野田聖子の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値|校則違反で退学処分

 

政治家の野田聖子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は野田さんは高校を校則違反で退学になった過去がありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

野田聖子(のだ せいこ)

 

 

196093日生

身長168

血液型はA型

 

福岡県出身の政治家

自由民主党所属の衆議院議員

旧姓は島聖子

 

【公式ブログ】

https://ameblo.jp/seiko-noda/

 

【公式ツイッター】

https://twitter.com/noda_seiko93 

 

【公式インスタグラム】

https://www.instagram.com/seiko.noda/?hl=ja

 

以下では野田聖子さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

野田聖子の学歴まとめ

 

出身大学:上智大学 外国語学部比較文化学科

出身高校:田園調布雙葉高校→ジョーンヴィル・ハイスクール

出身中学校:田園調布雙葉中学校

出身小学校:田園調布雙葉小学校

 

野田聖子の学歴~出身小学校(田園調布雙葉小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 田園調布雙葉小学校

 

 

 

野田聖子さんの出身小学校は、私立の女子校の田園調布雙葉小学校です。

 

同校はカトリック系の名門ミッションスクールで、古くからお嬢様学校として知られています。

 

祖父は建設大臣などを歴任した政治家の野田卯一さんですが、後に養女となっているので戸籍上は卯一さんの娘です。

 

(野田卯一)

 

家族構成は両親と弟と妹の5人家族です。

 

福岡県北九州市の出身ですが、5歳の頃に父親の転勤で田園調布に越してきています。

 

野田さんは子供の頃から非常に活発でおてんばな少女で、スポーツが得意でした。

 

その一方で小学生時代から祖父の選挙活動にも参加して、応援演説もしたこともあります。

 

また小学校の卒業文集には「衆議院議員になりたい」と書いています。

 

野田聖子の学歴~出身中学校(田園調布雙葉中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 田園調布雙葉中学校 偏差値60(推定・やや難関)

 

 

 

野田聖子さんは小学校卒業後は、系列の田園調布雙葉中学校に内部進学しています。

 

中学時代には女子サッカー部を創設してフォワードの選手として活躍しましたが、当時は女子サッカーのチームが少なかったので対外試合などはほとんどできませんでした。

 

その他にも中学時代に難関で知られるスキー検定の1級を取得するなど、運動神経のよさを発揮しています。

 

また当時は「巨人の星」や「あしたのジョー」などのスポ根漫画を愛読するなど、男子生徒のような女学生でした。

 

中学3年生の時には生徒会長も務めています。

 

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野田聖子の学歴~出身高校(田園調布雙葉高校・ジョーンズヴィル・ハイスクールの詳細

 

出身高校:東京都 田園調布雙葉高校(中退) 偏差値61(推定・やや難関)

※ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業

 

 

 

野田聖子さんが入学したのは、私立の女子校の田園調布雙葉高校です。

 

この高校は1941年開校のカトリック系のミッションスクールで、古くから「お嬢様学校」として知られています。

 

また同校は幼稚園・小学校から高校まで一貫教育をおこなっており、中学校や高校では募集がないことから偏差値は推定となります。

 

原則として小学校までに入学しなければ、中学・高校に進学できない特殊なシステムの学校で、偏差値もそれほど参考になりません。

 

野田さんは高校時代はロックバンド「クイーン」に熱中して、同級生とロックバンドを結成しています。

 

ところが高校1年生の夏に校則で禁止されていたバイクの教習所への通学がバレたことをきっかけに、同校を中退してしまっています。

 

そのためアメリカ・ミシガン州のジョーンヴィル・ハイスクールに編入。

 

しかも当初から飛び級で3年生のクラスに編入しており、17歳の時に卒業しています。

 

また高校でも持ち前の運動神経の良さを活かして、バスケットボール部に入部して活躍しています。

 

【田園調布雙葉高校の主な卒業生】

雅子さま(皇太子妃)

梅津弥英子(アナウンサー)

須黒清華(アナウンサー)

長野智子(アナウンサー)

 

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野田聖子の学歴~出身大学(上智大学)の詳細

 

出身大学:上智大学 外国語学部比較文化学科 偏差値58程度(当時)

※入学当時は国際学部

 

 

 

野田聖子さんは高校卒業後は、上智大学に進学します。

 

後述しますが野田聖子さんはアメリカの高校を卒業していますが、当初はアメリカの大学に進学するつもりでした。

 

ところが急遽帰国することになって、当時は中退した日本の高校の1学年下からやり直すか、アメリカで取得したSATという大学受験の資格を認めてくれる日本の大学に入学するしか選択肢がなかったと語っています。

 

そして当時の日本の大学ではこの資格を認めていたのは、上智の国際学部や早稲田の国際部(後に廃止)、国際基督教大学くらいだったので、この大学に進学しています。

 

なお現在の上智大学外国語学部は偏差値63~65程度ですが、野田さんが在籍した頃の国際学部は現在ほどレベルは高くありませんでした。

 

