平昌オリンピックで大活躍した高木美帆さんの学歴や出身高校、大学の偏差値をご紹介したします。美人アスリートとして知られる高木さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
高木美帆(たかぎ みほ)
1994年5月22日生
163.5㎝
血液型はO型
北海道幕別町出身のスケート選手
本名同じ
以下では高木美帆さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
高木美帆の経歴・プロフィールの略歴
1994年(0歳):北海道中川郡幕別町で生まれる
1999年(5歳):スケートをはじめる
2009年(15歳):帯広フットボールクラブに所属し女子サッカーの北海道選別としてU-15日本代表の合宿に参加
2009年(15歳):全日本ジュニアスピードスケート選手権で総合優勝
2009年(15歳):ジュニアワールドカップ500mと1000mで共に優勝
2009年(15歳):スピードスケートで史上初の中学生でオリンピック代表(バンクーバーオリンピック)に選出
2010年(16歳):世界ジュニア選手権で姉とともに出場したチームパシュートで銀メダルを獲得
2010年(16歳):高校2、3年生で世界ジュニア選手権連覇
2015年(21歳):世界距離別選手権で団体パシュートで日本初の金メダルを獲得
2016年(22歳):ワールドカップにて1000m初優勝
2017年(23歳):日本体育大学野外スポーツ系運動学群氷上スポーツ研究室助手に採用
2017年(23歳):ワールドカップ女子団体追い抜きで世界新記録で優勝
2018年(24歳):平昌オリンピックで1500mで銀メダル、1000mで銅メダルを獲得
2018年(24歳):平昌オリンピックにて団体パシュートでは金メダルを獲得
2018年(24歳):世界オールラウンドスピードスケート選手権大会では日本選手史上初の大会総合優勝
2018年(24歳):「明治プロビオヨーグルトR-1」にてCMデビュー
高木美帆の学歴~出身大学(日本体育大学)の詳細
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出身大学:日本体育大学 体育学部体育学科 偏差値48(やや容易)
高木美帆さんは高校卒業後は、日本体育大学に進学します。
日本体育大学は東京の世田谷区にある体育系の名門大学で、これまで多くのオリンピックのメダリストたちを輩出しています。
高木さんは一般受験ではなく、スポーツ推薦での進学です。
スピードスケートの選手は高校卒業後は実業団入りする選手が多い中、高木さんは複数の実業団の勧誘を断って、この大学に進学しています。
高木さんは「トレーニング方法や健康管理、スポーツ心理学にも興味がある」とインタビューで答えており、当時は兄の大輔さんも4年生としてこの大学に在籍したことも、大学進学を決断した理由のひとつのようです。
また大学の入学式ではおよそ1600人の新入生の代表としてあいさつをしており、次のような抱負も語っています。
「人と出会う機会が増えるので、オンオフを大事にして甘い誘惑に負けない程度に息抜きしたい。1年生でもあるので仕事もしっかりしたい」
ちなみにこの際に報道陣から合コンへの参加を勧められていますが、「興味ないです」ときっぱり断っています。
大学ではスケート部に所属して遊びも封印した高木さんでしたが、大きなスランプに陥ってしまいます。
大学1年生の時に出場したユニバーシアード1000mでは金メダルを獲得したものの、大学2年生のソチオリンピックの代表選考会ではすべての種目で5位に終わっています。
「ソチの星」とも呼ばれた高木さんですが、ソチオリンピックは出場すらできませんでした。
スランプの原因は、上京して環境があまりにも変わってしまったことの反動と分析しています。
そして高木さんはインタビューでこの時の思いを次のように回顧しています。
「高校生の3年間でやってきたことが、うまくいってたからこの年も新しくする必要はないっていう。不安もあって、それ以上変わることが怖くなっていたと思う。ずっと昔のやり方に固執していた1年間がソチオリンピックのシーズンだった。その時から何か変えなきゃいけない、変わっていかなきゃいけないっていうふうに思い始めた」
