河野太郎の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値|英語がすごかった!

 

政治家の河野太郎さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。 河野さんは学生時代は陸上に打ち込むなど決して勉強ばかりの学生ではありませんでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコイイ画像なども併せてご紹介いたします

 

河野太郎(こうの たろう)

 

 

1963110日生

身長非公表

血液型はO型

 

神奈川県平塚市出身の政治家

自由民主党所属

 

以下では河野太郎さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします




 

河野太郎の学歴~出身大学(慶応義塾大学・ジョージタウン大学)の詳細

 

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出身大学:アメリカ ジョージタウン大学 国際学部 難関

 

 

 

河野太郎さんの出身大学は、アメリカ・ワシントンDCに位置する私立大学のジョージタウン大学です。

 

同大は政治や国際関係の学問に関しては世界屈指のレベルの大学で、ビル・クリントン元大統領のほか、5名のノーベル賞受賞者を輩出しています。

 

またこの大学は政治分野の学問に定評があり、当時から将来は政治家になることを志していたようです。

 

河野さんは高校の系列の慶応義塾大学経済学部(偏差値70)に進学しますが、わずか2か月で中退しています。

 

 

 

慶応義塾大学を中退したのは英語力を磨くために、アメリカの大学に進学したくなったからです。

 

その際には父親の河野洋平さんに反対されて大学を卒業してから渡米することを勧められていますが、河野さんは反対を押し切っています。

 

直後に渡米してマサチューセッツ州のサマースクールやコネチカット州の寄宿学校・サフィールドアカデミーに1年間在籍して語学などを学んで大学進学に備えています。

 

ただし渡米した当初は英語(特にヒアリングやスピーチ)に苦労しており、インタビューでも次のように話しています。

 

「どこで飯が食えるんですか?」と聞いても、私の英語が相手に伝わらないし、ようやく伝わっても聞き取れない」

 

そんな経験をしながらも英語を勉強して、19歳だった1982年9月にジョージタウン大学に入学しています。

 

 

この大学では後にニューヨーク・ニックスなどで活躍したバスケットボール選手のパトリック・ユーイングさんと同級生でした。

 

大学時代をアメリカで過ごしただけに、河野さんは非常に英語が堪能です。

 

 

 

帰国子女でないことから日本語訛りの英語ですが、現在は英語で公演ができるほどです。

 

大学では比較政治学を専攻しており、マデーレン・オルブライト教授のゼミにも所属しています。

 

ちなみにオルブライトさんは女性ながら、後にクリントン政権の国務長官になったほどの人物です。

 

 

なおゼミでは当初河野さんが英語力に不安があって消極的だったことから、オルブライトさんから「やる気がないなら、来るな」と言われています。

 

そんな責もあって発奮して、英語の勉強にいっそう熱心に取り組んだそうです。

 

在学中に交換留学生制度でポーランド中央計画統計大学への留学も経験しています。

 

ちなみに当時のポーランドは共産党の独裁政権だったことから、河野さんは留学中の1984年には軟禁中のワレサ書記長(後のポーランド大統領)を訪ねた際に、逮捕されてしまっています。

 

「私は、反体制派の神学生と一緒にグダンスクという街に住むワレサ書記長の自宅を訪ね、お目にかかることができましたが、ワレサ書記長の住むアパートを出たところでポーランド警察に逮捕され、留置所に連行されました(正式な罪状は、外国人なのにパスポートを携帯していなかったことでした)。留置所で震えていると、一緒に捕まった相棒に、「俺は最近まで六ヶ月牢屋に入っていたばかりで詳しいから、心配するな」と慰められ、余計にビビッたことを今でも良く覚えています。結局、翌朝に釈放され、事なきを得ました(パスポート不携帯の罪でシベリア送りになったのではしゃれになりません)」

 

また河野さんは大学2年生だった1983年にはアメリカ大統領選挙に立候補したアラン・クランストン上院議員の選対本部でボランティアを務め、大統領選挙を肌で感じています。

 

その他にもリチャード・シェルビー下院議員の事務所でインターンも経験しています。

 

このようなことに鑑みても当時から将来は政治家を目指していたようですね。

 

卒業後は約10年間のサラリーマン生活を経て、33歳だった1996年に政治家に転身しています。

 

 

以降は順調にキャリアを重ねて、自民党の若手政治家の中では筆頭格に挙げられるほどになりました。

 

