。
またタレント活動も開始して、「沸騰ワード」などのバラエティ番組に出演しています。
姉の浅田舞さんとともにファッション誌の表紙を飾っています。
人柄もいいことから、現在でも高い人気を誇っています。
以上が浅田真央さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
シニアデビュー後は長らく日本女子フィギュアスケート界のエースとして活躍してきました。
またフィギュアスケートの底上げを図った功労者でもあります。
悲願のオリンピック金メダルはなりませんでしたが、今後の活躍にも期待ですね。
経歴・プロフィールの詳細
5歳の頃からフィギュアスケートをはじめる。
小学校6年生の時に出場した全日本選手権で、「天才少女」と呼ばれる。
2005-06のシーズンでジュニアのGPファイナルを制覇。
2006にシニア入りし、いきなりNHK杯で優勝し、GPファイナルで2位。
2009年のバンクーバーオリンピックでは銀メダルを獲得し、世界選手権では金姸児を破って優勝。
2013年のソチオリンピックでは団体戦で銅メダルを獲得するも、個人戦では6位に終わる。
2014-15のシーズンを休養し、2015-16のシーズンに復帰するも全日本選手権の3位が最高成績。
2016-17のシーズンも不振が続き、2017年4月10日に引退発表。
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