また前記のように野田さんはアメリカの高校を飛び級で卒業しているので、17歳の9月に大学生になっています。

 

この大学でも学業の傍ら「アリカディア」というスキー同好会に所属して競技スキーに取り組むなど、スポーツ好きの一面を見せています。

 

けっこうこの同好会は本格的で、20歳の頃の休みは全部スキーだったと話しており、春休み冬休みは全部スキー場にいたそうです。

 

また大学時代は白馬スキー場のロッジのまかないなどのアルバイトをしたほか、帰国子女で英語が堪能だったことから英語の家庭教師として主婦や子供たちに英語を教えていました。

 

さらには同じスキー同好会のメンバーだった経済学部の男性と交際しており、20歳の頃には何をするにも一緒だったことをインタビューで話しています。

 

「私も二十歳の頃は大学のアルカディアってサークルで出会った男性、彼氏がいて、やっぱりそこが中心だったよね。割と今は付き合いが淡泊なんだって。私の頃は毎日一緒じゃなきゃ嫌って感じで、それがすごい幸せで。学部は、向こうは経済学部で私は外国語学部で、キャンパスも違ってたから待ち合わせるのに当時は携帯もないし、それで家で電話して、学食で何時に待ち合わせとか、そういうのがすごく楽しい反面、連絡取れないこととかが悩みでもあったよね」

記事引用:岐阜大学 田中伸研究室

 

また学生時代は麻雀や酒宴に興じたエピソードも語っていますが、若い頃はお金がなかったことから贅沢はできなかったとも話しています。

 

「あの当時初めて吉野家の牛丼を食べました。お持ち帰りで、誰かが買ってきてくれて。今日麻雀やるぞっていうと吉野家の牛丼をお持ち帰りで。あの頃はつゆだくとかは全くなくて、そのままの牛丼だったな」

記事引用:nobolta.com

 

大学時代は就職活動に苦労しており大手企業の就職試験にことごとく落ちています。

 

ちなみに野田さんが受験した企業はソニーやサントリー、住友商事などとのこと。

 

「私は面倒臭いから自暴自棄になっていて、友達についていって、いろいろな会社を受けた。サントリーも、ソニーも、日本テレビも落ちたし、住友商事も。住友商事に至っては、「あなたは結婚する気はありますか?」って聞かれて、「もちろんあります」と。「うちは結婚するとやめる人が多いんです」って言われて、これは無理だろうと」

記事引用:イー・ウーマン

何とか日本航空(JAL)の地上勤務職の内々定が決まりますが、それも取り消されてしまったことをインタビューで話しています。

 

「22歳で(大学を)出たんだけど。JALで内定が出ていて。そうしたら、飛行機事故がおきて、自粛ということで、そのときの地上職がなしになったの。それが分かって、しょうがないねって言って、夏休みにインドとか、ヨーロッパに行っちゃったの、ショックで。帰ってきたら、みんなが紺のスーツを着ていて。慌てて、まだ就職が決まっていない何人かと一緒に、今日はあそこに行く、その次はどこに行くっていうのがあったじゃない」

記事引用:イー・ウーマン

 

卒業後は帝国ホテルに就職して、女性従業員ではじめて国際セールス部に抜擢されるなど、優秀な働きぶりでした。

 

25歳の時に祖父の講演会の関係者に政治家に転身することを勧められ祖父の養子となって野田姓に改姓、翌年に史上最年少で岐阜県議会議員に当選。

 

最初の国政への挑戦は自民党の公認を得られずに落選しますが、33歳の時に2度目の挑戦で衆議院議員選挙に当選しました。

 

 

以降は当時の史上最年少で入閣するなど、順調にキャリアを重ねていきます。

 

(史上最年少で郵政大臣に起用された際の写真)

 

2021年9月に菅義偉総理大臣が辞意を公表した際には、自民党総裁選挙に前向きであることを明らかにしています。

 

 

これにより史上初の女性総理大臣の可能性も生まれています。

 

以上が野田聖子さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。

 

郵政民営化で自民党を離党したもの、1年あまりで復党して以降は党の要職を歴任。

 

 

今後の自民党の総裁選への出馬も噂され、東京都知事の小池百合子さんと並んで、初の女性総理大臣の候補のひとりとされています。

 

 

今後の動向にも注目です。

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1960年(0歳):福岡県北九州市生まれ

1965年(5歳):東京都田園調布に転居

1983年(23歳):上智大学外国語学部比較文化学科を卒業

1983年(23歳):帝国ホテルに就職

1984年(24歳):祖父の野田卯一の養子になる

1987年(27歳):岐阜県議会議員選挙に出馬して、史上最年少で当選

1993年(33歳):衆議院議員選挙に自民党から出馬して初当選

1998年(38歳):史上最年少で入閣(郵政大臣)

2001年(41歳):鶴保庸介と結婚(2007年に離婚)

2011年(51歳):一般人と再婚

2021年(61歳):自民党総裁選挙に出馬

 

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ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

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