大黒摩季の学歴と経歴|出身は藤女子高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

シンガーソングライターの大黒摩季さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「ら・ら・ら」などのヒット曲で知られる大黒さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

大黒摩季

 

大黒

 

19691231日生

身長161㎝

血液型はA型

 

北海道札幌市出身のシンガーソングライター

本名同じ

 

以下では大黒摩季さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

大黒摩季の学歴~出身高校(藤女子高校)・大学の詳細

 

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出身高校:北海道 藤女子高校 偏差値60(当時・推定)

 

 

 

大黒摩季さんの出身高校は、私立の女子校の藤女子高校です。

 

この高校は1926年開校のカトリック系のミッションスクールで、地元では古くからの「お嬢様学校」として知られていました。

 

なお現在の同校は系列の藤女子大学の人気の低下などから、推定偏差値は53程度に落ち込んでいますが、大黒さんが在籍した1980年代は偏差値も高く、札幌市内でも有数の進学校として知られていました。

 

大黒さんはこの高校の系列の中学校に通っており、高校からの募集が一切ない完全中高一貫校であることから内部進学で進んでいます。

 

大黒さんは高校時代はアマチュアバンドのボーカルを担当しており、札幌の「ベッシ―ホール」という小さいライブハウスで歌っていました。

 

当時はディープ・パープルをコピーしていたそうです。

 

そして高校2年生の冬頃に高校を中退して音楽の道に進もうと決意をしていますが、両親の高校だけは卒業するように説得されたことから断念しました。

 

【主な卒業生】

徳永エリ(政治家)

 

大黒さんは高校卒業後は大学などには進学しておらず、歌手を目指して上京をしています。

 

通っていた高校は当時は進学校だったため大学に進学できるだけの学力は有していたものと思います。

 

大黒さんは20歳の時に音楽系の芸能事務所「ビーイング」に所属をしており、当時のことについてはインタビューで次のように振り返っています。

 

「東京に出てきて、レコード会社の門を叩いて、ビーイングという日本一の制作集団に入った。どこかのオーディションで受かっていきなりデビューとかじゃなく、叩き上げなんです。だから、ビーイングに入ってからは、そりゃいろいろ学びたいから夢中になりましたよ。そうして、気が付いたら謎になってたんです。」

記事引用:CINRA

 

大黒さんは上京後しばらくは「B’z」や「ZARD」、「TUBE」のバックコーラスを務めるなど、下積み生活が続きます。

 

22歳だった1992年に、ファーストシングル「STOP MOTION」でメジャーデビューを果たしましたが、楽曲は売れませんでした。

 

 

しかし同じ年にリリースしたの2ndシングル「DAKARA」がオリコン2位のヒットとなり、レコード大賞新人賞も受賞しています。

 

大黒1

 

以降も「永遠の夢に向かって」や「ら・ら・ら」、「熱くなれ」などのヒットを連発してスターダムに上り詰めています。

 

 

 

1996年度の長寿番付では歌手部門の10位になるほどでした。

 

しかし子宮疾患で休業に追い込まれるなど、決して平たんな道のりではありませんでした。

 

幸い病も完全に克服して、歌手としても復活。

 

既に年齢は50代に突入していますが、現在でも精力的な活動を展開しています。

 

 

今後にも注目ですね。

 

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大黒摩季の学歴~出身中学校(藤女子中学校)の詳細

 

出身中学校:北海道 藤女子中学校 偏差値58(中の上・当時)

 

 

 

大黒摩季さんの出身中学校は、私立の女子校の藤女子中学校です。

 

この中学校も現在は偏差値が53程度ですが、大黒さんが在籍した当時のほうがレベルは上でした。

 

大黒さんは中学時代にロックに目覚めており、山に向かって大声で練習をしたそうです。

 

中学生の時にバンド活動をはじめており、インタビューでは次のように話しています。

 

「もともと中高生の頃からバンドをやっていて、ライブハウスでライブをしてたんですよ。子どもの頃から音楽をやって、曲を作ってバンドをやって。」

記事引用:CINRA

 

また大黒さんは中学時代に好きになった男子を殴るのが好きだったそうで、かなり気の強い一面もあったみたいです。

 

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大黒摩季の学歴~出身小学校(札幌市立石山小学校)の詳細

 

出身小学校:北海道 札幌市立石山小学校

※現在は札幌市立石山緑小学校

 

 

 

大黒摩季さんの出身小学校は、地元札幌市内の公立校・札幌市立石山小学校です。

 

この小学校は2019年に札幌市立石山南小学校と統合されて、現在は札幌市立石山緑小学校になっています。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

 

大黒さんの実家はパンとケーキの製造販売会社「札幌キムラヤ」を経営しており、両親は忙しかったことから大黒さんが弟の面倒をみていました。

 

なお「札幌キムラヤ」は地元では老舗洋菓子店として知られていましたが、2002年に倒産しています。

 

大黒さんは3歳の時からクラシックピアノを習い始めており、幼少期はピアノがおもちゃ代わりでした。

 

 

他にも書道も習っていました。

 

また自身の小学校時代についてはインタビューで次のように話しています。

 

「体育館の跳び箱の陰でイヤホン付けて音楽聴いてるような子どもでした。孤立しているんじゃないかとみんなが声をかけてくれるけれど、『お願いだからそっとしておいて』って。感情を言葉で表すのが苦手で、いつも思いを音にしていました。作曲から始めて、会話を聞いたりラジオを聞いたりしながら歌詞を作るようになって。」

記事引用:週刊エコノミストOnline

 

大黒さんは集団生活が得意ではなかったことから、よく1人で音楽室に行っていました。

 

小学校時代にはバレーボールに熱中をしていたことから卒業文集には「めざせ全日本、ワールドカップ」と書いたそうです。

 

以上が大黒摩季さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

メジャーデビューした年にブレイクして、絶頂期にはかなりの人気を博していました。

 

その後は病魔にも侵されましたが、無事に復帰しています。

 

 

苦労人だけあって、末永い活躍を期待したいです。

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1989年にビーイングのオーディションに合格するも、しばらくはBsZARDTUBEのバックコーラスを担当。 

1992年に1stシングル「STOP MOTION」でデビュー。 

同年の2ndシングル「DAKARA」がオリコン2位のヒットとなり、レコード大賞新人賞を受賞。 

1994年の9thシングル「永遠の夢に向かって」で初のオリコン1位を獲得。 

以降も「ら・ら・ら」や「熱くなれ」などのヒット曲をリリース。 

2010年に子宮疾患の治療により活動を休止するも、32thシングルAnithing Goes!」が12年ぶりにオリコンTOP10を記録。 

2015年にベストアルバムを発売し、16年ぶりにオリコンのTOP5を記録。

 

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