政治家の下村博文さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は下村さんは小学校時代に父親を交通事故で亡くしており、かなり貧乏な学生時代を送っていました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
下村博文(しもむら はくぶん)
1954年5月23日生
身長非公表
血液型はA型
群馬県倉渕村(現在は高崎市)出身の政治家
自由民主党所属
以下では下村博文さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
下村博文の学歴~出身大学の詳細
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出身大学:早稲田大学 教育学部 偏差値65(難関・現在)
下村博文さんは高校卒業後は、名門私立の早稲田大学に進学しています。
詳細は後述しますが、下村さんは小学校低学年の時に父親を亡くし、そこからはとても貧しい生活を送っています。
奨学金はありましたが、下村さんの母親は大学進学をする際に授業料のことを考えて、地元の国立大学を勧めたそうです。
しかし当時は早稲田大学出身の作家が一世を風靡していた時代だったそうで、そのような文学が生み出される自由な校風に憧れを抱いたそうです。
そこで下村さんは早稲田大学のあらゆる学部を受験し、教育学部に合格しました。
下村さんは弁論サークルの「早稲田大学雄弁会」に所属しています。
「雄弁会」は数々の政治家を輩出していることで知られていますが、下村さんが在籍した当時も2年先輩には政治家の山本有二さん、後輩には岩屋毅さんと大島敦さんが在籍していました。
大学時代は生活費を稼ぐために家庭教師のアルバイトをしていました。
そして大学4年生の時に友人たちと共に小学生向けの学習塾「博文館」を立ち上げています。
また下村さんは政治家を目指すようになったきっかけについて、次のように話しています。
「私が、自分の中に『政治家になりたい』という目標を持ち、中でも『教育』という環境を整備して行きたいという気持ちを持つようになったのは、こうした苦しい数々の実生活が影響していると思う。」
35歳だった1989年に無所属で東京都議選挙に出馬して当選しています。
そして1996年の衆議院議員選挙に自民党から出馬して当選。
(若い頃)
以降は党内の要職を歴任したほか、文部科学大臣も務めています。
そのため将来の自民党総裁候補のひとりとの声も上がっています。
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下村博文の学歴~出身高校の詳細
出身高校:群馬県 高崎高校 偏差値71(超難関)
下村博文さんの出身高校は、県立の男子校の高崎高校です。
この高校は1897年開校の伝統校で、古くから群馬県内ではトップレベルの進学校として知られています。
また福田赳夫さんと中曽根康弘さんの2人の内閣総理大臣を輩出しています。
2020年度の同校の主な進学実績は次の通りとなります(浪人生含む)
東京大学:6名
京都大学:5名
東北大学:22名
群馬大学:32名
早稲田大学:31名
慶応義塾大学:20名
東京理科大学:77名
後述するように下村さんの父親は交通事故で亡くなっており、高校1年生の時にはじまった交通遺児に対して奨学金を出す制度「交通遺児育英会」を学校が紹介してくれたことで、奨学金を受け取ることになりました。
またそれと同時に日本育英会の特別奨学金も受け取ることができ、生活難の中でも安心して高校生活を送ることができたそうです。
下村さんはこの時に自分のように生活難のため、進学できない子供を守るような仕組みづくりをしているのは政治家なのではないかと感じていたようです。
なお下村さんは当時の母校を振り返って、インタビューで次のように述べています。
「頭が良い子は多かったのですが、決して「受験校」という雰囲気ではなく、好きなことを好きなようにできる校風でした。旧制中学からの流れがあるからでしょうか、生徒の自主性に任せる空気がありました」
【主な卒業生】
山田かまち(詩人)
芳川隆一(アナウンサー)
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下村博文の学歴~出身中学校の詳細
出身中学:群馬県 倉渕村立倉渕中学校 偏差値なし
※現在は高崎市立倉渕中学校
下村博文さんの出身中学校は、地元倉淵村内の公立校の倉渕中学校です。
中学時代も家計は苦しかったことから、新聞配達のアルバイトをしていました。
下村さんは中学3年生の時に高崎高校にどうしても行きたかったそうで、受験期間は必死で勉強しました。
入学試験はクリアしたのですが、問題は学費だったようで公立と言えども厳しい状況でした。
しかし下村さんの「勉強したい」という強い熱意に母親は押されて、「公立ならなんとかお金を出せる。でも高校まで」と言ったそうです。
下村博文の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:群馬県 倉渕村立倉渕小学校
※現在は高崎市立倉渕小学校
下村博文さんの出身小学校は、公立校の倉渕村立倉渕小学校です。
家族構成は両親と弟2人の5人家族でした。
出身の倉渕村は群馬県西部にあった人口4600人程度の小さな村で、2006年に高崎市に編入されています。
下村さんが小学3年生の時に父親はオートバイの飲酒運転で亡くなっています。
その当時については公式HPで次のように綴っています。
「当時九歳の小学校三年生だった私に母が突然、「父ちゃんがケガをした。病院に行ってくるからおこたに入って大人しくしてな」と告げ家を飛び出して行った。その様子にただならぬ空気を感じた私は、何故か涙が溢れだした。「お父ちゃんが死んだ…」」
残された家族の生活はとても厳しく、下村さんは新聞配達をして家計を支えています。
小学6年生のなった頃には畑仕事も手伝うようになったそうです。
勉強をするよりも食べていくことが先という状況で、下村さんは母親が寝ている姿を見たことがなかったそうです。
生活が苦しかったため本さえ購入することができなかったため、小学校の図書館の蔵書を千冊は読んだそうです。
下村さんの友人の家に遊びに行くと本棚にたくさん本が並んでいるけれど、読んだ形跡もあまりなく貧乏だった下村さんは本当に羨ましかったそうです。
また同時に「親から当たり前に本を与えられているから、きっと本の素晴らしさが分からないのだろう」とも思ったようです。
下村さんは小学校高学年の時に風邪で寝込んだことがあり、母親から「何か食べたいものはある?」と聞かれて「食べ物はいいから本が欲しい」と答えました。
この時に買ってきてくれた本が初めて手にした自分自身の本だったそうで、ボロボロになるほど何度も読んだそうです。
以上が下村博文さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
学生時代はかなりの苦学生で、それゆえ教育問題には強い関心を持っており文部科学大臣も務めました。
このところは将来の自民党総裁候補のひとりとして名前が挙がるほどになっています。
今後の活動にも注目ですね。
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