 

たびたび次期総裁候補などとも呼ばれるほどです。

 

※追記

河野さんは2021年9月に自由民主党の総裁選挙に出馬して、決選投票の末に岸田文雄さんに敗れています。

 

その際には力不足とコメントしています。

 

 

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河野太郎の学歴~出身高校(慶応義塾高校)の詳細

 

出身高校:神奈川県 慶応義塾高校 偏差値75(超難関)

 

 

 

河野太郎さんの出身高校は、私立の男子校の慶応義塾高校です。

 

この高校は1948年開校の慶応義塾大学の系列の私立高校で、非常に自由な校風で知られています。

 

また同校はほとんどの卒業生は系列の慶応義塾大学に進学します。

 

そのため現在ではかなりの難関校になっています。

 

高校では公明党の参議院議員の西田実仁さんが同級生でした。

 

また1学年下には自由民主党の衆議院議員の石原宏高さんも在籍していました。

 

ちなみに自由民主党の総裁選挙の際にはライバルとも目されていた石破茂さんもこの高校のOBです。

 

河野さんは高校時代は競争部(陸上部)に所属して長距離走に取り組んでおり、主将を務めるなどリーダーシップにも優れていました。

 

当時は大学に進学して箱根駅伝に出場することが夢でした。

 

(高校時代)

 

また当時はモスクワオリンピックとロサンゼルスオリンピックで金メダル(1500m)を獲得したセバスチャン・コー選手(後の国際陸連会長)が憧れの存在でした。

 

なお当時から河野さんは英語が得意科目で、中学・高校時代を通じて「A」の成績しかとったことがありませんでした。

 

【主な卒業生】

櫻井翔(嵐)

岩田剛典(EXILE

ミッツ・マングローブ(タレント)

小出恵介(俳優)

 

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河野太郎の学歴~出身中学校(慶応義塾中等部)の詳細

 

出身中学校:神奈川県 慶応義塾中等部 偏差値69(難関)

 

 

 

河野太郎さんの出身中学校は、私立の共学校の慶応義塾中等部です。

 

この中学校は1947年開校の慶応義塾大学の系列校で、2017年には女優の芦田愛菜さんが進学して話題になっています。

 

また卒業生は系列の高校を経て原則として慶応義塾大学にエスカレーター式に進学できるので、現在ではかなりの難関校になっています。

 

河野さんはこの中学校に一般受験で合格していますが、高校には内部進学で進んでいます。

 

中学時代も競争部(陸上部)に所属して部活動に励んでいます。

 

中学でも主将を務めていました。

 

ちなみに陸上部に入部したのは、地元平塚市は箱根駅伝のコースになっており子供の頃から毎年、応援に行っていたからです。

 

そのためこの頃から箱根駅伝に出場することを目指しています。

 

【主な卒業生】

二谷友里恵(女優)

菊池麻衣子(女優)

河野明子(元アナウンサー)

弘中綾香(アナウンサー)

 

河野太郎の学歴~出身小学校(平塚市立花水小学校)の詳細

 



 

出身小学校:神奈川県 平塚市立花水小学校

 

 

 

河野太郎さんの出身小学校は、地元平塚市内の公立校の花水小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

祖父は副総理を務めた河野一郎さん、父親は外務大臣などを歴任した河野洋平さんです。

 

 

小学校時代はボーイスカウトに入団していました。

 

また河野さんは子供の頃から母親から「人の悪口を言うもんじゃない」と育てられたそうです。

 

実際に人の悪口を言った際には、父親に殴られたほどでした。

 

小学校時代は野球などをやっており、スポーツも好きなようです。

 

以上が河野太郎さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

政治家に転身後は順調にキャリアを重ねています。

 

 

また早くからツイッターで情報発信をおこなっており、「面白い」と評判です。

 

将来の総裁、総理候補としても早くから期待されている人物だけに、今後の動向にも注目が集まります。

 

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経歴/プロフィールの詳細

 

1986年に富士ゼロックスに入社してシンガポールの子会社などで勤務。 

1993年に父親の河野洋平が大株主の日本端子に転職。 

1996年の衆議院議員選挙に自民党公認で立候補し初当選。 

2009年の自民党総裁選挙に立候補するも、谷垣禎一に敗れる。 

201510月の第3次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣として初入閣。

20178月に外務大臣に抜擢された。

 

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