スケート選手の小平奈緒さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。平昌オリンピックで大活躍した小平さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
小平奈緒(こだいら なお)
1986年5月26日生
身長165㎝ 体重61㎝
血液型はA型
長野県茅野市出身のスケート選手
相澤病院所属
以下では小平奈緒さんの学歴や経歴、出身高校・大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます。
小平奈緒の学歴・経歴・プロフィールの略歴
1986年(0歳):長野県茅野市生まれで生まれる
1989年(3歳):スケートをはじめる
2002年(16歳):インターハイで500mと1000mで優勝
全日本ジュニアで優勝
2006年(20歳):全日本スピードスケート距離別選手権で優勝(1000m)
2008年(22歳):全日本スピードスケート距離別選手権で優勝(1500m)
2009年(23歳):地元長野県の相澤病院に所属
2010年(24歳):バンクーバーオリンピックにて1000mと1500mで5位入賞
2010年(24歳):女子団体パシュートでは日本女子スピードスケート史上初となる銀メダルを獲得
2014年(28歳):ソチオリンピックにて500mで5位入賞
2014年(28歳):オランダに1年間留学
2014年(28歳):ワールドカップ初優勝(500m)
2017年(31歳):カルガリー世界スプリント選手権総合で金メダル
2018年(32歳):平昌オリンピックにて500mで金メダル、1000mで銀メダルを獲得
2020年(34歳):ソルトレイクシティ世界距離別選手権金メダル(500m)
小平奈緒の学歴~出身大学(信州大学)の詳細
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出身大学:信州大学 教育学部生涯スポーツ課程 偏差値51(普通)
小平奈緒さんは高校卒業後は、国立大学の信州大学に進学しています。
在籍したのは教育学部でスポーツ科学を専攻していました。
スピードスケートの有力選手はほとんどが実業団に進む中、長野オリンピック金メダリストの清水宏保選手を育てた結城匡啓監督の指導を受けるために同大に進学しています。
またこの大学への入学は一般受験ではなく、スポーツ推薦のようです。
なお大学時代はソチオリンピックに出場した住吉都さんと同級生でしたが、住吉さんは平昌オリンピックの直前だった2018年1月に30歳で亡くなっています。
小平さんも平昌オリンピック後に、住吉さんに「金メダルとったよと報告したかった」と無念を語っています。
当時の小平さんは非常に人見知りでしたが、大学入学後に自分から声をかけて友達を作ったところ世界が広がったとインタビューで述べています。
大学時代も国内大会などで活躍して、大学2年生だった2006年の全日本スピードスケート距離別選手権大会の1000mで優勝しています。
また大学4年生の時にも、この大会の1500mで優勝しています。
ただし大学時代の小平さんは世界的な大会では結果を残せませんでした。
なお大学時代は単位取得などに特別な配慮がありませんでしたが、競技と学業を両立させて大学はキッチリと卒業しています。
卒論のテーマはスケートの動作解析でした。
大学卒業後は地元長野県の相澤病院に所属して、競技生活を続行しています。
ちなみに大学卒業の際には実業団チームから勧誘されていますが、小平さんは地元長野県に在住して競技を続けることを希望したため、すべて断っています。
そのため就職活動も難航して、相澤病院に就職が決まったのも大学を卒業した4月半ばでした。
すると23歳で出場したバンクーバーオリンピックでは、女子団体パシュートで銀メダルを獲得する快挙を成し遂げています。
2014年のソチオリンピックでは500m5位が最高でしたが、オリンピック後にスケート大国のオランダに1年間留学しています。
するとこの頃から急成長を見せて、ワールドカップでも初優勝を遂げています。
小平さんもオランダ留学については、インタビューで次のように話しています。
「スケートを文化としているオランダで、地域の人を巻き込むスポーツを見たことで、勝利、勝負に没頭していたところから、スポーツをどう究極に楽しむかというところに行き着き、人生の歩き方にも影響を与えられました。すごく大きな変化だったと思います」
その後はワールドカップの500mで15連勝を飾るなど、世界でもトップレベルの選手に上り詰めています。