ちなみにお姉さんの高木菜那さんは高校卒業後に実業団入りして急成長し、ソチオリンピックの代表にも選ばれています。
この際には高木さんは食生活と靴、練習方法・アプローチの3つのことを大きく変えたと語っています。
まさにどん底からスタートした大学生活でしたが、大学3年生の頃からメキメキと実力をつけはじめます。
またソチオリンピックで日本勢が惨敗したことを受けて、オランダからヨハン・デビッドコーチが招聘されましたが、このことも追い風になって、高木さんは「スケートに対する考え方が変わった」とインタビューに答えています。
大学卒業後は日本体育大学の助手に就任して、スケート競技を続行しています。
その頃からワールドカップでは日本新記録や世界新記録で優勝しはじめています。
そして23歳で出場した平昌オリンピックでは以下の金、銀、銅の3つのメダルを獲得して「最強のオールラウンダー」と呼ばれるほどになっています。
女子パシュート追い抜き(金)
1500m(銀)
1000m(銅)
このように高木さんの平昌オリンピックでの大活躍の裏には、大学時代の大きな挫折があったのです。
高木さん自身もソチオリンピックのシーズンを思い出すたびに「うぬぼれてはいけない」と自分に言い聞かせ、ソチの落選がなければ「今の自分はない」と話しています。
なお高木さんは2020年の北京オリンピックを目指すことを表明しています。
北京オリンピックでの活躍にも期待ですね。
高木菜那の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード
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高木美帆の学歴~出身高校(帯広市立帯広南商業高校)の詳細
出身高校:北海道 帯広南商業高校 偏差値55(中の上)
高木美帆さんの出身校は、市立の共学校の帯広南商業高校です。
この高校は1959年開校の公立校で、商業科のみを設置しています。
また同校は大学進学率も高いことや検定試験の取得率が道内でもトップクラスで、就職率もほぼ100%であることから商業高校の割には高い偏差値で知られています。
また部活動も全員加入制で、これまで陸上競技やカーリング、ボブスレーなどの競技でオリンピック選手を輩出しています。
高木さんは中学3年生でオリンピックの代表となった実績もあり同校には推薦入学の予定でしたが、面接予定日がバンクーバーオリンピックの開幕日と、一般入試の日が世界ジュニア選手権の日程とともに重なってしまい、前例のない入学試験の前倒しをして対応しています。
なお姉の菜那さんもこの高校に通学しており、スケート部の2学年先輩です。
お姉さんと在校期間が重なったのは1年限りでしたが、高校1年生の時には大会でたびたびお姉さんの記録を抜いてへこませています。
高校2年生の時にはワールドカップ・ソルトレークシティー大会で1000mの世界ジュニア新記録で優勝。
高校2、3年生で出場した世界ジュニア選手権ではともに総合優勝を果たし、日本人史上初の連覇を達成しています。
高校3年生の時のインタビューでは次のように話していました。
「狙った大会でタイトルをとることが、なんだかんだいって自分の中で一番最高の目標。みんなが目標にするオリンピックでそういう目標を達成できればうれしい。よくいうじゃないですか。チャンスの神様は前髪しかない、気づかずに通り過ぎたらつかめないんですよ、後ろ髪がないから。チャンスが来たときにつかめるように準備をするのが“いま”みたいな」
スケート競技では大活躍だった高木さんですが、高校の同級生はその高校時代を次のように語っています。
「女の子同士だと変に気を遣うのが嫌だったみたいで男とつるむことのほうが多かったですね。部活の後はサッカーをしたり、川遊びもしました。ジャージを脱ぎTシャツとスパッツでザブン! と入って泳いでいましたよ(笑)」
「美帆は女子クラスだったのですが、友達はいっぱいいましたよ。商業高校だったので簿記も、情報処理も1級に受かっていました。これはそう簡単に受かるものではないですから、いつの間に勉強したんだろうと思いましたね。その瞬間の集中力に長けていましたね。やるって決めたらやるというタイプでした」
「普段はまじめだけど、空気も読める子で、みんなから嫌われている先生の授業では話をわざと脱線させるようなこともやっていました(笑)。ちゃんと高校生活を楽しんでいましたね」
