ものまねタレントの荒牧陽子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は荒牧さんは高校時代にNHKののど自慢で優勝した経験がありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
荒牧陽子(あらまき ようこ)
1981年1月14日生
身長152㎝
血液型はA型
岡山県岡山市出身のモノマネタレント、歌手
本名同じ、愛称は「マキタソ」
以下では荒牧陽子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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荒牧陽子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:就実高校
出身中学校:岡山市立旭東中学校
出身小学校:岡山市立芥子山小学校
荒牧陽子の学歴~出身小学校(岡山市立芥子山小学校)の詳細
出身小学校:岡山県 岡山市立芥子山小学校
荒牧陽子さんの出身小学校は、地元岡山市内の公立校の岡山市立芥子山(けしごやま)小学校です。
家族構成は両親と妹、弟の5人家族です(3人きょうだいの長女)。
自身のSNSには妹も登場していることもあり、家族仲は非常に良好のようです。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
荒牧さんは2歳のときにはすでに音程を取りながら歌うことができ、3歳のときには歌える曲が30曲以上あったそうです。
父親が歌が大好きだった影響で子供の頃には頻繁にカラオケ喫茶に連れていかれており、父親はいつも前川清さんを歌っていました。
その影響で荒牧さんも昭和の歌を好きになり、小学生にもなると「河内おとこ節」を歌わされていたことを明かしています。
また子供の頃からピアノも習っていました。
小学校高学年になると母親に勧められて、地元の歌のコンテストに出場をしていました。
そこではことごとく優勝や入賞が多かったことから、「コンテスト荒らし」と呼ばれていたほどでした。
なお荒牧さんはこの頃から将来の夢は歌手だったようで、小学校の卒業文集には将来の夢は舞台の上で歌うと書いていました。
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荒牧陽子の学歴~出身中学校(岡山市立旭東中学校)の詳細
出身中学校:岡山県 岡山市立旭東中学校 偏差値なし
荒牧陽子さんの出身中学校は、地元岡山市内の公立校・岡山市立旭東(きょくとう)中学校です。
この中学校ではロッテなどで活躍した元プロ野球選手の竹原直隆さんが同級生でした。
荒牧さんはイケメンが苦手だと番組内で話しましたが、中学時代の同級生から当時はイケメンに片想いをして追いかけていたこと明かされています。
【主な卒業生】
水川かたまり(お笑い・空気階段)
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荒牧陽子の学歴~出身高校(就実高校)・大学の詳細・のど自慢に出場していた!
出身高校:岡山県 就実高校 偏差値40台前半(当時・容易)
荒牧陽子さんの出身高校は、私立の女子校の就実高校です。
この高校は1904年開校の私立高校で、バレーボール部が全国的な強豪として知られています。
また現在の同校は特別進学コース(偏差値70)などを設置して進学率も向上していますが(偏差値は46~70)、当時はそのようなコースもなく現在ほどレベルは高くはありませんでした。
この高校に在学中は2学年上に、タレントから政治家に転向した塩村文夏さんも在籍していました。
荒牧さんは高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
高校時代にのど自慢でチャンピオンに
高校2年生だった1997年5月に「NHKのど自慢」でチャンピオンとなり、翌年3月に開催された同じ番組のチャンピオン大会に出場しています。
とは言え地元にいた頃は自分から率先して歌を披露することはなかったようで、このことについては次のように話しています。
「母親が応募した『のど自慢』や歌のコンクールに出場したりはしていました。でも当時は、何だか恥ずかしくて、歌っていることをあまり友達などに知られたくなかったんです。」
記事引用:Webタウン情報おかやま
また高校時代は学園祭などのステージに立って、自慢の歌を披露していました。
その一方で荒牧さんは学校の成績はあまり良くなかったようです。
【主な卒業生】
塩村文夏(政治家)
有森裕子(元陸上選手)
石井優希(バレーボール日本代表)
大学には進学していない
なお高校卒業後は大学には進学しておらず、焼き肉屋のアルバイトを3年間して上京資金の100万円を貯めています。
20歳のときに歌手になるために上京をしており、まずは人脈を広げようとたくさんの人に出会う方法を見つけたと言います。
そして出会った人の中にもしかするとプロデューサーの人がいるかもしれないという思いを込めて人と接していたとインタビューで語っていました。
荒牧さんは上京後はシンガーソングライターとして様々なオーディションを受けていますが、なかなか合格できなかったためガイドボーカルとして生計を立てていました。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「それで『m・a・z・e』という曲を歌ってみたら、意外としっくり来た。」初めてガイドボーカルのお仕事をいただいたときに『この人だったらなんとなく似せて歌えるのでは?』と渡された曲が倖田來未さんだったんです。
記事引用:ナタリー
荒牧さんはこの仕事をしている中でいろんな歌手の特徴をつかみ、ものまねスキルが磨かれていったようです。
ただし歌手としてはメジャーデビューできませんでした。
ものまねタレントとしてブレイク
そして20歳だった2011年に放送された「スター☆ドラフト会議」でものまねを披露して大きな反響を呼び、ものまねタレントとしてブレイクを果たしました。
以降は数々のものまね番組に出演しています。
2007年にはファーストシングル「黄金の輝き」で、念願のメジャーデビューを飾っています。
また2021年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
こちらでは「歌ってみた」の動画が人気になっています。
以上が荒牧陽子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
歌手志望でしたがものまねタレントに転向すると、瞬く間に人気が上昇しています。
その高い歌唱力で「ものまねクイーン」や「歌マネ女王」の異名をとるほどです。
今後のさらなる活躍にも期待したいところです。
経歴・プロフィールの詳細
当初はシンガーソングライターとして活動するも、オーディションに合格せずにメジャーデビューできなかった。
2001年から出演したバラエティー番組「スター☆ドラフト会議」で準レギュラーを務め、モノマネタレントとして注目を集める。
以降は「ものまねグランプリ」などに出演して、人気モノマネタレントの仲間入りを果たす。
2007年に1stシングル「黄金の輝き」で歌手デビュー。
2013年1月から体調不良によって一時芸能活動を休業し、2014年夏に復帰した。
ディナーショーなども定評がある。
私生活では2013年に結婚しており、2016年秋に第一子を出産した。
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