そして32歳で出場した2018年の平昌オリンピックでは1000mで銀メダルを獲得し、「絶対本命」だった500mでは見事に金メダルに輝いています。
【金メダルの動画】
平昌オリンピックの大活躍や李相花(イ・サンファ)選手との友情は、国民の記憶にも永く残ることでしょう。
また小平さんは2022年の北京オリンピックを目指すことも明言しています。
北京オリンピックでの活躍にも期待ですね。
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小平奈緒の学歴~出身高校(伊那西高校)の詳細
出身高校:長野県 伊那西高校 進学コース 偏差値42(容易)
小平奈緒さんの出身高校は、私立の女子校の伊那西高校です。
この高校は1966年開校の私立高校で、新体操部が強豪として知られています。
またこの高校は普通科(偏差値36)と進学コース(偏差値42)の2つの学科を設置していますが、小平さんは進学コースに在籍していました。
(小平さんは左端)
加えてこの高校にスケート部はなく、スケート同好会に在籍していました。
そのため主なトレーニングなどはスケートクラブでおこなっていました。
また高校2年生の頃からコーチの新谷さんの家の近くのアパートに下宿して、スケート漬けの高校時代を送っています。
高校でも大きな進化を遂げて、インターハイでは500mと1000mで優勝し、全日本ジュニアでも優勝するなど、当時はほとんど無敵の状態でした。
そのため「日本女子スピードスケートの星」とも呼ばれていました。
なお学校でのニックネームは「モンチ」で、由来は髪型が短髪でモンチッチに似ていたことからでした。
加えて高校時代の活躍から複数の実業団チームからスカウトされていますが、前記のように大学に進学しています。
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小平奈緒の学歴~出身中学校(茅野市立北部中学校)の詳細
出身中学校:長野県 茅野市立北部中学校 偏差値なし
小平奈緒さんは小学校卒業後は、地元の公立校・茅野市立北部中学校に進学しています。
中学時代は学校の放課後に学校のクラブで2時間ほど練習した後に、父親が運転する車で55㎞離れたスケートクラブに通ってさらに2時間の練習をして、帰宅は毎日夜の10時半になるほどでした。
その甲斐もあって中学時代にスケート選手として頭角を現して、中学2年生の時に高校生を破って全日本ジュニアの500mで優勝しています(記録も当時の中学生新記録で史上初の中学生王者)。
当時から小平さんを指導していた「宮田スケートクラブ」の新谷純夫さんは、「粗削りだが脚力がずぬけていて、氷とも友達感覚があった」として、中学時代には早くも「間違いなく日本を背負って立つ子」と思ったことをコメントしています。
当時からかなりの太ももだったようです。
また小平さんはこの頃からオリンピックへの出場を意識しはじめています。
なお小平さんは中学時代はスケートだけではなく、ドッヂボールにも熱中していました。
中学時代の活躍から複数のスケート強豪校から誘われていますが、小平さんはあえてスケート部のない高校に進学しています。
小平奈緒の学歴~出身小学校(茅野市立豊平小学校)の詳細
出身小学校:長野県 茅野市立豊平小学校
小平奈緒さんの出身小学校は、地元の茅野(ちの)市内の公立小学校の豊平小学校です。
家族構成は両親と2人の姉の5人家族です(三人姉妹の末っ子)。
5歳上と4歳上のお姉さんとともに3歳の頃からスケートをはじめており、父親が中学生までコーチを務めています。
意外にもお父さんはスケート経験ありませんでしたが、実業団の選手の滑りなどを研究して小平さんを指導しました。
ただし練習メニューは小平さんに決めさせるという自主性を重んじた指導で、「それが自分で考えることの原点になった」とコメントしています。
子供の頃は非常におとなしい少女で、自身も「ちょっと恥ずかしがり屋で、いつも父親の後ろに隠れているような子だった」と振り返っています。
ただしスケートに関してはいつも最後まで残って練習しており、当時から大変な努力家でした。
小学生時代は長野オリンピックの金メダリストの清水宏保さんと、同じく長野オリンピック銅メダリストの岡崎朋美さんに憧れています。
以上が小平奈緒さんの学歴と出身大学・高校・中学校・小学校のまとめです。
アラサーでスピードスケート選手として覚醒し、平昌オリンピックなどでの大活躍は周知のとおりです。
またこのところはアシンメトリー(左右非対称)な髪型や私服がかわいいと注目されています。
現役生活は既に後半戦に差し掛かっていますが、末永い活躍を期待したいところです。
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