政治家の高市早苗さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は高市さんは学生時代はヘビーメタルバンドを組んだりバイクを乗り回したりと、かなりアクティブに活動していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
高市早苗(たかいち さなえ)
1961年3月7日生
身長非公表
血液型はA型
奈良県奈良市出身の政治家
自由民主党所属
以下では高市早苗さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、高校時代や大学時代のエピソードなどをご紹介します
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高市早苗の学歴~出身小学校(奈良市立あやめ池小学校・橿原市立畝傍南小学校)の詳細
出身小学校:奈良県 奈良市立あやめ池小学校
高市早苗さんが入学した小学校は、奈良市内の公立校のあやめ池小学校です。
奈良カトリック幼稚園からこの小学校に進学しています。
家族構成は両親と6歳年下の弟です。
父親は普通のサラリーマンで母親は奈良県警に勤務していたようです。
そのため共働きの家庭に育っています。
意外にも子供の頃は内向的な性格でした。
小学3年生の時に橿原市立畝傍南小学校に転校しています。
転校したことで少しだけ活発な子供になりました。
高市さんは当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「小学校3年生で転校したことを契機に、少しだけ活発に振舞えるようになりました。両親が共働きだったため、6歳下の弟の面倒をみるのに追われていましたが、おかげで今でも乳幼児の扱いは上手です。」
記事引用:私のカクゴ
そのため子供の頃から6歳年下の弟には母親のように接していました。
高市早苗の学歴~出身中学校(橿原市立畝傍中学校)の詳細
出身中学校:奈良県 橿原市立畝傍中学校 偏差値なし
高市早苗さんの出身中学校は、奈良県橿原市内の公立校の畝傍中学校です。
高市さんは「高校進学のために中学時代を過ごし」と述べているので、中学時代はかなり勉強していたようです。
また「目指すべき目標が決まった時には、第一志望に賭けること」ともインタビューで述べています。
「進学時の志望校決定や就職先の選択など、人生の節目で迷う事は多々ありますよね。第2志望で妥協していれば楽に目標達成できる場合が多いのですが、第1志望に挑戦することから逃げると、一生の間、「あの時もしも挑戦していれば、うまくいっていたかも」と後を振り返ることになります」
記事引用:高市早苗
どうやら高校も大学も第一志望に合格したようですね。
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高市早苗の学歴~出身高校(奈良県立畝傍高校)の詳細
出身高校:奈良県 畝傍高校 偏差値69(現在・難関)
高市早苗さんの出身高校は、県立の共学校の畝傍(うねび)高校です。
同校は1896年開校の伝統校で、地元では古くから進学校として知られています。
高市さんはこの高校にも一般受験で合格しており、当時から高い学力を有していました。
ところが高校1年生の時に大学生の彼氏ができて、学校の成績が急落したことをメディアが報じています。
「いつも彼と二人きりでいたくて、授業をさぼり、宿題を怠けて、成績はガタ落ち。職員室で先生に「勉強しろ」と顔をビンタされた」
記事引用:ko-ima.com
高校時代には禁止だったバイクで通学をしていたことや、時々授業をさぼって屋上で空を眺めていたことを自伝で語っています。
高市さんはバイクには16歳の時から乗っており、インタビューでは次のように話しています。
「特にきっかけはなく、通学やバイト先への移動などに必要だったからです。現在は乗っていません。衆議院議員2期目だった37歳ごろに、『万が一の怪我で国会を休んでは、有権者の皆さまに申し訳ない』と思うに至り、公道でバイクを乗るのは辞めました。」
なおそれでも高校3年生の受験シーズンは勉強を頑張っており、第一志望の大学に合格しています。
【主な卒業生】
麿赤児(俳優)
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高市早苗の学歴~出身大学(神戸大学)の詳細
出身大学:神戸大学 経営学部経営学科 偏差値63(難関)
高市早苗さんは高校卒業後は、国立大学の神戸大学に進学しています。
この大学には一般受験で入学しており、高い学力を有していました。
同大では経営数学を勉強していました。
大学時代は軽音楽部に所属しており、ヘビーメタルバンドを組んでドラマーを担当していました。
高市さんは当時の音楽活動についてインタビューで次のように話しています。
「私は、個人的に、大学時代に軽音楽部ROCKというものに所属しておりまして、ヘヴィメタバンドのドラムをやっておりました。ただ私は中途半端な実力でしたので、音楽が何よりも好きだったのですが、プロにはなれず、途中から路線変更しました。ほぼ同じような時期に大学のサークルから華々しくデビューされて、大変うらやましく聴いていました。」
記事引用:高市早苗
なお当時の高市さんのライブでのパフォーマンスは激しく、いつもスティックを3本は折っていたとのこと。
