神奈月(ものまね)の学歴|出身は多治見北高校!大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

モノマネ芸人の神奈月さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は神奈月さんは勉強が得意で、県内でも有数の進学校に通学していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

神奈月(かんなづき)

 

 

1965113日生

身長172

血液型はB

 

岐阜県土岐市出身のモノマネタレント

本名は奥村聡司(おくむら さとし)

 

以下では神奈月さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

スポンサードリンク

 

目次

神奈月の学歴まとめ

 

出身大学:コンピューターの専門学校

出身高校:岐阜県立多治見北高校

出身中学校:土岐市立駄知中学校

出身小学校:土岐市立駄知小学校

 

神奈月の学歴~出身小学校(土岐市立駄知小学校)の詳細

 

出身小学校:岐阜県 土岐市立駄知小学校

 

 

 

神奈月さんの出身小学校は、地元土岐市内の公立校の駄知小学校です。

 

家族構成は両親と兄の4人家族です。

 

小学校45年生の頃に長州力さんのモノマネを兄に披露したのがはじめてのモノマネだと述べています。

 

「その頃、長州(力)さんが吉田光雄というリングネームでデビューしたんですよ。レスリング界から鳴り物入りで入ってきたので、強い相手を当てられてしまって勝てない。その様子をまねしようと思って、張り手を受けた時のリアクションの仕方とかをやっていました。兄貴にやったら、笑ってくれました」

 

また子供の頃からお笑い番組をよく見ており、当時はモノマネをよくやっていた竹中直人さんや小堺一機さんらに憧れています。

 

加えて神奈月さんは子供の頃からスポーツが得意で、小学校時代から野球をはじめています。

 

スポンサードリンク

 

神奈月の学歴~出身中学校(土岐市立駄知中学校)の詳細

 

出身中学校:岐阜県 土岐市立駄知中学校 偏差値なし

 

 

 

神奈月さんの出身中学校は、地元岐阜県土岐市内の公立校の駄知(だち)中学校です。

 

中学時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

当時はプロ野球選手を目指していたそうです。

 

【主な卒業生】

塚本連平(映画監督)

 

スポンサードリンク

 

神奈月の学歴~出身高校(多治見北高校)・大学の詳細

 

出身高校:岐阜県 多治見北高校 偏差値68(難関・現在)

 

 

 

神奈月さんの出身高校は、県立の共学校の多治見北高校です。

 

この高校は1958年開校の県立校で、地元では古くからの進学校として知られています。

 

神奈月さんはこの高校に一般受験で入学しており、かなりの学力を有していました。

 

高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

神奈月さんは小学校時代からモノマネを得意としており、高校時代も文化祭で先生や芸能人のモノマネを披露して、校内では人気者でした。

 

そして高校2年生の時に中京テレビの情報番組「5SATマガジン」の番組内企画の「ローカルスターベストテン」というコーナーではじめてテレビに出演してモノマネを披露しています。

 

好評だったことから3か月間もこの番組に出演しており、西城秀樹さんや郷ひろみさん、近藤真彦さんや田原俊彦さんらのモノマネをやっていました。

 

当時のギャラは1回の出演につき6000円だったとインタビューで語っています。

 

またテレビでネタを披露することは刺激的な体験だったことから、この頃からお笑い芸人になりたいという気持ちが生まれたと述べています。

 

「それに出させてもらったことで『お笑い芸人になりたい』という気持ちがかきたてられた。それまでは、クラスや学校の中でやっていたことが東海地方にまで広がって、街歩いていると声をかけられることもあったので、これが全国に行ったらどうなるんだろうみたいな、お笑いの甲子園でやってみたいなと思うようになりました」

 

【主な卒業生】

近藤サト(アナウンサー)

高須みほ(タレント)

 

そのため神奈月さんは高校卒業後は大学に進学せずに、上京してモノマネ芸人を目指しています。

 

当初は大学に進学するつもりでしたが、大学受験に失敗しています。

 

そのため東京のコンピューターの専門学校(校名は不明)に通学しながら、モノマネ芸人を目指しています。

 

神奈月さんはこのあたりの経緯については、インタビューで次のように話しています。

 

「ビートたけしさんもタモリさんも六大学を中退しているから、それに憧れて大学に行きたかったんですけど、受からなくて。結局、コンピューターの専門学校に通いながら池袋のショーパブでアルバイトを始めたんです」

 

当時から出身高校は進学校だったことから、その際には母親に猛反対されています。

 

ところが「みんなが大学で勉強する4年のうちに稼ぐようになるから」と母親を説得して上京しています。

 

上京後は池袋のショーパブで2年間ほどモノマネのアルバイトをしています。

 

 

しかし当時はテレビのオーディションにはことごとく落ちています。

 

そんな時にコント赤信号のリーダーの渡辺さんから、「50%くらいをモノマネで笑わせて、後の半分をトークやギャグで笑わせるように」とのアドバイスを受けています。

 

そして30歳だった1995年から「ものまねバトル」に出演すると人気が出て、以降は人気モノマネ芸人として数多くのバラエティー番組に出演しています。

 

 

2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が神奈月さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

下積み生活も長く続きましたが、「ものまねバトル」や「ものまねグランプリ」に出演して以降は、武藤敬司さんらのモノマネで人気を博しました。

 

 

また現在でも数多くのレパートリーで、数々のモノマネ番組に出演しています。

 

苦労人だけに末永い活躍を期待したいところです。

 

スポンサードリンク



 

関連記事一覧

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次