二階俊博幹事長の学歴|出身大学高校(中央大学・日高高校)や中学校の偏差値と若い頃のエピソード

 

自由民主党の幹事長を務める二階俊博さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「古だぬき」とも異名をとる二階さんはどのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

二階俊博(にかい としひろ)

 

 

1939年2月17日生

身長165㎝

血液型はB型

 

和歌山県海南市出身の政治家

自由民主党所属

 

以下では二階俊博幹事長の出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

二階俊博の学歴~出身大学(中央大学)の詳細

 

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出身大学:中央大学 法学部政治学科 偏差値62(現在・やや難関)

 

 

二階俊博さんは高校卒業後は、中央大学に進学しています。

 

法学部に進学していますが、同大の看板学部・学科の法律学科ではなく政治学科です。

 

また現在のこの大学は八王子にキャンパスがありますが、当時は神田駿河台にキャンパスがありました。

 

二階さんの大学時代は学生運動の最盛期でしたが、ノンポリだったことから学生運動や安保闘争などには参加していません。

 

また安保闘争で亡くなって社会に大きな衝撃を与えた樺美智子さんの父親の樺俊雄教授は当時中央大学の講師を務めており、二階さんはその授業を履修していました。

 

娘が亡くなったにも関わらず樺教授は講義を続けたことから、その姿に感銘を受けています。

 

加えて二階さんは大学4年生の頃まではまったく政治に興味を持っておらず、普通に就職するつもりでした。

 

しかし安保闘争などの学生運動の影響をまともに受けて就職戦線は大混乱し、当時の学生は就職難に陥っていました。

 

そのため意図的に1年間の留年をしています。

 

当時はこのような学生がかなりいたそうです。

 

そんな中二階さんは文京区公会堂でおこなわれていた自由民主党の演説会に立ち寄っています。

 

その際は興味本位でしたが、そこでは後に内閣総理大臣となる中曾根康弘さんや通産大臣などを歴任した江崎真澄さんらが演説をしていました。

 

そこで20分足らずで3000人ほどの聴衆を演説で魅了した中曽根さんや江崎さんの姿にひどく感激を覚えました。

 

そのためこの時から政治に興味が沸いて、和歌山県議を務めていた父親に連絡を取って江崎さんの秘書になれるように口利きを頼んでいます。

 

ただしその際には父親から政治家の秘書は大変だと反対されています。

 

結局江崎さんの秘書にはなれませんでしたが、その盟友で建設大臣などを務めた遠藤三郎さんの秘書になっています。

 

遠藤さんの秘書を10年ほど務めましたが、1971年に遠藤さんが逝去したことを機に地元に戻っています。

 

 

そして36歳だった1975年に和歌山県議会選挙に出馬して当選しています。

 

1983年には衆議院議員選挙に出馬して、初当選を果たしています。

 

 

 

以降は現在まで衆議院議員を務めており、1度も落選したことはありません。

 

 

ただし1993年に小沢一郎さんとともに自民党を離党して、新生党を結成しています。

 

結局2003年に10年ぶりに自民党に復党していますが、これらの経緯があったことから1度も総理大臣候補になれなかったとも言われています。

 

とは言えその後は自民党の要職や経済産業大臣なども歴任し、二階派の会長も務めています。

 

 

そのため安倍政権でも菅義偉官房長官とともに、隠然たる権力を有していると言われています。

 

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二階俊博の学歴~出身高校(和歌山県立日高高校)の詳細

 

出身高校:和歌山県 日高高校 偏差値54(普通・現在)

 

 

二階俊博さんの出身高校は、県立の共学校の日高高校です。

 

この高校は1914年開校の県立校で和歌山県の郊外にあり偏差値は普通レベルですが、地元では古くからの進学校として知られています。

 

二階さんは高校時代はバレーボール部に入部していますが、上背がなかったことから1年限りで退部しています。

 

そのため高校2年生からは新聞部に入部しています。

 

その年にこの高校の硬式野球部はセンバツではじめて甲子園に出場していますが、その際には応援団長も務めています。

 

実は当時この高校には応援団がなかったのですが、野球部員に幼馴染もいたので学校側に直談判して応援団を創設することを認めてもらっています。

 

なお応援団長を務めたことから高校時代の修学旅行には行けませんでした。

 

またこのような功績が認められ、応援団員や野球部員から勧められて高校3年生の時には生徒会長も務めています。

 

このように二階さんは高校時代からリーダーシップを発揮していました。

 

なお当初は普通のサラリーマンになろうと思っていたので、立命館大学や同志社大学に進学しようと思っていました。

 

しかし当時の新聞部の顧問の先生から東京に出たほうが政治家や文学者、経済人など様々な人の話を聞けるからと勧められたこともあって、中央大学に進学しています。

 

【主な卒業生】

ヤマサキセイヤ(キュウソネコカミ)

 

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二階俊博の学歴~出身中学校(御坊市立御坊中学校)の詳細

 

出身中学校:和歌山県 御坊市立御坊中学校 偏差値なし

 

 

二階俊博さんの出身中学校は、御坊市内の公立校の御坊中学校です。

 

中学時代には外郭団体が主宰する弁論大会のメンバーに選ばれて、藤村藤村の「破戒」を引用して人権問題について演説をしています。

 

ちなみに二階さんが弁が立つのは、地方の政治家だった父親の演説を小学校時代から聞いていたからと言われています。

 

二階俊博の学歴~出身小学校(印南町立稲原小学校・御坊市立御坊小学校)の詳細

 

出身小学校:和歌山県 御坊市立御坊小学校

※入学は印南町立稲原小学校

 

 

二階俊博さんの出身小学校は、御坊市内の公立校の御坊小学校です。

 

父親は和歌山県議を務めた二階俊太郎さんで、母親は当時としては珍しかった女医でした。

 

当初は印南町の稲原小学校に入学していますが、戦争を経て御坊小学校に編入しています。

 

父親は政治家であるとともに御坊造船の社長を務めており、二階さんが子供の頃は非常に多忙だったことから一緒に遊んだことがなかったそうです。

 

また家族旅行もなく、その代わりに子供の頃から会社の社員旅行に参加しています。

 

二階さんは子供の頃からスポーツが好きで、小学校時代は草野球などをおこなっていました。

 

以上が二階俊博幹事長の学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

既に80歳を超えていますが、自民党内では有数の権力者のひとりとして知られ、「古だぬき」の異名をとります。

 

また「ポスト安倍」ではキーマンになると予想されています。

 

 

末永い活躍を期待したいところです。

 

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