加えて当時からヘビメタ好きで、聖飢魔Ⅱのデーモン閣下やX JAPANのファンであることを公言しています。
また大学時代はバンド活動以外にも阪神タイガースの応援やバイク(愛車はZ400GP)で走り回ることに熱中していました。
大学生の頃にはよくバイクでツーリングにも行っており、インタビューで次のように話しています。
「学生時代は、裏六甲や阪奈道路の大阪側など、カーブが多い道を攻めるのが好きでした。バイト代が貯まるとツーリングに出かけ、全国の海岸沿いの道はほとんど走りました。20代前半は『バリバリ伝説』という漫画にハマっていました。バイクの魅力は、特に夏に、風とアスファルトの熱を感じながら走る心地よさ。」
記事引用:smart-flash.jp
またホステスのアルバイトなども経験しています。
高市さんは自身の人生のターニングポイントは大学時代だったようで、インタビューで次のように当時を振り返っています。
「大学4年の夏、初めてお目にかかった松下幸之助氏の眼光の鋭さに圧倒されました。すでに内定していた就職先を断り、松下政経塾に進むことについて、『夢があって、いいじゃない』と応援してくれた両親に感謝しています。」
記事引用:私のカクゴ
大学卒業後は松下政経塾に入塾して政治家を志しています。
26歳の時に渡米して民主党下院議員のパトリシア・シュローダー氏の議員立法調査官を務めたとされていますが、このあたりはジャーナリストの鳥越俊太郎さんに突っ込まれて「学歴詐称(経歴詐称)」と批判されています。
鳥越さんによれば、「見習い待遇で無給で未契約のフェロー。コピー取り程度、お茶くみ程度の役しかやっていない」とのこと。
「彼女は見習い待遇で、無給で、未契約のフェロー、つまりコピー取り程度、お茶くみ程度のことしかやっていない」「だから、経歴詐称だよね、僕に言わせれば。経歴詐称」
記事引用:Yahoo!ニュース
この点については高市さんも無給で働いていたことを認めた上で、松下政経塾のアメリカの研究所から給与の支給を受けていたと反論しています。
しかし日刊ゲンダイには立法調査官だった経歴が見当たらないと批判されています。
鳥越さんは「もしこれで私が名誉毀損で訴えられるなら、受けて立ちます」とも話している。実際、高市大臣がアメリカの議会に採用されたという記録は見つからないようだ。それどころか「議会立法調査官」という名称さえ見当たらない
記事引用:日刊ゲンダイ
これに対しては高市さんの事務所は次のように反論しています。
「高市がコングレッショナルフェロー(議会研究員)をしていたのは事実です。確かに議会から報酬は出ていませんが、松下政経塾のアメリカの研究所が高市のスポンサーとなり、議員事務所で働いていたのです。コングレッショナルフェローには、選ばれた人しかなれません。ただし、“議会立法調査官”は造語です。現在は、誤解を招くので、その名称は使っていません」
なお高市さんは政治家になる前はタレントやラジオのパーソナリティなど、芸能活動をおこなっていました。
29歳だった1990年にフジテレビの朝の情報番組「朝だ!どうなる?」に出演してMCを務め、知名度が上昇しています。
すると日本テレビのバラエティ番組「巨泉のこんなモノはいらない!?」にも起用されています。
すると32歳だった1993年に衆議院議員選挙に無所属で出馬すると、その知名度を武器にトップ初当選しています。
同じ年に新進党に合流しています。
35歳だった1995年には新進党から出馬して再選直後に離党・自民党入りを果たして大きく批判されています。
2003年の衆議院議員選挙では落選も経験しています。
とは言え45歳だった2006年の第一次安倍内閣では内閣府特命大臣として初入閣を果たしています。
また山本拓議員との結婚や離婚はワイドショーでもこぞって報じられました。
加えて2021年の自民党総裁選挙には出馬の意欲を示して、にわかに注目を集めています。
そのため今後の動向にも注目ですね。
以上が 高市早苗さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
新進党から自民党に鞍替えした時はかなりのバッシングを浴びましたが、自民党では順調にキャリアを重ねています。
また山本拓さんとの結婚・離婚は話題になりました。
何かと話題の多い人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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経歴
1989年から日本経済短期大学(現亜細亜大学短期大学部)の助手を務める。
1990年に朝の情報番組「朝だ!どうなる?」のメインキャスターを担当。
1992年の参議院議員選挙に出馬して落選。
1993年の衆議院議員選挙に無所属で出馬して当選。
以降は自由党・自由改革連合を経て、同年末に新進党に合流。
1996年の衆議院議員選挙では新進党から出馬して再選。
同年12月に自由民主党に入党。
2003年の衆議院議員選挙では落選するも、2005年の同選挙で国政復帰。
2006年の第1次安倍内閣で内閣府特命大臣として初入閣。
私生活では2004年に自民党の衆議院議員の山本拓と結婚したが、2017年に離婚した。
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