高木さんは高校時代には既に世界を相手に戦っておりスケート漬けの毎日でしたが、それなりに高校生活を楽しんでいたようですね。
高校時代の文化祭では小学生の頃から続けていたヒップホップダンスを披露しています。
なお大会の日程と重なったため高校の卒業式には参加できず、高木さんひとりのために後日卒業式が開かれていますが、同級生や後輩ら340人もが駆けつけています。
【主な卒業生】
福島千里(陸上選手)
高木菜那の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード
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高木美帆の学歴~出身中学校(幕別町立札内中学校)の詳細
出身中学校:北海道 幕別町立札内中学校 偏差値なし
高木美帆さんの出身中学校は、地元幕別町の公立校の札内中学校です。
高木さんは中学時代に頭角を現し、中学2年生の時に全日本ジュニアスピード選手権で総合優勝。
その年のジュニアワールドカップでも500m、1000mで優勝を飾っています。
そのため中学3年生の2月におこなわれたバンクーバーオリンピックには日本スピードスケート史上最年少で出場しています(結果は1000mで35位、1500mで23位)。
これらの実績から中学3年生の時に地元の幕別町から町民栄誉賞を贈られています。
そのため中学時代は「スーパー中学生」と呼ばれています。
また中学時代まではスケートと並行してとかち帯広フットボールクラブに所属してサッカーもやっていました。
このクラブは男子も所属していたのですが、高木さんはレギュラーのFWとして活躍しています。
しかもその実力は相当で、中学3年生の時に女子サッカーの北海道選抜としてU-15日本代表の合宿にも召集されたほどでした。
この合宿には女子サッカー日本代表(なでしこジャパン)の猶本光選手や愛媛FCレディースの大矢歩選手らも参加していました。
(猶本光)
しかし中学3年生の時に所属クラブは北海道大会に進出していますが、スケートの海外合宿の日程と重なって出場できず、高木さんは悔しがったエピソードも残っています。
当時は高校でもサッカー部に入りたいと語っていましたが、スケートでの活躍もあって実現しませんでした。
また中学時代はトレーニングを兼ねて新聞配達のアルバイトもしています。
ちなみに高木さんは中学時代からマスコミの取材を受けるようになりましたが、お姉さんの菜那さんは当時無名の存在で、お姉さんよりも高木さんのほうが9㎝も背が高かったことから、姉妹の妹ではなく姉と思われていました。
高木美帆の学歴~出身小学校(幕別町立札内北小学校)の詳細
出身小学校:北海道 幕張町立札内北小学校
高木美帆さんの出身小学校は、地元幕別町の公立校の札内北小学校です。
出身の幕別町は十勝平野の南部に位置する人口およそ2万7000人ほどの町です。
家族構成は両親と兄と姉の5人家族で、姉の高木菜那さんの平昌オリンピックでの活躍は周知のとおりです。
(左は菜那さん)
父親の職業は農機メーカに勤めるサラリーマンで、両親はスケート選手ではありませんでした。
高木さんは5歳からスケートをはじめて、7歳からはサッカーもはじめています。
スケートでは小学校5年生の時に全日本小学生スピードスケート選手権で優勝を飾っています。
小学生時代から抜群の運動神経で、小学校6年生の頃には陸上の女子800mでも十勝管内の小学生新記録を達成しています。
その他にも小学生時代は水泳やヒップホップダンスを習っていました。
以上が高木美帆さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
平昌オリンピックでの大活躍は記憶に新しいところですが、その裏には大きな挫折の克服がありました。
当時の高木さんの悩みや努力は相当のものだったはず。
またこのところは化粧や私服も注目されるほどの人気アスリートになっています。
日本女子スピードスケート界の歴代最強選手といっていいほどの実力なので、今後の大活躍にも期待が高まります。
高木菜那の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード
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